ヴィーナスフォートが22年の歴史に幕… 愛され続けた理由

東京・お台場エリアには特徴的なフジテレビの社屋やアクアシティお台場、デックス東京ビーチなど、複数の大型施設が立ち並ぶ人気観光スポットです。そのお台場の象徴の一つとして20年以上愛され続けてきた「ヴィーナスフォート」が3月27日に閉館します。お台場エリアを一大観光スポットへと押し上げたヴィーナスフォートの誕生と成長の歴史に迫りました。

球体が特徴的なフジテレビ本社や実物大のガンダムが立つダイバーシティなど、数々の象徴的なスポットがあるお台場エリアで長年愛された施設が間もなく営業を終えます。1999年に開業した大型ショッピングモール「ヴィーナスフォート」です。お台場エリアでの大型商業施設の誕生は当時、日本中の話題となりました。

ただ、その開発は苦労の連続だったと、施設を担当した森ビルの栗原弘一執行役員は話します。栗原さんは「この辺りは周りの土地も空き地状態だった。ここににぎわいを生み出すような新しいものを考えたいと思ったのが当時の心境」と当時を振り返ります。現在は数多くの施設が立ち、公園も整備され、人々でにぎわうお台場エリアですが、1995年に撮影された写真を見てみるとほとんどが更地です。開発はまさにゼロからのスタートでした。

お台場エリア全体の未来をも見据えた大規模開発に対し、栗原さんには当時としては珍しい斬新なアイデアがありました。その一つが、ヴィーナスフォートの代名詞でもある"中世ヨーロッパの街並みを再現した内装”です。ヴィーナスフォートの中心部に、美しい照明や噴水からなる象徴的な広場を配置しました。内装にこだわった理由を栗原さんは「自分たちで強い集客力を持たなければいけなかった。その時に最初に考えたのが、ターゲットとなる客を絞り込むこと。20歳から35歳までの女性を中心にしようと思った」といいます。若い女性をターゲットに、内装やイベント開催など、時代に先駆け「コト消費」を意識した施設造りを目指したのです。開業当時から訪れていたという女性も「日本ではない外国のような行ったことのない景色だったので、ここに来ると日常を忘れられる施設」と話します。

また、誘致する店にもこだわりました。開業当初から施設内で店を構えてきた「ラ・メゾン・ド・ミエール・ナミキ」の並木正幸店長は、当時、出店には"ある条件”があったといいます。並木さんは「日本で初めてとか世界で初めてとかそういう切り口のショップじゃないと入れない条件だった」と振り返りました。並木さんの店は天然100%のフランス産蜂蜜のみを取りそろえた日本で唯一の専門店でした。希少性の高い店だけを集めたのも狙いの一つでした。並木さんは「(全ての店が)そういう珍しさがあったので、ものすごい数の人が来た。川の流れのように客が入ってきて、顔の見分けがつかないぐらいどんどん流れていくぐらいの勢いで来た。あれにはびっくりした」と当時のことを語りました。

ヴィーナスフォートは若い女性を狙った「コト消費」、そして「希少性」のある店を並べ、一躍人気施設となりました。そしてお台場エリアではこの開業をきっかけに、翌2000年にアクアシティお台場、続いて2001年には日本科学未来館など、立て続けに大型施設がオープンしました。そして周辺には高層マンションも建設されるなど、お台場エリア全体が"1つの街”へと変化していきました。

ただ一方でこの街の変化がヴィーナスフォートにも変化をもたらします。2009年にはメインターゲットとしていた女性だけでなく、インバウンドやファミリー層にも目を向けた大規模なリニューアルを行い、東京で初めてのアウトレットモールや大規模なドッグランを設置するなど、常に客のニーズに合わせて形を変えてきました。街に住む人の中には「お台場に住んで22年なので、ちょうどここができた時に引っ越してきた。お台場が栄えていくのをずっと見てきたので、ここがまた新しく生まれ変わっていくのも、寂しいながらも期待したいと思います」と話す人もいました。

22年間愛され続けたヴィーナスフォートは3月27日、その歴史に幕を閉じます。

© TOKYO MX