サカナクションの『GO TO THE FUTURE』で示された、これまでになかった混ぜ合わせを試みる音楽的実験

『GO TO THE FUTURE』('07)/サカナクション

3月30日、サカナクションのニューアルバム『アダプト』がリリースされた。本作はコンセプトアルバムであって、昨年から続く一連の音楽プロジェクトのひとつ。単に新作を発表するとか、ツアーをやるということではなく、その全体にある種、壮大な意味を持たせているのは、何ともサカナクションらしいところだ。当コラムではそんな“サカナクションらしさ”を、デビュー作『GO TO THE FUTURE』から探ってみた。今になって思えば、この『GO TO THE FUTURE』というタイトルも示唆的で、これすらも“らしい”印象だ。

“マジョリティの中のマイノリティ”

筆者自身、ここまでとりわけ熱心にサカナクションを聴いてきた者ではないが、常に傍らでその音楽には触れているような気がしている。なぜだろうと考えたら、自分が就寝前に見るTVニュースが大体TBS系『NEWS23』だからだと気づく。あと、SoftBankのCMでも「新宝島」や「忘れられないの」を聴いていた記憶もはっきりあるし、ちょっと前だと思うがTOYOTA“ヤリスクロス”のCMもサカナクションだったことを思い出す(あれはCM用の書き下ろしの新曲だった模様)。意識せずとも耳にする機会の多いサカナクションである。その他にも彼らの楽曲はドラマ主題歌、バラエティ番組のテーマ曲、映画主題歌にも起用されている(「新宝島」はCMより先に映画『バクマン。』の主題歌だった)。サカナクションは間違いなく2010年代の邦楽を代表するバンドのひとつだろう。

とすれば、こうしてその楽曲が巷に溢れているのも当然のことかと思いつつ、サカナクション関連のネットの記事をあれこれ見ていると、件の『NEWS23』の関連で、山口一郎(Vo&Gu)の発言に興味深いものを見つけた。以下、ちょいと引用させていただく。

[マジョリティでいることってすごく大変だけど、マジョリティの中のマイノリティでいることっていうのは、できるんじゃないかなっていう][クラスの中の20人にイイネと言われるものを作るのは、ちょっと自分にはできないけれど、クラスの中の1人か2人に深く刺さる音楽を作ることはできそうというかんじです。でもそれが全国になれば、マジョリティになるじゃないですか]。

上記の通り、すでに彼らの楽曲の多くにタイアップが付き、自分のような者でも何気なく耳にする機会もあるわけで、サカナクションの音楽は一般的にはもはやマイノリティではないとは思うのだが、この発言にはなるほどと思わせられるところではある。マジョリティとマイノリティ。その絶妙なバランスは確実にこのバンドにはあるように思う。また、同じ記事の中で彼はこんなことも言っていた。

[新しい感情を発明するには、混ざり合わないものを混ぜ合わせた「良い違和感」がないと、人にひっかからないと思うんですよ。僕はそういった感情と感情の交ざり方みたいなものを音楽で作れたらいいなと思っています。喜怒哀楽以外の新しい感情を発明するのがテーマです。]

混ざり合わないものを混ぜ合わせる。これも確かにサカナクションの音楽から感じるものではなかろうか。[マジョリティの中のマイノリティ]もそれに含まれているように思う。

…そんなわけで、以下、その観点からサカナクションの楽曲を眺めてみたい。その際の音源は何にしようかと考えると、チャート初登場1位を記録した6thアルバム『sakanaction』(2013年)がセルフタイトル作だけあって自他ともに認める傑作だろうし、これが適切なように思えるが、ここはあえてデビューアルバム『GO TO THE FUTURE』をチョイスさせてもらうこととした。それは“デビューアルバムにはそのアーティストの全てがある”という当コラムで多用している仮説に基づいてのものだが、結成からあまり時間が経っていない時のほうがそのバンドのコンセプト、音楽性、方向性といったものがより露わになっているのではないかとも考えたからだ。正直に言えば、冒頭で述べた通り、筆者自身が熱心にサカナクションを聴いてきていないからでもある。一からこのバンドのことを考察しようとすると、やはり最初からなぞるしかないのである。その辺もお含みいただければ幸いである。

(ここまでの[]は『NEWS23』公式noteより引用)

