過去に世界3位も人数不足で7年休部…西武・平良を生んだ中学硬式チームの“復活”への道

八重山ポニーズ・友利真二郎監督【写真:本人提供】

沖縄・石垣島にある八重山ポニーズ「同学年との試合はいい経験」

東京から約2000キロ離れた沖縄・石垣島。ここに昨年、7年ぶりに復活したチームがある。それが島唯一の中学硬式野球チーム、八重山ポニーズだ。西武・平良海馬投手らを輩出し、2002年には世界大会で3位になった名門だが、部員数が減って休部。故郷で消えかけていた硬式野球の火をつないだのが、チームOBでもある友利真二郎監督だ。

3月26日から3日間にかけて、沖縄・コザしんきんスタジアムで行われていたポニーリーグ「日本旅行カップ 第6回全日本選抜中学野球選手権大会」。八重山は所属メンバーが8人のみでチームを組めず、他チームとの即席合同チームで出場。結果は2戦2敗と勝ち星を挙げられなかったが、友利監督は「同学年の選手と試合ができたのはいい経験になった」と手応えを語る。

現在島内にある中学硬式野球チームは八重山のみ。練習試合の相手はもっぱら大人の草野球チームで、中学生と試合をするには「飛行機に乗るしかありません」。今回のように同世代の球児が集まる大会は、八重山の選手たちにとっては自分たちの力量を知る貴重な機会というわけだ。

石垣島はロッテのキャンプ地としても知られ、島民と野球の距離は近い。プロ野球には中日・大嶺祐太投手(育成)やソフトバンクの嘉弥真新也投手、西武の平良海馬投手らが、人口5万人に満たない島から巣立っていった。小学生の学童野球は10チーム以上あるが、球児たちの多くは地元中学で軟式野球部に入るのが一般的だ。

離島で唯一の存在となると、何かと苦労は多い。「練習試合はできないし、大会に出るたびにお金がかかってしまう。いざ(チームに)入ってみても、予想以上にかかる遠征費に『続けられない』と辞めてしまう子もいます」。金銭的負担を減らすため、出場する大会数を限定するという苦渋の決断もしたが、遠征費は昨年だけで50万円を超えたという。「こればかりは仕方ありませんが……」とは言うものの、頭の痛い悩みではある。

友利監督も同チームOB、八重山商工高で春夏甲子園出場

決して簡単ではない道と知りながら、「もう一度、八重山を強くしたい」とチーム再始動に一肌脱いだ友利監督は33歳。中学でも高校でも大舞台を経験しているが、決して「野球が好きではなかった」というから興味深い。

八重山では、大嶺と金城長靖内野手(沖縄電力)が同期だった。中学2年の時にアジア太平洋予選を勝ち抜き、ワールドシリーズで3位入賞。当時、監督を務めていたのはチーム創設者でもあり、のちに八重山商工高を甲子園に導いた“離島の名将”伊志嶺吉盛氏だった。まだ厳しい指導が主流の時代。伊志嶺氏も例外ではなく、「いかにして怒られないようにするか」ということばかりを考えていたという。

世界3位となった翌年、伊志嶺氏が八重山商工の硬式野球部監督に就任すると、友利監督も大嶺らと揃って同校へ進学。大嶺をエースに擁した2006年には春にセンバツ初出場を果たすと、夏も沖縄予選で優勝して甲子園出場。大嶺とバッテリーを組み、主将としてチームをまとめた友利監督だが、実は「甲子園を目指そう」と思ったことは一度もなかったと振り返る。

「中学の時、世界大会に出たとはいえ、石垣島(という小さな世界)の中でやっていたので、甲子園は別世界のもの。『行けたらいいな』とは思っていたけど、本気で目指しているわけではなかったですね。勝てば監督に怒られないので『怒られたくないから頑張ろう』という気持ちでした」

高校卒業後は、那覇市にある社会人野球チーム・ビッグ開発ベースボールクラブで2年間プレーしたが引退。石垣島に戻り、野球とはまったく縁のない生活を始めた。しかし、野球を離れて12年経った2020年、高校時代の同級生からの言葉で、野球の世界へ引き戻された。

「息子が野球をやりたいって言うんだけど、八重山ポニーズを復活させてくれない?」

合同チームとして大会に挑んだ八重山ポニーズナイン【写真:チーム提供】

野球の楽しさを伝えることをメインに、部員2人から再出発

八重山は2014年に平良の代が卒部すると人数不足で活動休止。また、一時は島外から生徒が集まった八重山商工も部員不足で、大会には合同チームで参加。石垣島から硬式野球がなくなりつつある現状に寂しさもありを覚えたこともあり、監督就任を決意すると、2021年1月に部員2人で再出発した。

いざ監督になったものの、野球を離れて10年以上が経つ上に、指導経験もない。「正直、どうしたらいいかわかりませんでした」。そこで自身の中学時代を思い返してみたが、時は流れ、世の価値観が変わった。「野球が好きではなかった」自分を反面教師に、今の子どもたちにはとにかく野球の楽しさに触れてほしいと願う。

中高生の頃はとにかく怖い存在だったという伊志嶺氏だが、教え子が石垣島に続く硬式野球の歴史をつないでくれたことがうれしかったのだろう。八重山の再出発にあたり、ボールやバットなどを寄贈してくれた。

友利監督が目指すのは“エンジョイ・ベースボール”の実現だ。野球に興味を持った子どもたちが、八重山でさらに野球を好きになるように、自身も指導者として日々、成長のチャンスを伺っている。

人としての成長を促すため、時には叱らなければならない場面もある。頭ごなしに怒鳴るのではなく、どんな注意の仕方があるのか。「どう叱ればいいかわからない」という友利監督は、選手が通う中学校の授業参観を見学し、校長をはじめ教育現場の諸先輩に教えを請うた。「まだどれが正解かはわかっていません」と苦笑いするが、その表情は充実感に溢れる。

再出発から1年あまり。「練習したい」と笑顔で野球に取り組む子どもたちを見て、少しずつ手応えを感じているという友利監督にとって、再び石垣島で野球と向き合う日々はどんな意義を持っているのだろうか。

「正直、石垣で野球をやる意義のようなものは感じていません。生まれた場所が石垣だったというだけです。それでも、子どもたちの笑顔を見ていると楽しいんですよね。やっぱり、野球、好きなんです」

新米監督と一緒に再び歩み始めた“離島の名門”。「野球が好き」という心でつながった監督と選手たちが、また新たな歴史を紡いでいく。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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