【日本の美しい禁足地vol.1】薄暗く荘厳な雰囲気~長崎・対馬の「オソロシドコロ」~

歴史や宗教的な背景などで立ち入ってはいけない場所。それが「禁足地」です。この連載では、日本各地にある禁足地にフォーカス。1回目は、長崎県の離島・対馬にある「オソロシドコロ」をご紹介します。名前からして恐ろしい雰囲気を醸し出していますが、なぜこの場所は禁足地になったのでしょうか? 「オソロシドコロ」の歴史と今に迫ります。

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対馬の「天道信仰の聖地」だった!

「オソロシドコロ」がなぜ禁足地になったのかを知るためには、対馬の伝承を振り返ることがポイントです。対馬はかつて対馬固有の「天道信仰(太陽崇拝)」でした。その聖地なのが「オソロシドコロ」です。文字通り「恐ろしいところ」という意味で、八丁郭のほか、裏八丁郭、多久頭魂神社の不入坪の3カ所のことをいいます。

美しい対馬の山々

「天道信仰」の中心人物であった天道法師を祀っている石積みのお墓があります。この天道法師の母は高貴な身分の女性で、対馬に入り口のない虚船に乗って到着。朝日に向かって小用をたしていると、不思議なことに太陽の光で妊娠してしまいます。

そして、673年にその女性から生まれてきた子どもは、「天童(天道)」と名付けられ、奈良の都で仏教の修行を積み、対馬に「天童法師」として帰ってきました。天童は不思議な力を持ち、神の言葉を伝えることができたり、嵐をまとい空を飛ぶことができたそうです。

そのような噂を耳にした文武天皇は、天童なら自分の病を治せるかもしれないと対馬に使者を送り、天童法師を呼びつけました。17日間の祈祷の末、天童は文武天皇の病を癒すことに成功。文武天皇は天童にとても感謝して、「宝野上人」と「贈り名」したそうです。

「八丁郭(はっちょうかく)」と「裏八丁郭(うらはっちょうかく)」とは?

神秘的な森に佇む八丁郭 (C)PR TIMES

龍良山(たてらさん)は、天童法師が神事を行っていた山とされ、山全体が「天道信仰」の聖地です。ここには、八丁郭=天道法師のお墓と、裏八丁郭=母のお墓があります。

1300年ほど前から仏僧や山伏以外は、立ち入り禁止でした。この「八丁郭」は、地元の人たちから「オソロシドコロ(おそろしいところ)」と呼ばれ、立ち入ると祟りがあるといわれていたのです。

八丁郭と裏八丁郭を参拝する際のルール

現在は、八丁郭と裏八丁郭の禁足は解かれています。しかし、下記のお参りのルールがありますので、必ず守りましょう。

塩でお清めをする

大声を出さない

転ばない

物を拾って帰らない

お参りが終わったら、後ずさりをして帰る

お参りの際は、これらのルールをしっかり守って、神様に敬意を払いたいですね。かつては、うっかり足を踏み入れてしまったら、わらじを頭に乗せて「インノコ」(犬の子)と言いながら後ずさって出ていかなければいけなかったり、転んだときは片袖を身代わりとしてちぎって置いていかなければいけないなど、厳格なルールがありました。

多久頭魂神社の「不入坪」は現在も禁足地である理由は?

「多久頭魂神社の不入坪」は、現在も縄で仕切られている禁足地です。境内の一部には、八丁郭と裏八丁郭と同様に石積みのお墓だと思われるものが存在しますが、それが何なのかわかっていません。そのため、入ってしまうと何が起こるかわからないので、絶対に立ち入らないように注意してなければなりません。

「オソロシドコロ」は、神様に対する畏怖の念を持って参るべき太陽信仰の聖地だったのです。対馬の「オソロシドコロ」を訪れる機会があったら、今回ご紹介した伝承に想いを馳せながら、ルールを守ってお参りしてくださいね。また、『禁足地巡礼』(扶桑社新書)には、日本各地の禁足地について、より詳しく書かれているので、興味のある方はぜひチェックを!

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