「与えられた命」生きていく 那須雪崩事故に巻き込まれた三輪浦さん

樹林帯の下にある「一本木」に向かって手を合わせる三輪浦さん=27日午前8時40分、那須町湯本

 那須雪崩事故の生存者で元大田原高山岳部員の大学2年三輪浦淳和(みわうらじゅんな)さん(21)は27日、那須町湯本のスキー場を訪れ、山腹にある1本の大木に向かって手を合わせた。「一本木」は事故直前、亡くなった8人の顔を最後に見た特別な場所だ。事故後も山と向き合い続けてきた三輪浦さん。8人の存在を感じ取り、「与えられた命」を大切にして生きていくと改めて誓った。

 雪崩が発生した午前8時40分ごろ。一面に雪が残るスキー場入り口で、三輪浦さんは目を閉じ、頭を下げた。強風が吹き荒れる中、「みんなから『しっかりしろよ』って言われているみたいですね」と話し、遠くの一本木を見つめた。

 5年前のあの日。ゲレンデ中腹にある一本木が生徒らの合流地点だった。先着していた高瀬淳生(たかせあつき)さん=当時(16)=は余裕の表情。萩原秀知(はぎわらひでとも)さん=同=は息を切らしていた。事故に遭ったのはそこから樹林帯を登った先の斜面。三輪浦さんも全身が埋まり、1カ月の重傷を負った。

 回復後は山岳部に戻り、部長として部をけん引した。「事故の当事者として雪崩事故に関わっていくこと」が使命と考えた。母親には反対されたが「発言に責任を持ちたい」とメディアの取材は実名で応じた。

 卒業後は、亡くなった2人の先輩と約束していたアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ登頂に成功。2年前に登山家らでつくる雪崩事故防止研究会(札幌市)に入り、安全登山を啓発する会の運営に携わっている。「安全な登山を考え続けてきた5年間だった」

 事故と関係ない「普通の生活」も進んでいく。コロナ禍で大学の授業は県内の自宅からオンラインで受けていたが、春から東京都内で暮らすことに。就職を意識する機会も増えてきた。

 だが、8人を忘れた日はない。「就職が決まったら、また来ます」。強風の中でも静かにたたずむ一本木に誓った。「山が好き」。仲間と共有した思いは5年を経ても変わらない。「これからも与えてもらった命と、8人と過ごした時間を大切にして生きていきたい」

樹林帯の下にある「一本木」に向かって手を合わせる三輪浦さん=27日午前8時40分、那須町湯本

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