英国が誇る名ギタリストアルヴィン・リー率いるテン・イヤーズ・アフターの傑作『ア・スペース・イン・タイム』

『A Space In Time』(’71)/Ten Years After

ギターヒーローが看板のバンドというのは今でも多いのだろうか。今回ご紹介するバンド、テン・イヤーズ・アフターもアルヴィン・リーという凄腕ギタリストを擁したバンドだった。

70年代、某音楽雑誌に毎号人気投票のページがあり、バンド、ヴォーカル、ベース、ギター、ドラム等それぞれ紹介されていた。おおむね上位は人気バンドのそれに比例するものだった。ただ、ギターについてはトップ3は不動で、クラプトン、ベック、ペイジと揺るがない。固定バンドで活動しているのはジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)だけで、ベックはソロ、クラプトンはドラッグ、アル中で表に出てこないという状態でもだ。3位以下は故人ながらジミ・ヘンドリックス、元ビートルズということでジョージ・ハリスンとか、いかにも日本人の国民性が表れるようで、人気投票もなかなか面白かったものである。

その某音楽雑誌の人気投票の1972年のバンド部門ではテン・イヤーズ・アフターは12位につけている。悪くないポジションである。だから、アルヴィン・リーも必ずトップ10に入るギタリストだった。当時アルヴィン・リーは「世界一の速弾き男」と呼ばれていたものだ。ただ、現在の耳で聴けばアルヴィンもタッピング奏法なども駆使しているし、エディ・ヴァン・ヘイレンやスティーブ・ヴァイの登場以降のギタリストと比べて格別に速いわけではないのだが、確かに速いのは早い。数値化したわけでもないし、根拠などないのだから本人も苦笑するしかなかっただろうけれど、バンドの売り文句として、世界一の速弾き男(ギタリスト)がいるロックバンド、は十分に効果あったと言える。

ただ、アルヴィンはギターも弾きつつリードヴォーカルもこなさねばならず、さらに言えばソングライティングも担っていたわけで、ただ弾いてりゃいい、という立場ではなかったはずなのだ。

Ten Years After / テン・イヤーズ・アフター

前身バンド、「The Jaybirds」からメンバーチェンジを経て、アルヴィン・リー(Alvin Lee)/ ヴォーカル、ギター、チック・チャーチル(Chick Churchill)/ キーボード、レオ・ライオンズ(Leo Lyons)/ ベース、リック・リー(Ric Lee)/ ドラム、パーカッションの4人編成で、バンドは1966年に結成されている。あくまでブルースをベースにしながら、ハードに演奏するというスタイルなのだが、クラプトンのいたクリームがやったものに比べれば、彼らは断然まとまりのいい演奏を聴かせたし、オリジナルの楽曲の質も高かった。そして、俄然人気のレッド・ツェッペリンよりオーソドックスなブルースを志向している、といったところだろうか。バンドはデビュー作『テン・イヤーズ・アフター・ファースト(原題:Ten Years After)』(‘67)から高い評価を受け、評判のライヴの勢いを封じ込めた『イン・コンサート(原題:Undead)』(‘68)もヒット、初のアメリカツアーも組まれ、人気はうなぎ登りだった。翌年には『ストーンドヘンジ(原題:Stonedhenge)』、『夜明けのない朝(原題:Ssssh)』(ともに’69)と2枚もリリースし、特に『夜明けのない朝』は『ウッドストック・フェス』後に出したアルバムで、人気最高潮のタイミングということもあり、米ビルボード 200で20位、英UKチャートで4位にまで上り詰めている。

70年代に入っても『クリックルウッド・グリーン(原題:Cricklewood Green)』(‘70)が全米14位、同年に出した『ワット(原題:Watt)』(‘70)は全米21位(ドイツやオランダ、北欧では一桁台のチャート入)と見事と言うしかない成績を収めている。これでシングルヒットがあれば米英トップ5も狙えたかもしれない。

