ボクシングファン魅了した歴史的激闘 村田、果敢に攻めてゴロフキンにTKO負け

8回、激しく打ち合う村田諒太(右)とゲンナジー・ゴロフキン=さいたまスーパーアリーナ(代表撮影)

 世界ボクシング協会(WBA)ミドル級スーパー王者の村田諒太(帝拳)は4月9日、さいたまスーパーアリーナで国際ボクシング連盟(IBF)同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)との王座統一戦に臨んだが、9回2分11秒、TKOで敗れた。

 国内最大級のビッグマッチはスタートから激しい攻防が展開され、村田は力を尽くしたが、最後は相手の底力に屈した。しかし、歴史的激闘は間違いなくファンを魅了した。

 この統一戦は当初、昨年12月に予定されていたが、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の影響で延期され、村田にとっては待ち望んだ対決だった。

 万全の調整をして、ベストコンディションでリングに上がった。「ゴロフキンの強さは十分に分かっている。最高の内容で応えたい」と力強く話し、ゴロフキンも「ビッグドラマショーが楽しみ」と乗り込んできた。

 両雄のプライドがゴング前からぶつかった。あふれる緊張感の中、ゴングが鳴らされた。1回、相手の様子を見た村田は2回から積極的に動いた。

 特に左のボディーブローが強烈で、ゴロフキンが後退するシーンもあった。

 3回も村田のラウンド。ロンドン五輪で金メダルを獲得した要因のボディー攻撃には定評がある。確実にポイントを奪い、ミドル級最強と言われる相手を追い詰めた。

 しかし、4回に入りゴロフキンの多彩な攻撃が目立ち始めた。左ジャブに続く連打は威力十分で、村田も「総合力が違う」と脱帽した。

 6回にはマウスピースを吹き飛ばされた。7回以降も厳しい攻撃は容赦ない。

 挽回しようと鬼の形相でパンチを繰り出すが、ゴロフキンは憎いほど冷静だった。

 迎えた9回、強烈な右フックを浴び、プロ初のダウンを喫した。コーナーからタオルが投げ込まれた。村田は放心状態で現実を受け入れた。

 1965年5月、ファイティング原田が無敵の王者エデル・ジョフレ(ブラジル)から判定で世界バンタム級のタイトルを奪った試合は「日本ボクシング界最大の勝利」として語り継がれている。その試合に匹敵する今回の興行だった。

 村田は不利の予想にも堂々と立ち向かい、果敢に真っ向勝負を挑んだ。

 ゴロフキンの強さが並ではないことは百も承知していた。それだけに村田の心意気は「最大の勇気」としてボクシング史に残ることだろう。

 進退について所属する帝拳の本田明彦会長は「勝っても負けてもこれが最後になるだろう」と引退を示唆していたが、本人は「ゆっくり休んでしばらく考えたい」と明言を避けている。

 ミドル級で抜群の実績を残した男は、どういう道を選ぶのだろうか。(津江章二)

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