「予想通り」の戦力外通告 元MVPのベテラン左腕が独立リーグに身を投じた理由

栃木ゴールデンブレーブスに加入した吉川光夫【写真:羽鳥慶太】

2012年パ・リーグMVPの吉川光夫投手が栃木ゴールデンブレーブス入り

ルートインBCリーグを戦う栃木ゴールデンブレーブスに今季、元西武の吉川光夫投手が加入した。NPB通算55勝、日本ハム時代の2012年には14勝とリーグトップの防御率1.71という成績でパ・リーグMVPに輝いた実力派だ。6日が34歳の誕生日、ベテランと呼ばれる年齢で独立リーグに身を投じた理由とは。

2006年、高校生ドラフト1位で広陵高(広島)から日本ハム入りした吉川は、選手生活の浮き沈みを何度も経験してきた。2007年には新人ながら4勝を挙げ、日本シリーズでも先発。その後は制球難から勝ち星に見放され、実に4年越しの12連敗も記録した。2012年の大活躍の翌年はリーグ最多敗戦を喫し、2017年からは巨人、そして2019年途中に古巣日本ハムへと移籍を経験した。そして昨季、3度目の移籍で西武入り。ただ1軍5試合で防御率16.62と納得いく成績は残せなかった。

「西武には感謝しかないです。日本ハムで終わっていたはずのところを、1年間やらせてくれたんですから」。開幕1軍を果たし、足りない左腕リリーフとしての期待を背負った。ただ、ボールが行っていないことは自分が一番良く分かっていた。「球速が出なくて……。平均で140ちょっとと言うところでしたね。たまに148、149くらいまでは出るという感じで。投球のメカニックが良くないと思っていたんです。そこを無理やり出しに行こうとしたら、肩をやっちゃって」。

痛み止めを飲みながらのプレー。こんな状態では、戦力外通告を受けるのも「当然というか、予想通りかなと思ってました」と振り返る。参加していた宮崎でのフェニックスリーグから帰京すると10月25日に球団へ呼ばれ、来季は契約しないと告げられた。

実は前年オフ「もう辞める。日本ハムではもう出番がないだろう」と家族に告げていたという。2軍での成績は3勝0敗、防御率2.10。それでも1軍の出番は回ってこなかった。「チームの方針もあるんだろうな」と心も折れかかっていたが、このオフは違った。田中将大、斎藤佑樹を筆頭にした“ハンカチ世代”1988年生まれは今季、34歳を迎える。現役選手も減ってきた中で、現役にこだわる理由は簡単だ。

「やっぱり、投げているボールじゃないですか。自分で投げている感覚は全然悪くない。だから辞めるという発想にならなかった」

海外でプレーする選択肢もあったが、日本に残ることを決断【写真:羽鳥慶太】

「メジャーリーガー」との出会いで変わった考え方、海外移籍も模索

栃木からオファーが届いたのは昨年末。その間、自分のツテも頼って現役続行へ動いた。「海外に行くことも考えていました。メキシコからはオファーもあって」。トレーニングの期間、日本ハムでの後輩にあたり、昨季メキシカンリーグで最優秀投手に輝いた中村勝投手(現オリックス)とも会った。「『めちゃくちゃ楽しいですよ』って言ってましたね。具体的な誘いだったので、真剣に考えていました」。さらに、メキシコよりは日本に近い台湾球界からも話があった。

野球を続けるため、海を渡ろうとまで考えたのは、プロ生活で出会った名選手たちの影響がある。日本ハムでは多田野数人、巨人では岩隈久志、上原浩治といったメジャーリーグでのプレー経験者と出会った。「同級生の澤村(レッドソックス)もメジャーに行きましたし、西武では松坂さんにも会いましたからね」。彼らの考え方、生き方に触れると、海外で視野を広げることが「自分の将来のためになるのは間違いない。そういう勉強をしてみたい」と思うようになったのだという。

結局日本に残ったのは「本気でNPBに戻るのを目指すなら、日本にいたほうがいい」という考えからだった。新型コロナの影響はまだ続いている。特に外国人選手のプレー環境がどうなるかわからないという読みもある。言い方は悪いが、何かあったときが吉川のチャンスになる。

オフの3か月間、肩を休ませた。病院にもかかり、トレーナーに投げ方をチェックしてもらった。「だいぶ良くなった。軽く投げても、いい感じのボールが行っている感じがあります」。コーチ兼任の肩書はあるが、チームからも「メインは選手でいい」と言われている。開幕は4月9日、まずはNPBの新加入選手登録期限となる7月31日までを全力で駆け抜け、チャンスを待つ。(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

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