先述の1969年の『ウッドストック・フェス』。後に公開されたドキュメンタリー映画では数々の名場面が記録されていて、以前にもこのコラムでジョー・コッカーのシーンを名演(怪演?)と紹介したが、テン・イヤーズ・アフターのレオ・ライオンズの激しいベース演奏とアルヴィンの10分余りの長尺での「アイム・ゴーイング・ホーム(原題:I’m Going Home)」の演奏シーンも名演のひとつに数えられている。もっとも、個人的には冗長に感じられる演奏で、もっとコンパクトにまとめたほうがカッコ良かったのではないかと思うのだが、フェスという檜舞台であり、その場の行きあたりばったりの長い演奏になったのだろう。その映画ではいまいち分からないが、夜の出演で照明を浴び、トレードマークとも言えるチェリーレッドのギブソンのES-335を弾きまくるアルヴィンの姿は実に見映えがしたはずだ。日本でもこの映画によってテン・イヤーズ・アフターとアルヴィン・リーの名前はロック・リスナーに刻まれた。彼自身は「アイム・ゴーイング・ホーム」に代表される、ギター弾き倒しの演奏形態は、いくらウケようとも、あまり執着しなかったようなのだが。

※アルヴィンの使用するGibson ES-335、通称「Big Red」がいつごろからメインギターとして使われるようになったのかは定かではないが、1969年に撮影されたドイツでのスタジオリハーサルの動画を見ると、アルヴィンがフェンダーのストラトキャスターを弾いている非常に珍しいシーンが見られる。たまたまギブソン機がメンテナンス中だったのか? 以降、現存する彼の演奏シーンは全て「Big Red」、まさに愛機だったのだろう。

ハード一辺倒から、 バンドの表現域を拡大した 『ア・スペース・イン・タイム』

本作は速弾きばかりに注目がいくことにうんざりしてきたアルヴィンの心境も反映されているのではないか。「バリバリ弾いてりゃいいってもんじゃないんだ、俺はギター馬鹿じゃない」とアルヴィンが言ってるように思えてくるのだ。これまでになくアコースティックギターを多用、かつ効果的に使い、サウンドに奥深さがもたらされている。とはいえ、エッジの利いたエレキの切れ味は鋭く、スーパーギタリストの名に恥じない攻撃的な演奏を聴かせる。根底になるロックンロール、ブルースを垢抜けないスタイルで、これでもかと聴かせてくれたりする。通算6枚目。チャートアクションはビルボード200で最高位17位を記録している。シングル曲「チェンジ・ザ・ワールド(原題:I’d Love to Change the World)」もヒットするなど、彼らの最高作と推すファンも多い、重要作である。ちなみにこの翌年には同レーベル(クリサリス)のプロコル・ハルムとジョイントで初来日公演が行なわれている。

Alvin Lee / アルヴィン・リー

アルヴィン・リーは1944年、英ノッティンガム生まれ。ギターを始めたのは13歳ということなので、日本の中学生がロックだとかギターに興味を示し出すのと大差ないわけだが、アルヴィンの場合のきっかけはエルヴィス・プレスリーだったという。エルヴィスが1954年に「ザッツ・オール・ライト(原題:That’s All Right) / ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー(原題:Blue Moon of Kentucky)」でデビューし、「ハートブレイク・ホテル(原題:Heartbreak Hotel)」や「ハウンド・ドッグ(原題:Hound Dog)」と次々とヒットを連発し、カール・パーキンスが「ブルー・スエード・シューズ(原題:Blue Suede Shoes)」、ジェリー・リー・ルイスが「陽気にやろうぜ(原題:Whole Lotta Shakin’ Goin’ On)」と、ロックンロール旋風が巻き起こっていた頃、アルヴィンはリアタイムでそれに感染していたわけだ。ということは、彼の憧れのギタリストはエルヴィスのバンドでギターを弾いていたスコッティ・ムーア(Scotty Moore)なのだろう。私は専門がギターではないので詳しいことは分からないが、それでもアルヴィンのギターを聴くと、随所にロカビリーでよく耳にするギャロッピング奏法が出てくることがわかる。あと、彼は両親が集めていたジャズやブルースのレコードに影響を受けた、という発言を残しており、影響元はそのあたりかと思う。『ア・スペース・イン・タイム』のエンド曲「アンクル・ジャム(原題:Uncle Jam)」ではサラッとジャズ・ギターの即興演奏を披露している。

