目黒川の桜人気に感慨~京急・新馬場の思い出

 東京都心の南縁を流れて東京湾に注ぐ目黒川。近年桜の名所として名が知られ、今春は小型クルーズ船による団体見物も復活してにぎわった。

観光クルーズ船も行き交う目黒川。中央横長の建物が新馬場駅ホーム

 京急電鉄で品川から二つ目の新馬場駅は、旧東海道品川宿の最寄り駅。高架に設けられたその駅の造りがユニークだ。ホームはちょうど目黒川をまたいで南北に長さ200メートルもある。遠くから見ると街に浮かぶ巨大なタンカーのようだ。各駅停車しか停車せず、4両編成なら70メートル余りしかないのでホームの長大さがかなり目立つ。ホームの両端から線路下に下りたところに改札口があり、そこからさらに高架下を100メートル近く歩いてようやく商店のある表通り、いわゆる「駅前」に出る。だから駅の長さは約400メートルあると言っていいぐらいの距離感だ。

 どうしてこうなったかというと、地上を走っていた当初、駅は目黒川を挟んで南北に北馬場と南馬場の二つあり、南北両駅間はわずか400メートルと路面電車の電停並みだった。京急電鉄は、踏切の解消などを目的に1971年ごろからこの付近の高架化工事を進め、1976年に「近すぎた」両駅を統合して生まれたのが新馬場だった。営業走行中の線路上に高架を建設するという手間のかかる難工事で、途中段階で下り線のホームがまず南北両駅につながって、一時的に「北馬場・南馬場」という駅名が存在した。そして最終的に新駅として新馬場駅が完成したものの、今でも乗降客は旧南北両駅があったところから出入りするようになっているというわけだ。

 昭和から平成まで、母方の実家が南馬場駅の近くにあった。すでに半世紀も前の子どもの頃だが、正月や6月の夏祭りの時期には欠かさず遊びに行き、そのたびに宿場町の風情を残す品川の守り神である品川神社や、目黒川の岸辺に鎮座する荏原神社にお参りし、門前に並ぶ屋台を見て回るのが楽しみだった。この時、何度も目黒川を渡ることになるのだが、当時の印象と言えば、残念ながらどぶ川だった。

新馬場駅ではホーム中ほどに電車が停車する

 時は高度経済成長期、下水の整備が追いつかず、河口近くの目黒川は流れがどす黒くよどんでメタンガスが川底からぽこぽこと発生していた。匂いもひどいものだった。1970年代の東京下町と言えば水も空気も汚れて、それが当たり前だった。水辺を埋め立て、水路にふたをして暗きょにしたのは、汚いものを生活から遠ざけるための窮余の策だったのかもしれない。

 年月がたち少しずつ環境が改善し、今や目黒川の花見がおしゃれだというのだから、驚きだ。海からボラが群れで遡上する姿が橋の上から確認できたり、レジャーボートが行き来する姿を見たりするのも心地良い。

 今年の桜がちょうど見頃となった3月末、久しぶりに新馬場で電車を下りてみた。ホームはやっぱり長かった。壁に小窓はあるが透明ガラスではないので、ホームから外側の風景はまったく見えないのがちょっと残念。付近は密集市街地だから家々を見下ろせないようにした配慮だろうが、これだと目黒川がきれいになったことも、見事な満開の桜が川面に陰影をつくっていることも気付くことはできない。

 北口改札を出て荏原神社前まで来ると、スマホで桜の写真を撮っている人を何人も見かけた。駅周辺には旧東海道にまつわる名所も多く、江戸探訪の街歩きは、うまいもの探しが加われば楽しさ倍増だ。この日は穴子飯の看板に誘われてランチにした。夏祭りの頃、また来てみよう。

☆共同通信ニュースセンター整理部・篠原啓一 目黒川の桜は中流の東横線・中目黒駅付近が一躍有名になりましたが、東京湾へ注ぐ河口に至るまで見どころはたくさんあります。

© 一般社団法人共同通信社