交通事故で最愛の母を亡くし、18歳で引退しかけた…カンセロの秘話が泣ける

ジョゼップ・グアルディオラ監督のもとで欧州最高峰の強さを見せつけているマンチェスター・シティ。

“偽サイドバック”として絶大な存在感を誇るのが、ポルトガル代表DFジョアン・カンセロだ。

彼は18歳だった2013年当時に最愛の母を交通事故で亡くしている。サッカーをやめることも考えたというが、父と兄弟の助けもあり、プロ生活を続けることができたという。

クラブ公式によれば、彼はUEFAチャンピオンズリーグの公式マガジン『Champions Journal』でこう話していたそう。

ジョアン・カンセロ

「自分は質素な家庭に生まれた。

ポルトガルには仕事がないことも多く、父は家族を養うためにスイスに出稼ぎに行っていたんだ。

僕は母方の祖父母と暮らしていたので、日中は母とはほとんど会えなくてね。

母は3つの仕事を掛け持ちしていて、夕食の時にしか顔を合わせなかった。

子供の頃に両親から教わった価値観は、謙虚さ、愛、献身。

自分が最も敬愛しているのは母だ。母似でもある。父さんには申し訳ないけど、分かってくれるはずさ。性格も母と似ている。

母がしてくれたことは自分だけが知っている。ともに乗り越えた困難、家にお金がない時に交わした会話。

母がもう働かなくていいように、よりよい将来を迎えられるように自分はあらゆることをやると伝えていた。

いま母は天国にいるけれど、僕のことを誇りに思ってくれるように自分はあらゆることをしている。

母はずっと戦士だった。仕事だけでなく、時間を見つけて、いつも練習の送り迎えをしてくれた」

「自分も受け継いでいる小さな価値観がある。どんな困難があっても、僕らにはそれを乗り越える強さがあると。

母は明るい人で、自分が疲れていても、兄弟と僕のために時間を割いてくれた。

いまは母がくれた愛を娘や恋人に注ごうと思っている。

母を亡くした時は不安のどん底にいるようだった。仕事をして帰宅する、そんな日々を送るロボットのような気分だった。

サッカーも楽しくなくてね。やらなければいけないから、プレーしているだけだった。

本当にやめようと思っていたんだ、もはや意味を見いだせなかったからね。

でも、ベンフィカのスタッフは常に電話をくれて、君の可能性を信じているから戻ってきてほしいと頼まれた。

父は事態を落ち着かせてから、僕に説いた。父も兄弟も僕を必要としていると。もう父はスイスには戻れないので残るしかなく、続ける強さを身につけて欲しいと。

すでにベンフィカとはプロ契約を結んでいて、自分のお金の多くは家族を支えるために使っていた。だから、またプレーすると決めたんだ。

最初は簡単ではなかった。自分には強さも意欲もなかったけれど、父との会話やこのスポーツへの愛で全てを乗り越えることができたんだ。

試合への愛は徐々に戻ってきて、笑顔も少しずつ戻ってきた。

それが人生さ。どんなに大きな喪失があっても、乗り越えるしかない。

戦士についての本を多く読んだし、心に響くものもあった」

「本当に母と話がしたい、いつも欠けているものがあるからね。

何か重要なことを成し遂げても、いつもそういう気持ちがある。母は物理的には存在していないので、自分の心にはいつもむなしさがある。

ポルトガルに帰った時は母と会うためにいつも墓地に行く。義務のようなものさ。

母の隣に行くと気分が落ち着く。実際にそこにはいなくてもね。気分がよくなる。

魂や負のエネルギーを浄化してくれ、より幸せに生きることができる。

サッカーに抱く愛情も母の影響が大きい。素晴らしい思い出があるからね。

マンチェスターでも代表戦でもプレーする時は母が見守ってくれている気がする。試合が始まる前にいつもスタンドを見るけれど、もう母はいない。

母への愛に勝るものはないと思っていたけれど、娘が生まれた。それは説明のしようがない愛だよ。

仕事で疲れて帰宅した時に、娘がくれるハグとキスが最高の喜びさ。

プライスレスなものがある。どんなに金を稼いでも、どんなに生活の質が高くても、人生で一番なのは、子供たちがくれる小さな瞬間さ。

ただただ娘には健康であって欲しい。自分が今日も頑張るのは、娘が将来も平和に暮らせるためさ。

両親や自分が経験したような辛い思いをさせたくないんだ」

昨年末、カンセロは自宅で妻子とともに強盗に襲われて顔に傷を負う事件に見舞われた。

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事件後に「自分の人生には多くの障壁があったし、それを乗り越えなければいけなった」と語っていたが、こういった生い立ちも影響しているようだ。

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