岡本太郎の“ベラボー”な半生に片桐仁、感動・感服しっぱなし!

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。12月25日(土)の放送では、「川崎市岡本太郎美術館」で岡本太郎の“ベラボー”な半生を追いました。

◆岡本太郎の代表作「太陽の塔」の制作秘話

今回の舞台は、神奈川県・川崎市にある川崎市岡本太郎美術館。ここには生涯をかけて時代に挑み、強烈なメッセージを発信し続けた岡本太郎の作品を、約1,800点所蔵しています。

代表作「太陽の塔」と出会い、岡本太郎が大好きになったという片桐。「あんなものを今作れる人は世界中にひとりもいない」、「人間として大事なことを岡本さんはいっぱい言っている」と敬愛してやまない片桐は、今回、川崎市岡本太郎美術館でこの冬開催されていた展覧会「生誕110周年 ベラボーな岡本太郎」へ。

同館の学芸員・片岡香さんの案内のもと、まずは川崎市岡本太郎美術館のシンボルでもある「母の塔」(1971年)を鑑賞。

そのタイトルの通り、少しふっくらとした形が母親のお腹のようで、なおかつ巨木・木の根・たくましさといったイメージを彷彿とさせる本作に「大きいですね」と感動する片桐。実際、その高さは30メートルにも及びます。

館内に入り、真っ先に注目したのは「太陽の塔」(1970年)。

1970年、大阪で日本初の万国博覧会(大阪万博)が開催され、その施設プロデューサーを務めたのは、世界的建築家・丹下健三。そして、太郎はテーマ展示プロデューサーに任命されました。

丹下と太郎を軸に中心的パビリオンの建設が進められるなか、丹下が先に大屋根を制作しているときに、太郎は「高さ30メートルの大屋根を突き破るようなスケール感の塔を作るんだ」と言い出し、「太陽の塔」ができたとか。その逸話を聞いた片桐は、2人が揉めなかったのかと案じつつ「丹下健三さんの屋根がなければこのデザインになっていなかった可能性もありますよね……」と思いを馳せます。

しかもそのとき、太郎は「ベラボーなものを作る」と言っていたそうで、展覧会のタイトルにもある"ベラボー”とは何か。それはスケールが大きなものという意味もありますが、片桐は「語弊があるけどデタラメというか、既成の概念に入らないみたいな感覚がある。はみでちゃったものというか」と自身の考えを述べます。

片桐が岡本太郎にハマるきっかけとなった「太陽の塔」には、背中、上、前面の真ん中と、3つの顔があります。

それは「太陽の塔」が過去・現在・未来を渡る大きな装置であり、その現れではないかと考えられているそうですが、実はさらにもうひとつ、4つ目の顔が塔の内部に広がる地下空間にあると片岡さん。今回の展覧会では、大阪万博開催時の地下空間の写真が展示されており、そこで4番目の太陽「地底の太陽」を見ることができます。

地底の太陽が飾られた空間には、世界中から集められた神様の像や仮面が並んでおり、その中に鎮座するのは太郎の手による「戦士」(1970年)。

展示されている作品を前に「これが戦士!?」と片桐は首を傾げます。しかし、よくよく見ると「ちょっと怖いですよね。蠢いている感じというか。動物とかが生物になる前の攻撃的なものというか……まだ何者でもない、エネルギーの塊という感じ」と畏怖し、その存在に圧倒される片桐。

さらにもう1つ、塔内部の作品で一際異彩を放っていたのが、「ノン」(1970年)。「否定する(non)っていう意味なんですね……神様なのに」と素直な思いを語りつつ、「キャラクター的にかわいい。さっきの『戦士』とだいぶ印象が違う。なんと言っても顔がいいですね」とその振り幅に驚いていました。

◆若き日の岡本太郎が影響を受けた世界的画家

"ベラボー”な作品を数多く生み出してきた太郎ですが、続いてはその源泉となる若き頃の油彩作品をピックアップ。

18歳でパリに渡り、芸術家として活動していた太郎は、ピカソの作品と出会い、大きな影響を受けます。そして23歳のとき、芸術への迷いを乗り越えようとするなかで描かれたと言われているのが「空間」(1934年/1954年)です。

とりわけ、左側に描かれたものは異様な雰囲気を醸し出し、片桐は「絵具も白と赤、蠢いている立体的なものというか、実在感がありますね」と感心しつつも、ピカソを超えるという目標に「"俺がやるぞ”って感じも伝わる」と若き日の太郎の気概を感じた様子。