混ざり合わないもの同士の融合

オープニングM1「三日月サンセット」。イントロでの旋律が(あれはシンセだろうか)左右に振られて鳴らされている箇所から不思議な世界観に誘われる。わずか10秒足らずのタイムにもかかわらず、しかも、音数は少ないというのに、独特の雰囲気を醸し出しているのは、やはりすごいと言わざるを得ないだろう。これをサカナクションの楽曲と知らない段階で聴いたとしても、いい意味で“おや?”と思わせるものである。そこからギター、ベース、ドラムが入ってバンドサウンドとなり、歌が始まる。メロディアスではあるものの、サウンドがループミュージックに近い感触であることもあってか、比較的淡々している印象。ただ、ファンク…とは言い切れないけれども、ダンサブルではあって、それがサビでダイナミックに展開する。各パートも躍動的にそれぞれの音を鳴らし、それが折り重なってひとつの楽曲を形成していくという、極めてバンドサウンドらしいバンドサウンドだ。楽曲の基本構造はAメロとサビというシンプルなものだが、5人それぞれがそこに抑揚を与えているという言い方をしてもいいだろうか。イントロで聴こえてくる音のような、エレクトロ的なクールさがある一方で、人力での熱もしっかりとそこにある。まぁ、その辺は1980年代から存在する手法ではあるので、それをことさらに“混ざり合わないものを混ぜ合わせている”と言うのもアレだが、デビューアルバムの1曲目から、その意気込みを垣間見ることができるのではなかろうか。また、歌の主旋律も印象的。特にサビメロは単純にキャッチーだとかメロディアスだとかいうことではなく(それも確かにあるが)、独特の色っぽさを感じさせる。この辺りは今に至るまで、いい意味で変化がないことが分かると思う。興味深く感じたのは歌詞。こんな感じだ。

《僕はシャツの袖で流した涙を拭いたんだ/空には夕暮れの月 赤い垂れ幕の下/もどかしく生きる日々の隙間を埋めた言葉は/頼りない君が僕に見せる弱さだった》《下り坂を自転車こぐ いつも空回り/東から西 果てから果てまで通り過ぎて行け》《夕日赤く染め 空には鳥/あたりまえの日没の中で/君は今 背中越しに何を言おうか考えてたんだろう》(M1「三日月サンセット」)。

物語的な観点から見たらその内容がはっきりと分るものではないけれども、どことなく花鳥風月を感じるというか(《赤い垂れ幕》≒花、《空》《自転車こぐ》≒風)、日本的な情緒があるようには思う。エレクトロ要素を交えたバンドサウンドでありながらも、そこに和テイストがあるというのは、まさに山口一郎が言うところの“良い違和感”なのかもしれない。そんなふうにもちょっと思える。

と、アルバムの冒頭から半可通なりにサカナクションらしさを感じていると、M2「インナーワールド」以下もその感覚が持続していく。本格的にサカナクションワールドに突入するという感じだろうか。M2はシンセの音がいかにもシンセで、M1以上にデジタルミュージックを感じさせる。それでいて、リズムは4つ打ち。ギターのカッティングも楽曲全体を引っ張る、軽快なダンスチューンである。ディレイの深さや、《思い込んで合図した》とか《噛み砕いて吐き出した》といった言い回しが続く歌詞にも“らしさ”を感じるところだが、その最たるものはAメロでの《描いた 描いた 描いた 描いた》の繰り返し箇所だろう。ここはかなり特徴的であって、デビュー作からこうであったことは、コンポーザーである山口の早くからの非凡さをはっきりと示していると思う。

M3「あめふら」でもシンセがリバースっぽい音や8ビット的な音を出していて、これもデジタル感じが強い。かと思えば、全体的にはファンキーなノリがあるナンバーであって、後半ではテンポを落としてインプロビゼーション的な演奏になるという、摩訶不思議な構成。まったくひと筋縄ではいかないが、それもまた“良い違和感”と好意的に受け止めたい。タイトルチューンのM4「GO TO THE FUTURE」も、今現在のサカナクションを感じさせるという意味で興味深い。主旋律が所謂ヨナヌキ音階である。ギターもオリエンタルなムードだし、ピアノの旋律もどこか唱歌や童謡っぽい。和風、日本的なのである。それでいて、サウンドはややジャジーなバンドサウンド。間奏ではリバースっぽい音も聴こえてくるが、M1~M3に比べてデジタルな匂いは薄い。それはそれでバンドらしく、ここもまたいいところではないかと捉えたところではある。

実験的でありながらもポップ

アルバム前半で、バンドのコンセプトや方向性は明らかにされた感じだし、本稿で試みた“混ざり合わないものを混ぜ合わせている”への考察はもはや十分のように思えるが、残り4曲もザっと見ていこう。

