安全保障の約束「燃えてしまった」 一度裏切られたウクライナの得た教訓とは

演説するウクライナのゼレンスキー大統領=3月17日(大統領府提供、ゲッティ=共同)

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で、戦闘の合間に続く両国の停戦協議をめぐり、ウクライナ側は自国の安全保障に法的拘束力を持たせることにこだわりを見せた。過去、ロシア、欧米から同様の「保障」を得たにもかかわらず、裏切られた苦い経験があるからだ。そこから得られた教訓とはどのようなものだろうか。(共同通信=太田清)

 ▽NATO加盟断念と引き替えに…

 3月29日、トルコのイスタンブールで対面形式で再開した停戦交渉。ウクライナ側はロシアがかねて求めてきた北大西洋条約機構(NATO)加盟断念と引き換えに、米ロ、中国を含む国連安全保障理事会5常任理事国(P5)に加え、イスラエル、ポーランド、カナダ、トルコなど関係国による安全保障の枠組み構築を要求した。ウクライナの「中立化」・非核化と、その見返りの国際的安全保障の要求は、同国のゼレンスキー大統領が以前から主張していた。

 ラトビアに本拠のある独立系ネットメディア「メドゥーザ」によると、ウクライナ代表団がロシア側に示した要求は計10項目。安全保障の枠組みについては、関連する事項を含め6項目で触れられており、ウクライナ側が重視していることがうかがわれる。

停戦交渉に出席したロシアのメジンスキー大統領補佐官(左)=3月29日、トルコ・イスタンブール(タス=共同)

 枠組みは条約としてP5・関係国との間で策定し、また、ウクライナ側では国民投票でその是非を問うた上で憲法を改正する。

 ウクライナが将来、第三国から攻撃を受けた際は、条約参加国は3日以内にウクライナに飛行禁止区域設定などの協力を提供するとしているが、一方で中立国としてウクライナ国内には外国軍の基地、部隊を置かないとしており、どこまで安全保障の実効性があるのか疑問もある。

 ウクライナ側としては条約について、ロシアを含め条約参加国に議会での批准を要求した。過去の核兵器放棄を巡る国際的枠組みが関係国により履行されず、「領土の一体性」が一方的に破られた苦い教訓もあり、条約に法的拘束力を持たせることに腐心している。

 ▽ウクライナ、世界3位の核大国に

 ここで、ウクライナが核放棄の際にロシアを含む関係国と交わした取り決めを振り返りたい。この取り決めは、1994年12月にハンガリーの首都ブダペストで開催された全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議の場で署名されたことから「ブダペスト覚書」と呼ばれる。

 91年のソ連崩壊後、ソ連を構成する15共和国のうちロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの4カ国に核兵器が残されたが、中でもウクライナには1200発以上の核弾頭が残され、当時としては米ロに次ぐ世界第3位の「核大国」になることになった。

3月12日、ロンドンで「ブダペスト覚書」と書かれたプラカードを持ち、ロシアを批判するデモ参加者(ゲッティ=共同)

 核不拡散とP5による核独占を戦後の外交政策の基軸とする米ロは、ウクライナに対しロシアに核を移送し、核拡散防止条約(NPT)に加盟するよう圧力をかけた。その際にウクライナで議論になったのが、隣国ロシアの存在。両国間にはウクライナ南部クリミア半島の領有権、同半島のセバストポリを母港とする黒海艦隊の所属、ロシアからの石油・ガス価格を巡る係争があったほか、ウクライナ東部ドンバス地域のロシア系住民の分離運動もあり、何の保障もないまま、核兵器を手放せば将来的に、ロシアから武力侵攻されるとの懸念が強かった。

 ▽クリントン、エリツィンが約束

 こうした懸念に対する保障として、米ロが提示したのが「ブダペスト覚書」だった。覚書には、核3大国の当時の首脳だったクリントン米大統領、エリツィン・ロシア大統領、メージャー英首相と、クチマ・ウクライナ大統領が署名、ウクライナはこの後、核拡散防止条約(NPT)加盟の手続きを行った。後に中国とフランスもほぼ同様の内容をウクライナに文書で保証した。

