いま明かされる「もしもし甲斐です」の真相 東京五輪の金メダルに導いた“ウラ技”

東京五輪では正捕手として金メダル獲得に貢献したソフトバンク・甲斐拓也【写真:Getty Images】

ブルペンへの電話を始める前にあったメキシコ戦での“後悔”

昨年夏に行われた東京五輪で悲願の金メダルを獲得した野球日本代表「侍ジャパン」。その中心選手としてMVP級の活躍を見せたのがソフトバンクの甲斐拓也捕手だ。その甲斐が注目を集めたのがブルペンに電話し、投手と会話していた姿。Full-Countのインタビューで甲斐自身が“流行語”にもなった「もしもし甲斐です」の背景、真相を明かした。

東京五輪という大舞台でなぜブルペンに電話をかけようと思ったのか。「あれがPayPayドームだったら、やっていないですよ。ベンチ裏にブルペンあるから。ただ、横浜スタジアムのブルペンは外野。しかもグラウンドを通っていかないといけない」。開幕戦のドミニカ戦が行われた福島あづま球場はブルペンとベンチが近く、甲斐はブルペンに直接、足を運んで投手とコミュニケーションを取っていた。だが、会場を移した横浜スタジアムはそうはいかなかった。

「もしもし甲斐です」を始めたのは、横浜に移動して2試合目、ノックアウトステージ初戦のアメリカ戦。実はその前の試合、オープニングラウンド第2戦のメキシコ戦で甲斐は「すごく後悔した」という“失敗”を犯しており、これがキッカケになった。

先発の森下暢仁投手(広島)が初回、かつてオリックスに所属していたメネセスに適時打を浴びて先制点を奪われた。「スライダーを打たれて先制されたんですけど、メネセスがやっぱり1番のポイントになっていた。インコースに行けばよかったって、本当に思ったんです」。森下は5回で降板。6回から日本ハムのルーキー・伊藤大海投手(日本ハム)がマウンドに上がっていた。

その直前、ベンチで村田善則バッテリーコーチ(巨人)と相談していた甲斐。6回の3人目の打者でそこまで2打数2安打していたメネセスを迎える。果たしてどう攻めていくか。「その後も考えた時に、全部インコースに行くぐらいでいいと思います、と言ったら、村田さんも『俺もいった方がいいと思う』と」。徹底したインコース攻め。2人の間で腹は決まった。

ソフトバンク・甲斐拓也【写真:藤浦一都】

ノックアウトステージ初戦のアメリカ戦で初めてブルペンへの電話を手にした

マウンドに上がった伊藤は先頭のロドリゲス、続くエリサルデを内野ゴロに封じ、2死走者なしでメネセスを迎えた。ここで甲斐はある事に気づいた。「あ、しまった。(内角を続けることを伊藤に)伝えていない」。東京五輪ではイニング間の攻守交代は90秒以内に制限されていた。その間に投球練習も行わなければならず、マウンド上で投手と捕手が言葉を交わす時間はほとんどない。実際、この時、甲斐と伊藤もサインの確認だけしか行っていなかった。

「こういう狙いがあってインコースに続けていくから、頑張って投げてくれ、と伝えていなかった。僕は『うわ、ミスった』と思ったんです」。意図を伝えないまま、甲斐は初球インコースを要求。伊藤も臆せずボールを投げ込んできた。2球目、3球目……。甲斐は内角を要求し続け、伊藤はこれに応えてボールを投げ続けた。

「まず大海のことを凄いピッチャーだと思いました。ルーキーなのに臆することなくしっかり投げ込んできてくれて。それと同時にすごく後悔しました」。結果的に三ゴロに打ち取って事なきを得たが、甲斐は激しく悔いた。8回には平良海馬投手(西武)がそのメネセスに2ランを被弾。「平良にも何も伝えていなかったんです。『さっき大海が全部インコースにいってるから、こういうふうにやっていこう』と話をしていればよかったのに。こんなことしてたら駄目だと思いました」。この日の後悔からブルペンへ電話するアイデアが浮かんだ。

ノックアウトステージ初戦のアメリカ戦。スタメンマスクは梅野隆太郎捕手(阪神)が被り、甲斐はベンチからのスタートだった。出番は9回の守備から。試合は6-6のまま延長タイブレークにもつれ込んだ。10回のマウンドには栗林良吏投手(広島)が上がる予定になっていた。無死二塁からのタイブレーク。「ちゃんと話しておかないといけないと思った」。この時、初めてブルペンへと繋がる電話を手に取った。

電話口には栗林本人が出た。まず、2人はサインを確認し合った。それから、5番のフレイジャーから始まる相手打線の並びから考えられる攻撃パターンについて確認し合い、バッテリーの間で意思統一を図った。栗林はフレイジャーを空振り三振に切ると、フィリア、コロズバリーも打ち取り、無失点で切り抜けた。その裏、甲斐のサヨナラ打で劇的な勝利を収めた。

イニング間は90秒以内に制限されており「何かを省かないといけない」

「結果的に打ち取りました、ではダメなんです。やっぱりちゃんと伝えてやらないといけないんだって思いました」と痛感した甲斐。とはいえ、攻守交代の時間はわずか90秒。イニング間の投手交代も90秒以内に制限されていた。この間に投手はリリーフカーに乗って登場し、マウンドをならし、そして投球練習を行う。準備に時間がかかり、たった2、3球で投球練習を打ち切られる投手もいた。

「投手にはマウンドでちゃんと準備させないといけない。何かを省かないといけないとなったときに(マウンド上で)話すのを省こうと思いました」。とはいえ、投手との意思疎通は絶対に必要だった。「伝えていれば投手もある程度腹をくくれるけど、伝えていないと投手も不安になる。僕は勝負してほしいのに、投手は不安に感じてボールにしようと思うかもしれない。そこの違いは絶対あるんです。それに初球内角に行きます、と伝えていれば、しっかり投げておこうとブルペンでの投球内容も変わるかもしれない」。そういった思いも甲斐にはあった。

ブルペンに電話するタイミングによっては、登板予定の投手が既に肩を作り出していることもある。その時は手が空いているブルペン捕手に間に入ってもらう“伝言ゲーム”のような形で投手とコミュニケーションを図った。例えば、決勝のアメリカ戦。先発の森下が5回を無失点に封じると、千賀滉大(ソフトバンク)、伊藤が無失点リレーを続け、8回には岩崎が上がった。

アメリカ打線はDeNAのオースティンから始まり、カサス、フレイジャーと続く打順。7回裏の攻撃中に、甲斐は岩崎とポイントになるカサスについてこう電話で会話した。「カサスは対左投手になるとインコースはまず詰まります。内の真っ直ぐをいった後に、スライダーを空振りさせるように投げてもらいたいので、内の真っすぐを初球から行く準備しといてください」。甲斐のプランを聞いた岩崎もこれに同意。攻め方の意思統一を図り、実際に空振り三振に仕留めている。

突如始めたように思われるかもしれないが、実はこれまでの甲斐の経験に基づいたもの。「ホークスでもやっているんですよね。例えば千葉のZOZOマリン。千葉もブルペンがレフトにあるんで、電話して森(唯斗)さんとかと話しています。その経験があったんで『あ、電話すればいいや』と。珍しいことだと思わなくて、あそこまで注目されると思わなかったです」。ここにも意外な真実が隠されていた。

日本中を興奮させた東京五輪での金メダル。その立役者となった甲斐が編み出した「もしもし甲斐です」。日本中の注目を集めた“ウラ技”には、幾つものドラマが潜んでいた。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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