<スポーツ>球児育む“土壌” プロ選手輩出 1969年長崎国体後 育成気運高まる サセボのキセキ 市制施行120周年⑦

佐世保市ゆかりの主なプロ野球選手

 長崎県佐世保市が生んだトップアスリートは誰か-。多くの市民の脳裏に焼き付いているのは、元プロ野球選手の城島健司さん。市立相浦中、大分・別府大付高(現明豊高)を経て、1995年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)へ入団。強肩強打でダイエー初のリーグ制覇や2度の日本一に貢献した。
 2006年、日本人の捕手として初めて米大リーグに挑戦。マリナーズへの入団会見では「フロム サセボ」(佐世保から来ました)と故郷を強調。正捕手を務め、日米通算4367安打を誇るイチローさんとチームを引っ張った。10年に阪神へ移籍した。
 ほかにも数々のプロ野球選手が生まれた。広島で中継ぎの柱となった今村猛さん=市立小佐々中卒=は、09年春の選抜高校野球大会に清峰のエースとして出場。県勢初の全国制覇を果たした。オリックスの投手だった古川秀一さん=市立山澄中卒=も清峰で躍動。05年夏の甲子園で強豪の愛工大名電(愛知)や済美(愛媛)を下して16強入りした。
 歴史をさかのぼると、広島や大リーグのヤンキースなどで投手として活躍した黒田博樹さんの父、一博さん(故人)も佐世保市出身。南海(現ソフトバンク)の外野手でレギュラーだった。
 いつごろから野球熱は高まったのか。市野球審判協会名誉顧問の矢野忠明さん(92)は「1969年の長崎国体が一つの契機だった」と語る。
 佐世保市では国体の高校野球競技があり、その年の甲子園で活躍した球児が集結。三沢(青森)の投手でアイドル的な存在だった太田幸司さんらを一目見ようと、会場は大勢の人でごった返した。
 当時の熱気が「佐世保の高校を甲子園へ」という機運につながり、地元選手を育てるムードが高まった。
 その願いは74年夏に結実。市内の高校で初めて佐世保工が甲子園切符を獲得した。83年春には投手の香田勲男さんを擁してベスト8入りし、香田さんは卒業後に巨人へ入団した。84年春には佐世保実が初出場を果たして実力校となった。
 同市は小学生のソフトボールが盛んで、幼少期から基礎を学ぶ。中学、高校、審判の関係者が意見交換する「3者交流」を長年続けており、矢野さんは「地域で子どもを教育する環境が佐世保の強み」と言う。
 ただ、球児が育つ“土壌”はあるものの、中学生が市外へ進学するケースも目立ち、近年、市内の高校は甲子園から遠ざかっている。「全国で活躍する佐世保出身の子どもはいるが、ユニホームに『佐世保』の文字がないのは寂しい。行政も一体となり、市内の学校を盛り上げることはできないか」。野球関係者からはこんな嘆きも聞こえる。

◎五輪 ソフトボール藤田選手「金」

佐世保市ゆかりの主な五輪選手

 世界のトップアスリートが集う五輪。スポーツの祭典には、佐世保市ゆかりの選手が続々出場し、メダリストも誕生している。
 記憶に新しいのは、昨夏の東京五輪ソフトボールで金メダルに輝いた日本代表の藤田倭選手=市立崎辺中卒=。「投打の二刀流」で出場し、大車輪の活躍を見せた。
 2012年のロンドン五輪アーチェリー女子団体では、佐世保商高県スポーツ専門員だった早川漣選手=韓国出身=が原動力となり、銅メダルをたぐり寄せた。元プロ野球選手の城島健司さんは04年のアテネ五輪野球に出場。日本代表の中心選手としてチームをけん引し、銅メダリストとなった。

 =次回のテーマは「商店街」。30日掲載予定です=


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