駅スタンプに夢中だった頃

 【汐留鉄道俱楽部】新橋駅前でランチを済ませ、会社に戻ろうとJRの自由通路を歩いていると、改札口そばにスタンプ台があった。カップルが嬉しそうに何回も押しては顔を合わせていた。スタンプってまだあったのかな? なんて思いながら私も持っていた紙に押してみた。鉄道発祥の駅らしくSLをモチーフにした何ともしゃれたデザインが押印された。

 駅スタンプを同じ冊子に押してそれを増やしていくことに夢中になった懐かしい思い出がある。「スタンプノート 国鉄監修」と書かれた古い冊子を今も持っている。その表題の下には「ディスカバー ジャパン」のロゴが刻まれている。大阪万博があった1970年あたりから国鉄が始めた大掛かりなキャンペーンだった。団体から個人旅行に対象を移し、周遊券を充実させ旅をより気軽で身近にした企画だった。

国鉄監修のスタンプ帳には駅がぎっしり詰まっている

 当時、駅や列車の中は「ディスカバー…」のポスターであふれ、テレビCMでも頻繁に流れていた。

 そんな旅ブームに一役買ったのが駅スタンプだ。わたしはそのブームに見事に乗った。駅に降りるとまずスタンプ。用がないのにわざわざ駅に行ってはスタンプ。乗り換えのわずかな時間でスタンプ。駅名と土地を表す独自のデザインが描かれたスタンプがどんどん増えていくのが楽しかった。当時は中学2年のころ。福岡市に住んでいて九州中を乗りまくっていた。急行「ぎんなん」「しらぬい」なんて何とも魅力的な電車が鹿児島線を疾走していた時代。いろんな列車に乗って一人、九州中を回っていた。

 写真掲載は当時の鹿児島駅と西鹿児島駅のスタンプ。自分で「(昭和)46年10月31日」と鉛筆で記しているから間違いなくこの日、両駅に降り立ちスタンプを押したのだろう。50年前の古い冊子。列車に乗るのも好きだったが、スタンプ好きの〝押し鉄〟(というジャンルがあるのかどうか)でもあったのだ。当時はスタンプの他、記念切符や切手、漫画のシール、雑誌の付録などとにかくいろいろな物を集めていた。

半世紀前の鹿児島駅と西鹿児島駅のスタンプ。ここからスタンプ旅が始まった

 やがて東京に住むようになっても関東や東北の多くの駅のスタンプで冊子は増えていった。高校2年頃には周遊券をフル活用し、10日程度で東北一周をしてスタンプの数を〝稼いだ〟。宿泊は旅館の素泊まり。時刻表の巻末の小さな字で書かれた一覧から適当に宿を見つけ往復はがきで予約確認をしていた。岩手県の鍾乳洞で有名な岩泉の旅館からは、予約が完了したことと「遠いところからわざわざありがとうございます」との添え書きがあったことを覚えている。高校生にとって遠隔地の宿の予約は大変な時代だった。

 やがてキャンペーンも終わり、自分のスタンプ押しも下火となり冊子もいつしかお蔵入りとなった。その後も国鉄やJRが多くのキャンペーンを実施し、スタンプも様々なデザインが生まれては消えていったのだろう。

 

今の新橋駅のスタンプ。何とも斬新でおしゃれ

 たまたま新橋駅で見かけたスタンプを押してみて昭和時代に旅にのめり込んでいた自分を懐かしく思った。今も健在だったスタンプ台。実は〝押し鉄〟はそこかしこにいるのだろう。

☆共同通信・植村昌則

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