一方、「ドラマチックな絵」と評していたのは、「傷ましき腕」(1936年/1949年)。これはパリで自分なりの抽象表現を模索するなか生まれた作品で、そこに描かれた腕は皮膚が剥がれ肉が露出しています。

そんな作品を前に「怖いですね……顔がリボンで見えない、どこにあるんだろう」と怖れを抱く一方で「力強く、強烈。岡本太郎さんの絵のなかで、すごく頭に残っている絵」と片桐。華々しさよりも鬱積した太郎の気持ちが詰まった作品となっています。

当時、時代は「抽象」と「シュルレアリスム(超現実主義)」、2つの大きな潮流があり、太郎はさまざまな表現を学ぶことで常識に捉われない、自由な芸術を模索。しかし1940年、大戦の影響により帰国。戦時中は思うような芸術活動ができなかったものの、終戦後に活動を再会した彼の人生に大きな出来事が。

それは1952年、久々に訪れたパリで、太郎はピカソと初邂逅を果たします。そこで2人は意気投合したと言われているそうで、そうして自身の芸術や思想をさらに深め、その後もさらにベラボーな作品を生み出していきます。

◆片桐が語る岡本太郎の魅力、川崎市岡本太郎美術館のすごさ

「これも見たことがあります。青山にあるやつですね」と片桐の目に留まったのは、「こどもの樹」(1985年)。

児童館に設置されたこの作品には顔がたくさん付いていますが、なかには下を向いているものも。その理由は子どもの視線を意識したからで、太郎自身「子どもというのは、一人ひとりがみんな、こういう独自の、自分の顔を持っているべきだ」と語っています。

太郎といえば「芸術は爆発だ」というフレーズが有名ですが、片桐は「あれはどういう意味だったんですかね」と思いを巡らせます。太郎自身は火薬が爆発するような世間一般が想像する爆発とは異なり、著書「自分の中に毒を持て あなたは"常識人間”を捨てられるか」(青春出版社)のなかで「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが爆発だ」と表現しており、それを聞いた片桐は「宇宙がビッグバンで広がっていったような、やっぱりエネルギーですよね」と感慨深そうに言います。

次なる作品は「明日の神話(原画)」(1968年)。これはメキシコオリンピック開催にあたって作られる現地のホテルのロビーに飾るために描かれたもので、最初、副題となっていたのは「広島と長崎」。テーマは核兵器に焼かれる人間の姿で、核を受けても誇らしく生きるというメッセージが込められていたと言われています。

しかし、ホテルは途中で建設中止となり、作品は一時行方不明に。その後、2003年にメキシコで発見され、日本に移送。修復された後、2006年に一般公開され、現在は渋谷駅の連絡通路内に設置されています。

既成概念に捉われない"ベラボー”なものに挑み続けた太郎。その作品には自らの人生から生み出された力強いメッセージが込められています。それを間近で感じた片桐は、「30年前、40年前、50年前、もっと前のものなんですけど、今、作品として岡本太郎さんが生きている感じを実感できるのが、この美術館のすごさだと思いますね。ちょっと怖いところもあり、最先端の美術という感じもあるけど、キャラクターの面白さもあったり。どう見てもいいので、ぜひ体感してほしい」と切望。

「ベラボーに芸術を追求し続けた唯一無二の太郎さん、ブラボー! いや、ベラボー!」と片桐らしく称え、岡本太郎のそのベラボーな人生に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、「日の壁(原寸大レプリカ)」

川崎市岡本太郎美術館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものからどうしても見てもらいたい作品を紹介する「今日のアンコール」。片桐が選んだのは、「日の壁(原寸大レプリカ)」(1991年)。

これはかつて旧都庁に飾られていたものを、取り壊しの際に型取りして再現したレプリカで「実物は残らなかったけど、こうやって残っているとなんかいいですよね」と安堵。そして、その完成度の高さに「やっぱりいいですよね、これもどう見たって岡本太郎ですから」と見惚れていました。

最後はミュージアムショップへ。店頭には10台のガチャガチャがあり、片桐は初めて見たというミニミニタオルのガチャに挑戦。そして、店内では「太陽の塔」を模したぬいぐるみ「太陽の塔 ぶるぶる」を手に興奮。その他にもさまざまな商品を物色し、大満足の様子の片桐でした。

※開館状況は、川崎市岡本太郎美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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