グリコ・森永事件、現金強奪の現場「つかんでもええか!」秘匿捜査の内幕語る

白布があった名神高速道路の下で不審な車が止まっていた県道。名神は拡幅されて防音壁が整備され、当時の面影はない(栗東市)

 警察をからかう挑戦状、毒入り菓子のばらまき、不気味な「キツネ目の男」-。これほど社会を揺るがした未解決事件はないだろう。劇場型犯罪と言われた「グリコ・森永事件」。犯人は現金強奪の最後の舞台に滋賀を選んだ。警察の極秘捜査が名神高速道路で進行中のまさにその時、高速道と交差する栗東市の一般道で、事情を知らないパトカーが犯人の一人が乗る不審車を発見。逃走する車を追跡したが、逃げられてしまった。犯人逮捕の最大のチャンスを逃してしまった県警は強い批判を浴びた。

 「どくいり きけん たべたら 死ぬで」。青酸ソーダ入り菓子が店頭にばらまかれた。底知れぬ冷酷さを見せつける犯人を一網打尽にするラストチャンスが訪れた。

 犯人はハウス食品工業に1億円の裏取引を持ちかけた。Xデーの1984年11月14日、夜の名神で息をのむ展開が続いた。滋賀県警捜査1課強行班係長だった今江明弘さん(76)=草津市=が、県警の秘匿捜査の内幕を語った。

 「大阪府警から高速の50メートルエリアに入るなと指示されていた」。6府県の捜査員924人、車両206台を投入する大捜査網。高速上の捜査は大阪府警が仕切った。

 午後8時20分、犯人から京都市伏見区のバス停ベンチ裏の指示書を見るよう電話が入った。近くのレストランで待機中の現金運搬車が出発した。指示書には「名神に乗って大津サービスエリア(SA)に向かえ」。高速を使うという警察の読みは的中したが、方向が想定外だった。犯人は京阪神の地図を用意するよう命じていたからだ。

 「滋賀には来ないやろうと、楽な気持ちでいた」という県警の空気は一変し、今江さんは直ちに部下3人を大津SA、瀬田バスストップ、草津パーキングエリア(PA)に向かわせ、自身も大津SAに急行した。「高速に入るな」の大方針に反する県警の独自判断。「滋賀で事件が起きて知らん顔してられない」という幹部の思いからだった。

 大津SAに着いた部下から連絡が入った。極めて不審な行動を取る男がいるという。

 「係長、つかんでもええか!」「あかん、知らん顔しとけ」

 県警がグリコ犯と邂逅(かいこう)した瞬間だった。「捕まえろとは言えなかった。大阪から『何もするな』と言われてるんだから。滋賀の動きを知られるわけにはいかなかった」

 犯人は草津PAのベンチに貼った指示書で「名古屋方面の柵に白布が見えたら、下にある空き缶の中の手紙の通りにしろ」と命じた。現金を守るのが任務だった今江さんの車は、運搬車の後ろを100メートルほど空けて走った。路肩に運搬車と覆面の捜査車両が停車していた。「止まるな!」。後部座席から外を見ると、柵に白い布があった。「これやないか」。目を見開いた。

 捜査当局は身構えたが、肝心の空き缶が見つからず、この日の捜査を打ち切った。

 ところがこの時、台本にない別のドラマが進行していた。白布の場所で高速と交わる栗東市の県道で、巡回中のパトカーが白布から50メートルの場所で停車する不審なライトバンを発見。懐中電灯で運転席の男を照らすと急発進した。追跡したが、途中で一般車が割り込む不運もあり見失った。運搬車が草津PAに到着する前後のことだった。「高速に近づくな」の指示は隊員まで伝わっていなかった。

 ライトバンは盗難車だった。県警は最初、白布の場所と車の停車位置が1キロ以上離れていると見誤り、単なる盗難事件と判断してしまった。

 栗東で高速を下りた今江さんは、草津市内で乗り捨てられた盗難車の捜査に向かった。草津宿本陣近くの天井川のトンネルをくぐり左折した場所に、その車はあった。

 <滋賀本部から草津->。聞き慣れた音声が耳に入ってきた。「警察無線がわんわん流れてた」。後手に回る捜査をあざ笑うかのように、県警の無線を傍受中の小型無線機が車内に残されていた。「ぞっとした。なぜ無線が」。間もなく県警は「窃盗犯」の正体を知ることになる。
     ◇
 警察が総力を挙げて挑んだ大勝負は、不運とミスが重なり瓦解(がかい)した。ただ、パトカーに追われた犯人はよほど慌てたのか、放置した車に大量の遺留品を置いていった。

 グリコ・森永事件 1984年3月18日夜、銃を持った3人組が江崎勝久・江崎グリコ社長を自宅から誘拐し現金を要求。社長は監禁先から自力で脱出したが、犯人は「かい人21面相」を名乗り同社や森永製菓など食品企業を次々と脅迫。青酸入り菓子をスーパーなどに置き、全国のスーパーから森永製菓子が撤去された。犯人は85年8月に「終結宣言」を出して姿を消した。2000年2月に最終時効を迎えた。

パトカーに追跡された犯人が盗難車を乗り捨てた現場。車に大量の遺留品があった(草津市大路1丁目)

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