さだまさし「風に立つライオン」歌詞の深読みとアメイジング・グレイス  4月10日はさだまさしの誕生日 代表曲「風に立つライオン」にこめた思いとは?

さだまさし「風に立つライオン」に思う疑心暗鬼という分断と諍い

未曽有の感染症が世界中に蔓延してからおよそ2年… 未だ収束する気配のない状況下で、ロシアによるウクライナ侵攻という目を逸らしたくなるような現実が、僕らの日常に暗い影を落としている。

武力紛争の決定的な引き金は別にあるとしても、感染症が引き起こした疑心暗鬼という人々の分断が、徐々に彼の人(かのひと)の心を蝕んだのかもしれない。

先日のアカデミー賞授賞式壇上で起こった平手打ち事件も、いまの世相が抱えこむ無意識に積もっていた苛立ちがウィル・スミスの冷静さを欠いた要因のひとつだと思っている。我に返った彼は、今頃「神よ…」と後悔していることだろう。

さて、昨今の時事問題から僕が連想したのは、真逆に感じるかもしれないけれど「風に立つライオン」だ。何故って? この歌の持つ意味を深く考えると自然と繋がると思うからだ。… ということで、今回はその理由を語りたい。

孤高のライオンに重ね合わせた日本人青年医師の姿

「風に立つライオン」は1987年7月25日にリリースされたアルバム『夢回帰線』に収録された、さだまさしを代表する楽曲のひとつである。

滔々と語りかける歌いだし… そこから眼前に広がるケニアの大自然を圧倒的な声量で表現する抑揚は、聴いている誰もが心を揺さぶられることだろう。いつ聴いても圧巻の一言に尽きる。

「風に立つライオン」は、かつての恋人から届いた手紙の返事という書簡形式のモノローグで構成されている。

それは、さだが20歳のころに知り合った医師・柴田紘一郎が、ナイロビへ派遣されたときのエピソードに着想を得たそうだ。

長崎大学熱帯医学研究所という安定した医療現場を飛び出し、ナイロビでたったひとりの外科医として困難に立ち向かった柴田紘一郎。さだはその姿に、雄大な大自然のなかで凛と立つライオンの姿を重ね合わせたのだろう。

ちなみに、ライオンはネコ科の動物だが、単独で行動せずに群れで暮らすそうだ。その群れは “プライド” と呼ばれ、群れで育った子どものオスライオンはやがてひとり立ちをして別の場所で新たなプライドを作るという。

へき地医療にその身を投じた柴田紘一郎の医師としてのプライドは、まさに風に立つライオンそのものといえる。ここから「風に立つライオン」の物語が始まったのだ。

俳優大沢たかおが惚れ込んだ世界観

曲が完成したのはさだが35歳のとき。柴田紘一郎と知り合ってからおよそ15年の歳月を費やしたのは、自らも肝炎で身体を壊した経験もあって、人一倍医療に対するこだわりと思い入れがあったからだろう。

その世界観は、のちにひとりの俳優の心を動かした。そう、大沢たかおだ。この曲に惚れ込んだ大沢は、

「この歌の世界を映像で見たい、できるなら自分で演じたい」

…と、さだに強く働きかけたという。そして2013年、「風に立つライオン」の楽曲をモチーフにさだが小説として新たに書き下ろし、2015年、ついに映画化され劇場公開された。

そのスクリーンには、遠くケニアの研究施設を舞台に生命の現場で奮闘する大沢たかおの姿が写し出されていた。

「風に立つライオン」と「アメイジング・グレイス」に感じる共通点

「風に立つライオン」を聴くと、間奏と後奏に挿入された「アメイジング・グレイス」のメロディに気付くことだろう。それは比率として対等なほどの分量が充てられている。何故だろう…。

「アメイジング・グレイス」は、“第二の国歌” と言われるほどアメリカ国民に慕われ愛唱される讃美歌で、“Amazing grace” という言葉は、「素晴らしき神の恵み」とか「感動をもたらす恩寵(おんちょう)」と訳される。つまりこの曲はタイトルどおり神のご加護を… という慈愛の歌なのだ。

