加賀山就臣が語るライダーとしての現役引退、監督業や新たな取り組みに専念する理由/全日本ロード

 3月25日、東京ビッグサイトで開催された『第49回東京モーターサイクルショー』のスズキブースで、レーシングライダーの加賀山就臣が全日本ロードレース選手権からの現役引退と監督業や新たな取り組みに専念することを発表した。

 加賀山は1990年からスズキの車両でレース活動を開始し、1993年にスズキの契約ライダーとなった。以降は、全日本ロードレース選手権、ブリティッシュスーパーバイク選手権(BSB)、スーパーバイク世界選手権(SBK)、FIM世界耐久選手権(EWC)、鈴鹿8耐などのレースに参戦。

 その他、ロードレース世界選手権のGP500やMotoGP、アジア選手権、スペイン選手権、マレーシア選手権などを経験した。

 2011年には国内に戻り、Team KAGAYAMAを発足。レーシングライダー兼チームオーナーとして、再び全日本ロードを中心に、鈴鹿8耐などのレース活動を行ってきた。しかし、2022年はヨシムラとTeam KAGAYAMAがタッグを組み、渡辺一樹を擁すYOSHIMURA SUZUKI RIDEWINの代表・監督に就任することが2月に発表された。

ヨシムラの体制発表:加賀山就臣監督(YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN)/第49回東京モーターサイクルショー

■ライダーとしての現役引退発表

 加賀山は、YOSHIMURA SUZUKI RIDEWINの立ち上げについて「2年くらい前から(話が)ありました」とトークショーで切り出した。

「ヨシムラさんと一緒にTeam KAGAYAMAを立ち上げたのですが、そこでの経験、企画、レース活動を一緒にできないかというのを話していました。昨年末に渡辺一樹がどうしてもレース出たいとか、ヨシムラさんがどうしても復活したいと、話が進み、1月15日正式決定したんですよ」

 その決定と同時に、加賀山が全日本ロードを走らないことが決まったと、以下のように続けた。

「今日皆さんに伝えたかったことがあります。加賀山就臣は32年間スズキとともにレースを続けてきましたが、全日本ロードは、卒業というか、引退というかを決意した覚悟で、新しくYOSHIMURA SUZUKI RIDEWINを立ち上げたことになります」

「勝つためのレース、ライダーとしてのレースからは、線を引いて、新たな違う形で……。ライダーの頃はどうしても優勝したい思いで、続けてきたんですよ。でも、ここ2年くらいはなかなか優勝という文字にたどり着けないことがありました」

「身体の衰えだったり、技術の衰えだったりがあって、どうしても自分にとって納得いかない、もう勝てないライダーになってきたのかなっていう実感がしてきたのがここ2~3年だったんですよね。鈴鹿8耐で勝った頃、世界選手権、SBKで勝った頃にできていた、スポーツ選手としての技術が出せれなくなってきました」

「だったら、ライダーとしてじゃない形、支える側として優勝を目指せる形を作っていこうと。今回はヨシムラさんの車両、ライダーの渡辺一樹、経験をともにしてきたうちのチームスタッフと自分がいれば、勝てるんじゃないか。そのパズルが揃った気がするので、覚悟して、全日本ロードのライダーとしては“卒業”とさせてもらいます」

加賀山就臣の全日本ロードレース卒業/第49回東京モーターサイクルショー

「怪我が多いライダーだったので、怪我の痛みとか、この年になると朝起きれないくらい強いわけ。今年で48歳だけど20代のトレーニングをし直して、戦うモチベーションも若い頃はあったけど、年々痛みが強くなる。流石にそこへたどり着けないなと覚悟が見えてきちゃったんですよ」

 全日本ロード以外のレース参戦については、続ける可能性があることも加賀山は語った。

「自分はオートバイというものが大好きなので。少しでもオートバイに乗る活動、例えば皆さんと一緒に出られるホビーレース、イベントレース、ツーリングイベント、そういうものはもうやめれない病気みたいなもんなんで(笑)。オートバイに乗ることはやめないし、面白いイベントレースがあれば、出ていきたいなと思います」

「鈴鹿8耐も、流石に優勝争いはできないかもしれないけど、盛り上げ役としてね、企画できたらいいな。機敏な走りというのはもうお見せできなくなるかもしれないけど、皆さんを楽しませるレースはやるかもしれないです」

YOSHIMURA SUZUKI RIDEWINの体制発表/第49回東京モーターサイクルショー

■今後の取り組み

 YOSHIMURA SUZUKI RIDEWINの代表・監督としての活動について、加賀山はこう意気込んだ。

「全日本ロード(JSB1000)は全部で13回のレースがありますが、チャンピオンを目指すからには半分くらいを目標にして、まずは1勝を最初の目標にしてスタートしたいと思っています」

「リザルトも絶対一番は大事だと思います。優勝やチャンピオンは一番目に見えるお返しだと思いますが、それと同等以上に大事だと思うのは記憶に残る熱いレースをすることです。熱いレースをさせられる環境を作ることが大事だと思うので、新しいチームでもそれを作りたいし、今年乗る渡辺一樹にも人の心を動かすレースをすることが恩返しなのかなと思います」

 その他、「同時に二輪のことも支えていきたいなと思っています」と新たな取り組みについても説明した。

「二輪用の駐車場があまりないとか、二輪の盗難が多いとか、どこに乗りに行っても迷惑扱いされたりとか二輪は問題も多いじゃないですか。そういう二輪の問題を解決したいと思って、二輪のトータルの問題解決をする団体も作ったりしたので、その活動も続けていきたいのと、モータースポーツとストリートのライダーが少しでも近づくような形を作っていきたいなと思っています」

加賀山就臣の全日本ロードレース卒業/第49回東京モーターサイクルショー

■スズキ、ファン、関係者への感謝

 全日本ロードのライダーから現役を引退することを語った加賀山は、32年間過ごしたスズキやファンへの感謝を述べた。

「実はすごく伝えたいことがありました。32年間ライダーとして支えてくれたのは、このスズキなんですよね。自分は18歳からスズキと契約しましたが、そのころは本当にダメダメなライダーだったんですよ。乗れば壊す、乗れば転ぶ、私生活もやんちゃな人間で。でもそれをすべて諦めずにずっと育ててくれたのがスズキでした」

「諦めないで契約してくれたことによって、世界戦でも鈴鹿8耐でも勝てるようになって、本当にスズキのおかげだなと思っています。ライダーとして支えてくれた32年間、スズキにありがとうございましたと伝えたいとともに、ファンの皆さんがいたからこそ、ここまで続けて来れたので、ライダーとしては一区切りつけますけど、ありがとうございましたと伝えたいです。関係者、スポンサー、ファンの力があったからリハビリも超えれたんだと思います」

 最後には「32年間レーシングライダーとして支えてくれて、痛い思い出もありますが、いい思い出がいっぱいです。これからは業界を支える監督だったり、支援する側として二輪により深く関わり、セカンドステージも頑張っていきますのでよろしくお願いします。ありがとうございました」と締めた。

加賀山就臣の全日本ロードレース卒業/第49回東京モーターサイクルショー

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