M5「フクロウ」は派手さこそないが、いいメロディーを持ったナンバー。これもまた幻想的なサウンドで、アコギを取り入れているからか、若干フォーク寄りにも感じられるし、そう思うと、余計に全体の雰囲気がセンチメンタルにも思える。2番以降はギターを始め、各パートがそれぞれの個性を活かしているようであって、その辺はバンドたる所以の発露であろう。M6「開花」も地味めではあるけれど、バンドアンサンブルといい、メロディーといい、なかなかいい感じ。この楽曲でもメンバー個々のプレイが合わさることでそのサウンドを構築していることがしっかりと確認できる。

M7「白波トップウォーター」は、まずタイトルがいい。何とも“らしい”。M1同様、左右に振られるシンセの音から始まるが、ここまで来ると、その音色にも慣れてくる感じもあって、これはこのバンドならではのものだと認識するところではあるし、《眩しくて 眩しくて》《笑うんだ 笑うんだ》のリフレインにも“らしさ”を感じるところ。また、ギターのアルペジオサウンド、コード感にはUKからの影響を感じられて、そこはちょっと発見でもあった。M8「夜の東側」はメジャー感が強めでありつつ、サビはどこかノスタルジックな印象。本作ではここまでになかったコーラスワークも新鮮で、別の幻想感を生み出している。“こういうこともできるのか?”とバンドの懐の深さを感じ取れた。

後半は駆け足で本当にザっと解説してしまったけれど、ひとつ肝心なことを言い忘れた。デジタルの導入とか、個性的なバンドアンサンブルとか、歌詞の叙情性とか、また、それらが渾然一体になっているとか、『GO TO THE FUTURE』収録曲の特徴、引いてはサカナクションの方向性といったものを見てきたが、最も注目すべきことは、それらが実験的なままに打ち出されているのではなく、あくまでもポップに、大衆性を損なうことなく仕上げられているところだろう。そのスタンスだけを抽出したら、新しい音楽を試みる気鋭のアーティスト集団といった感じで(それはそれで間違っていない形容だろうけど)、ややもすると衒学的と捉えられなくはない。しかしながら、それがほとんど感じられないのは特筆すべきところだろう。難しいことをやっているのは間違いないが、歌はもちろんのこと、シンセやギターの旋律にしてもそれらを自然と鼻歌で諳んじてしまうようなところがある。実験的でいて大衆的なのである。これも冒頭から述べている“混ざり合わないものを混ぜ合わせている”ことであろうか。

最後に──これは案外、今現在まで続くサカナクションの大きな特徴であり、彼ら…というよりも、山口一郎の比類なき部分と言っていいと思うが、ここまで述べてきたようなバンドのスタンスや方向性、楽曲制作の背景を作者である山口一郎自身が舌鋒鋭く論じていることである。本作『GO TO THE FUTURE』はリリースされた当時、スペシャルサイトが開設され、そこには山口自身による曲の解説が記されていたという(現在は閉鎖)。他者の解説ではなく、作者自身がそれをやるのはそれほどある事例ではなかろう。デビュー時から…となると稀だと思う。

また、本作の解説以外でも、昨年までEテレで放送されていた『“シュガー&シュガー”サカナクションの音楽実験番組』でも山口の話術(?)は確認できたし、先日4月3日にオンエアされたテレビ朝日系バラエティ番組『関ジャム 完全燃SHOW』でも巧みな弁舌で自身の音楽について語っていた。冒頭に記した『NEWS23』公式noteから抜粋させていただいた発言にしてもそうだろうし、これ以外にもたくさんあろう。音楽性に優れたバンド、アーティストはたくさんいるが、そういう方々は案外それを語るのが苦手だったりする。喋りの得意なアーティストもいて、それこそバラエティ番組に対応できるようなスキルを持っているが、その音楽性が革新的かと言われると──これは筆者の私見と前置きするけれども、これもまた案外そうでもないような気がする(別に革新的ではない音楽が悪いということではない)。山口一郎はその両面を併せ持っている稀有なアーティストと言える。そこもまた“混ざり合わないものを混ぜ合わせている”のだ。

TEXT:帆苅智之

アルバム『GO TO THE FUTURE』

2007年発表作品

<収録曲>
1.三日月サンセット
2.インナーワールド
3.あめふら
4.GO TO THE FUTURE
5.フクロウ
6.開花
7.白波トップウォーター
8.夜の東側

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