さだは「風に立つライオン」の歌詞で

 神様について  ヒトについて  考えるものですね

… と触れている。それは「風に立つライオン」のモデルである柴田紘一郎の生き方に「アメイジング・グレイス」で歌われる慈愛と同じものを感じたからだろう。ちなみに「アメイジング・グレイス」の詩を書いたのはジョン・ニュートン牧師である。

黒人奴隷を輸送する「奴隷貿易」の船乗りだったニュートンは、その当時、黒人を拉致して不当な扱いをすることに何の疑問も抱いていなかった。その後、ニュートンの船は嵐に遭遇して絶体絶命の危機に陥ってしまう。そのときに、心から神に祈りを捧げたことでニュートンは九死に一生を得られたのだ。その貴重な体験が精神の転機を引き寄せる。

そう、ニュートンが奴隷商人から牧師へと改心するまでの気持ちを詩に込めて讃美歌にしたものが「アメイジング・グレイス」なのだ。

困難な経験と神による魂の救済によって改心したニュートン。ケニアに派遣され、たったひとりの外科医として奮闘する柴田紘一郎。

両者に共通するのは “生きること” と “生かされること” への気づきだと思う。

「風に立つライオン」に「アメイジング・グレイス」のメロディを重ねたのは、どちらも “人の許し” が必要であり、さだはそれが歌の意味として一番重要だと考えたからだろう。

深読み「風に立つライオン」

 何より君が僕を怨んでいなかったということが  これから此処で過ごす僕の毎日の大切な  よりどころになります  ありがとう ありがとう

主人公の彼は、自分の目指す “医師としての使命” を全うするために、恋人だった彼女の制止を振り切って日本を飛び出した。政治が絡む医療制度と利権、病院内に蔓延る派閥争い… そういった人の持つ醜い部分に嫌気がさしたのも、日本を後にした理由のひとつだろう。

 あなたや日本を捨てた訳ではなく  僕は「現在」を生きることに  思い上がりたくないのです

「人を助けたい」とケニア行きを志願した若かりし自分。医師としての情熱は、誰にも負けない自信とプライドがあった。ただ、大いなる大地で暮らす人々の澄んだ瞳と接していくなかで、幸せの在り方について気づかされる… そう、周囲の人たちを医師として「助けている」と思っていた自分は、ひとりの人間として周囲の人たちに「生かされていた」のだ。それまでの自分のプライドとは、ただの傲慢な思い上がりに過ぎなかった。

“生きること” とは見返りを求めない慈しみと奉仕による輝き、“生かされること“ とは無償の愛をすべからく享受することで得る安らぎだ。そして “許し” とはどんなことがあっても決して見捨てないという優しさと強さによって慈愛へと変わる…。

 この偉大な自然の中で病と向かい合えば  神様についてヒトについて  考えるものですね

この世に神様がいるとすれば、それは人の祈りのなかであろう。人は誰もが善の心を持っている。祈りとは、その心への呼びかけだ。

彼女からの手紙は、今も信頼する良き仲間だという許しのメッセージ、それともうひとつ… 結婚の報告だった。

彼は「あなたの幸福を 心から遠くからいつも祈っています」と記し、最後に「ありがとう さようなら」と添えた。

そう、最後に書かれていたのは祈りと感謝である。つまり、愛を循環させていこうとする信念こそ、さだが「風に立つライオン」を歌うことで一番伝えたかったことなのだ。

相手を思う祈りはやがて無償の愛へと変わり、その愛を受け取った人は感謝をして、その感謝した気持ちを愛としてまた誰かへと伝えていく… そこには人を許すという優しさと強さが内包されているはずなのだから…。

―― 最後に、2015年8月にさだまさしは公益財団法人「風に立つライオン基金」を設立した。これは、国内外のへき地医療や大規模災害復旧支援事業などをサポートする非営利団体である。

この基金は、一人一人が持っている見返りを求めない奉仕の心、無償の愛によってたくさんの小さな生命を支えられるはずという「風に立つライオン」の物語から発生した決意表明といえる。ひとつひとつは小さな祈りであったとしても、その祈りはやがて世界を変える力になるはずだ。

僕は心から祈っている。この思いが人の心から憎しみを遠ざけてくれることを。

カタリベ: ミチュルル©︎たかはしみさお

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