1994年12月5日、ブダペストで開催された全欧安保協力会議(CSCE)で、クリントン大統領(右)の隣に立ち額をぬぐうエリツィン・ロシア大統領(ロイター=共同)

 覚書は6項目からなり、ウクライナがNPTに加盟し、核兵器をロシアに移送することと引き換えに、署名国が(1)ウクライナの独立、主権を侵さず、国境線を変更しない(2)核兵力を含む武力行使や威嚇、経済制裁を行わない(3)ウクライナに脅威が生じた場合、安保理の行動を要請する―と約束するもので、核と引き換えにウクライナの安全を保障する内容となっている。条約のように各国議会で批准こそされなかったものの、ウクライナは以後、首脳が署名しており一定の法的効力を持つ文書と主張してきた。

 ▽財政事情が許さず

 実はたとえ、当時のウクライナが核兵器を維持しようとしたとしても、核兵器の運用システム、保持補修のための施設、核弾頭の生産拠点はすべてロシアにしかなく、こうしたシステム構築には多額の支出が必要だった。

ウクライナのクラフチュク元大統領(共同)

クラフチュク元ウクライナ大統領は後に、核兵器維持には650億ドル(現在のレートで約7兆9000億円)の経費が必要で、ウクライナには負担できなかったと語った。弾道の解体をしようにも解体設備もロシアにしかなかった。

 さらに、核放棄を拒否すればソ連崩壊による混乱で経済的に疲弊していたウクライナが国際的に孤立、欧米からの経済支援も受けられない状況に陥ることは必至で、事実上、核保有を続けることは不可能だった。ウクライナの核兵器はその後、96年までにすべてがロシアに移送された。

 ▽約束したのは「核攻撃しないこと」

 ロシアとウクライナの関係はその後も、親ロシア派政権が倒された2004年のオレンジ革命、天然ガスをめぐる「ガス紛争」など、ぎくしゃくしていたが、14年2月に親欧米派の野党勢力が親ロシア派、ヤヌコビッチ政権を倒した直後に、ロシアはクリミア半島を武力で制圧、その後、住民投票を経て強制編入した。

 ウクライナ東部ではロシアの支援を受けた親ロシア派武装勢力がウクライナ政府軍と衝突し内戦化。ウクライナは「覚書」の明確な違反と抗議するが、プーチン・ロシア大統領はウクライナ野党勢力が「不法な革命」によりヤヌコビッチ大統領を追放した結果、ウクライナには新しい政府が誕生したのであって、この新政府に対しロシアは何の国際法上の責務も負わないと強弁。また、ラブロフ外相もロシアが約束したのは「ウクライナを核攻撃しない」ことだけだと主張した。

 プーチン氏は後に、ヤヌコビッチ政権が崩壊した際、核兵器使用の準備をするようロシア軍に指示したことを明らかにした。一方、ロバートソンNATO元事務総長は「ウクライナが核放棄しなければ、クリミア編入もドンバス地域介入もなかっただろう」と指摘した。

3月18日、モスクワで開かれたクリミア半島編入8周年の集会に参加し、手を振るプーチン大統領(ロイター=共同)

 そして今年2月24日、プーチン氏はウクライナに対する「特別軍事作戦」を実施。同国の主権は完全に侵害され、領土の一体性の原則は無視された。プーチン氏は侵攻後の27日、ショイグ国防相に対し「NATO加盟国首脳らから攻撃的な発言が行われている」と述べ、核抑止力部隊を高い警戒態勢に置くよう命じ、“核の威嚇”とも取れる発言をして、米国などをけん制した。

 ゼレンスキー大統領は3月初め、覚書を引き合いに「NATO加盟国ができることは覚書を燃やすために50トンのディーゼル燃料を持ってくること。われわれにとって覚書はもう燃えてしまった」と述べ、軍事介入に消極的なNATOを批判。また、4月3日の米CBSテレビとのインタビューでは「覚書は一枚の紙切れに過ぎなかった。だからもう、紙切れだけを信じない」と、安全保障に法的拘束力を持たせる必要性を強調した。

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