【3/26〜、南足柄市】岩原城と沼田城の御城印が販売開始

3月26日より、南足柄市観光協会などの施設において岩原城と沼田城の御城印が発売されます。

販売開始日:
2022年3月26日(土)

販売価格:
各300円(税込)

販売場所と取り扱い御城印:
南足柄市観光協会(南足柄市役所内):岩原城、沼田城
伊豆箱根鉄道大雄山線大雄山駅:岩原城
伊豆箱根鉄道大雄山線相模沼田駅:沼田城

※歴×トキにて通販も開始

南足柄市観光協会の中澤さんからコメントをいただけたのでご紹介します。

中澤さんからのメッセージ

南足柄市の「岩原城」、「沼田城」この両城は私が小学生の頃から愛した山城です。

今回、御城印の販売という形で全国のお城ファンにお目見え出来ることになり感激に堪えません!

山城ガールむつみさんによる西相模の雄、大森寄栖庵氏頼をイメージした素敵なデザインです。販売場所は両城を沿線に持つ伊豆箱根鉄道大雄山線の「大雄山駅」と「相模沼田駅」、そして南足柄市観光協会(南足柄市役所証拠観光課内)になります。

両城を訪れた際は、ぜひお買い求めください。

デザインを担当された山城ガールむつみさんからもコメントをいただけましたのでお読みください。

山城ガールむつみさんからのメッセージ

岩原城は大森氏の城と伝わっています。大森氏は駿河国を出自とし、応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱をきっかけに相模国に勢力を広げました。相模国に入った大森氏は小田原城を本拠としますが、足柄峠の麓に位置し、足柄平野への入口にあたる岩原城を小田原城と同じように重要視したと考えられ、大森氏頼が晩年居城にしました。

氏頼が死去すると、小田原城を伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、大森氏は衰退しました。その後の岩原城については不明ですが、小田原北条氏による改修も指摘されています。
岩原城付近には甲州道が通っていて、古くから交通の要衝であったことがわかります。周辺は広範囲に渡り湿地だったと思われ、まさに天然の要害でした。
『新編相模国風土記稿』に描かれた絵図を御城印のモチーフにし、大森氏の家紋「二つ巴」と、岩原城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。
大森氏頼は西相模の雄として戦国時代にその存在を刻みました。その勇姿をイメージし、武者の姿を描きました。

沼田城は松田、河村、沼田、大友周辺に勢力を広げていた波多野氏の庶流である沼田氏の城だったとも伝わります。沼田氏は応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱で、禅秀に味方し、衰退したといわれています。その際、禅秀の乱を鎮圧しに相模国に入ったのが大森氏と考えられています。大森氏衰退後の沼田城については不明ですが、小田原北条氏による改修も指摘されています。
沼田城の御城印は『新編相模国風土記稿』に描かれている絵図をモチーフにしました。絵図には、怒田(沼田)村や酒匂川が描かれています。
そして、大森氏の家紋「二つ巴」と、沼田城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。
大森氏頼は西相模の雄として戦国時代にその存在を刻みました。その勇姿をイメージし、槍を持った武者の姿を描きました。沼田城西側の坂には「槍持坂」という名が残っています。

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