「くれるならメジャーに行きません」新庄監督、阪神で実現しかけた“幻の背番号1”

日本ハム・新庄剛志監督【写真:荒川祐史】

阪神時代の新庄監督の良き兄貴分として共に過ごした中込伸氏

今シーズン、プロ野球界で最も注目を集めているのが“ビッグボス”こと日本ハム・新庄剛志監督。今季は現役時代の代名詞だった背番号「1」を着用し指揮を執るが、実は阪神時代にも背負う可能性があったという。1988年に阪神にドラフト1位で入団した中込伸投手がメジャー移籍直前に起きた“幻の背番号1”秘話を明かしてくれた。

「アイツが『1番をくれるなら僕はメジャーに行きません!』って言うから、1番をあげてくださいって球団へお願いしたよ」

そう語るのは1995年から2000年まで阪神で背番号「1」を背負い、通算62勝をマークした中込氏だ。2歳年下の新庄氏とは当時、甲子園球場東側に隣接していた選手寮・旧虎風荘では良き相談相手となり、遠征先で食事に出かけるなど旧知の仲だった。

2000年のオフ。新庄氏はFA宣言し他球団が提示した好条件を蹴り、当時のメジャー最低年俸20万ドル(約2200万円)でメッツに移籍。背番号1を譲渡し阪神残留の話は一体どこへ……。まさかの事態に中込氏も「そしたら後日、『やっぱりメジャーに行きます』って報告されて。ずっこけたよな」と笑いながら、当時を振り返る。

1988年に阪神にドラフト1位で入団した中込伸氏【写真:喜岡桜】

吉田義男氏も背負った縦縞の背番号を受け継ぐと決めたはずが…

もしもあの時、新庄氏からの要望に応え、球団へ背番号変更の申し入れをしていなければ「もう少し長く阪神での現役生活にこだわっていられたかもしれない」とポツリ。「高校野球の延長で、背番号1は一番良い選手が付けるイメージがあるから」と、勝負に対するモチベーションの維持や向上につながっていたという。

伝統の縦縞に刻まれた背番号「1」は、特に重みがある。遊撃手としてベストナイン最多受賞記録(9回)で、現役時代の背番号「23」が永久欠番になった牛若丸・吉田義男氏が監督時代に付けた番号だ。偉大なレジェンドから受け継がれてきた背番号を、1994年にヤクルトへ移籍したトーマス・オマリー氏から直々に譲り受けたという。

それほど大切な背番号を渡そうと決めたのだけに、新庄氏の熱意はとてつもないものだったかもしれない。だが、メジャー移籍後にメッツとジャイアンツで背負ったのは背番号「1」ではなく、一貫して「5」を付けた。1992年“亀新フィーバー”の翌年から阪神で背負っていた番号だった。

「(背番号について)何も言わずにメジャーへ行ったよ。メジャー挑戦のことで頭がいっぱいになって、くれって言ったことは忘れてたんじゃないかな(笑)」

若虎の頃から憧れ、2004年の日本球界復帰後は2006年9月27日を除いて、現役引退まで背番号「1」を背負い続けた。日本ハムにスター選手が誕生すれば自らの背番号を譲ることを明言している新指揮官。この背番号にふさわしい選手が現れるのを中込氏も心待ちにしている。(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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