「ここまで長引くとは」諫干堤防閉め切り25年 古里の海、異変に見舞われ

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破れた漁具を繕う宇土さん=島原市有明町の漁港

 柔らかな春の海風が吹いていた。3月末、長崎県島原市有明町の漁港。漁師歴45年の宇土敏彦(60)が一人、破れた漁具を繕っていた。目の前には穏やかな有明海が広がる。
 だが、そこは宇土が知るかつての「豊穣(ほうじょう)の海」ではない。漁業に就いた当時、古里の海が異変に見舞われ、町を支えた水産業が衰退に追い込まれることを誰が想像しただろう。
 この日、夜明け前に妻と二人、コウイカ漁に向かい、熊本県との境付近に沈めていた仕掛けを引き上げた。1本に40個の籠を装着したロープが計10本。それでも水揚げは約40キロと、以前の3分の1程度だ。
 あまりの少なさに、重さではなく、「匹」で数える日もある。「だんだん取れなくなっているけど、今年は特にひどかね」。ため息をついた。
 “異変”は、諫早湾奥部を閉め切る潮受け堤防の着工と時期を一にして現れ始めた。高級二枚貝のタイラギが育たなくなり、やむなく宇土は海に潜るのをやめた。
 1997年に堤防が閉め切られると、深刻さはその度合いを増していった。潮流が緩慢になり、海底にはどぶ臭い泥がたまった。養殖ノリの色落ち被害に端を発し、漁業者らが大規模な海上抗議行動を起こす。宇土も船上から力の限り叫んだ。「排水門を開けろ」「宝の海を返せ」と。居ても立ってもいられなかった。
 有明海の周辺地域を巻き込んだ開門論争は決着を見ないまま、今に至る。「(閉め切りから)もう25年ね。まさか、ここまで(問題が)長引くと思わんかったね」。作業の手を止め、遠い目でつぶやいた。
=文中敬称略=

諫早湾干拓地と潮受け堤防

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 農地確保と防災を目的とした国営諫早湾干拓事業で湾奥部が全長約7キロの潮受け堤防で閉め切られて14日で25年。鋼板が次々と海に落とされた様子は「ギロチン」にも例えられた。2530億円が投じられた巨大公共事業では、約670ヘクタールの干拓農地と農業用水を供給する調整池が整備された一方、不漁との因果関係を訴える漁業者らが堤防排水門の開門を求める裁判を起こすなど対立も生んだ。国は「非開門」の姿勢を堅持し、溝は埋まらないままだ。有明海沿岸の漁業者や干拓農地の営農者、地域住民らを訪ね、今の思いを聞いた。