テレビドラマに採用された テン・イヤーズ・アフターの曲

ここから話は一気に40年ほど飛ぶが、2015年7月、NHKのBSプレミアムで放送されたドラマ『洞窟おじさん』(主演:リリー・フランキー)の番組冒頭で、なんとテン・イヤーズ・アフターの『ア・スペース・イン・タイム』のオープニングを飾る「ワン・オブ・ジーズ・デイズ(原題:One of These Days)」が流れたのは衝撃的だった。きっと、20年以上、聴くことがなかったその曲。キーボード(メロトロン?)のフェードインに続き、ギターの強烈な一撃、そしてアルヴィンの無伴奏ヴォーカルで♬ One of These Days〜と始まるイントロのカッコ良さには、懐かしさとともに一瞬時間が止まってしまうほど心が震えた。同ドラマは他にもドアーズやヴェルベット・アンダーグラウンドの曲が使われたり、レッド・ツェッペリンの「レイン・ソング(原題:The Lemon Song)」「天国への階段(原題:Stairway to Heaven)」がこれまた効果的に使われたりと、ディレクター? サウンド担当のスタッフ? もしかしてリリー・フランキー? の趣味、好みが思いっきり反映されていたが、それにしてもテン・イヤーズ・アフターのこの曲に目をつけるとは、正直言ってそのセンスに脱帽だった。

話を戻すと、本作の翌年には再びエレキ弾きまくりの好盤『ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド(原題:Rock & Roll Music to the World)』(‘72)を作り、その勢いのまま2枚組のボリュームで『ライヴ!(原題:Recorded Live)』(‘73)が出る。このあたりがバンドのピークで、テン・イヤーズ・アフターは1974年にいったん活動を停止する。

アルヴィンはその後、ソロに転じ、米国南部のスワンプ・ロッカー、マイロン・ルフェーヴルと組んでレイド・バックしたアルバム『自由への旅路(原題:On The Road To Freedom)』(’73)を出し、新しい方向性を探ったりしている。その作品にはジョージ・ハリスンやロン・ウッドが匿名で参加するなど話題になった。だが、テン・イヤーズ・アフター復活を望む声はあとをたたなかったようだ。90年代に入ると、アルヴィンはTen Years Laterという、かつてのバンドのパロディーみたいな名でのソロプロジェクトをやってみたり、オリジナルメンバーでのテン・イヤーズ・アフターのリユニオンなどやっていた。ご多分にもれず、彼らも70年代に大活躍したバンドやアーティストの“昔の名前で出ています”的な活動をやっていたことになる。こうした再結成後の動画などもたくさんアップされていて見ることができるが、感心するのは、アルヴィン以下、メンバー全員、演奏力に衰えをほとんど感じさせなかったことだ。“あの時代”を生き抜いてきた人たちのいい意味でのしぶとさ、耐久性を改めて思わせられることでもある。

残念なことに、アルヴィンは2013年に病に倒れ、68歳で亡くなっている。彼亡きあとも、テン・イヤーズ・アフターはキーボードのチック・チャーチル、ドラムのリック・リーを軸に、若いギター・プレイヤーを加えて活動を続けているという。ベースのレオ・ライオンズは1974年の解散後はプロデューサーに転身して成功を収めている。

TEXT:片山 明

アルバム『A Space In Time』

1971年発表作品

<収録曲>
1. ワン・オブ・ジーズ・デイズ/One Of These Days
2. ヒア・ゼイ・カム/Here They Come
3. チェンジ・ザ・ワールド/I'd Love To Change The World
4. オーヴァー・ザ・ヒル/Over The Hill
5. ロックン・ロール・ユー/Baby Won't You Let Me Rock 'N' Roll You
6. 過ぎたむかし/Once There Was A Time
7. レット・ザ・スカイ・フォール/Let The Sky Fall
8. ハード・モンキーズ/Hard Monkeys
9. アイヴ・ビーン/I've Been There Too
10. アンクル・ジャム/Uncle Jam

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