伝説のバックスクリーン3連発浴びた巨人捕手の後悔 忘れられぬ王監督の“鬼の形相”

バックスクリーン3連発をマスクを被っていた佐野元国氏(右)が振り返る【写真:共同通信社】

37年前と同じ月日に甲子園球場で同カードが開催される

1985年4月17日、甲子園球場。阪神のランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンアップが巨人相手に放ったバックスクリーン3連発の記憶は野球ファンだけでなく、当事者たちにも刻まれている。本塁打を浴びたのはプロ入り4年目だった槙原寛己投手。苦い思いを糧にその後、巨人の主力投手となっていったが、マスクを被った佐野元国捕手は3本の放物線をどのように見つめていたのか。あれから37年。同じ月日、場所で行われる伝統の一戦を前に思いを語った。

5万人の観客で膨れ上がった球場に響く虎党の大歓声。バースの一打に期待を寄せるその声は、耳に届いてはいなかった。無理もない。この年、佐野は近鉄から移籍したばかりで、プロ初のスタメンマスクはその前日。正捕手、山倉和博のケガにより巡ってきた大チャンスだったからだ。

2点リードして迎えた7回2死一、二塁。一発逆転のピンチで打席に3番のバースを迎えたところで、佐野は槙原のところへ行った、「初球はボールから入ろう」と声をかけた。そして佐野は外角へ外れるシュートを要求した。2打席目で併殺に仕留めた球を「必ず初球から振ってくる」と信じ、内野ゴロを狙ったのだった。

しかし、槙原が実戦でシュートを投げるのはこの日が初めてだった。佐野が槙原の球種の中にシュートが即席で生まれたものとは思ってもいなかった。それだけ精度が高かったのだ。しかし、ボールにするはずの球は、変化しきらず、甘く入ってしまう。打球は低い弾道でバックスクリーンに突き刺さった。

大歓声が鳴りやまぬ中、続く4番の掛布、5番の岡田にもバックスクリーン方向へ打球を運ばれた。

「これまで何百人程度の観衆でしか野球をやったことがなかったから、浮足立って冷静にリードができなかった。岡田さんに打たれた後、王(貞治)監督がマウンドに来た。あの時の鬼のような形相は、いまだに忘れられないな」

現在は小・中学生を対象にした野球塾で子どもたちを指導する佐野元国氏【写真:編集部】

苦い経験から得たのは「チャンスは逃すな」という教訓、現在は野球塾で指導

37年経った今、佐野にとって、あの時の出来事はどのように胸に刻まれているのか。槙原と会えば冗談で『お前がボールで入ってこなかったから』『佐野さんがシュートのサインを出すから』と笑って言いあえる仲だが、槙原のことを本心で責めたことはない。聞かれれば、まずは阪神打線を称える言葉が口を突く。

「あれは打った選手たちがすごい。フリーバッティングで3発をバックスクリーンへ放り込めと言われても、そう簡単にはできませんからね。それだけあの年の阪神のクリーンアップは強力だった」

あの試合の後、佐野はまもなくファームへ行くことになる。その後も1軍で大きなチャンスを掴むことはできなかった。

「もしも山倉さんがマスクを被っていたら、あの3連発はなかったんじゃないかな。明らかに経験不足だった。今みたいに冷静に野球をやっていなかったことが一番のミスでしょうね。冷静な判断ができなかった。マキはあの後、立派なエースになったからいいけど、マウンドでうなだれる槙原の映像を見るたびに『マキ……ごめん』と思うよね」

1989年の現役引退後は大洋、巨人でコーチを務めた。64歳になった現在は小・中学生を対象にした野球塾「クリス・ベースベールアカデミー」を横浜市内で開き、子どもたちと向き合う日々を送る。現役時代の苦い経験は、少年野球指導にも生かされている。

「チャンスを貰ってもモノにできなかった。それが僕の野球人生。だから子どもたちにはとにかく試合に出たら、結果を残してほしいんだ。それに試合に出ないとわからないことがいっぱいある。いざ打席に立って打たないと。バッティングセンターで本塁打を打って満足するのではなく、試合で打ってほしいから」

冷静に野球をすることができなったあの試合から、佐野は37年の月日の中で自問自答を繰り返し、多くの答えを見つけた。そのうちの1つに「Never too late」という言葉を送ることがあるという。決して遅くないという意味だ。「12歳や13歳の子がミスをしたって、どうってことないよ。無駄な経験なんてないんだよ」と目を輝かせる。

バックスクリーン3連発の経験は無駄ではなかった――。そう思えるだけでも、苦い記憶だって、良き思い出に変わっていくのではないだろうか。

○プロフィール
佐野元国(さの・もとくに) 1958年3月6日生まれ、神奈川県出身。横浜高から1978年ドラフト3位で近鉄に入団。85年に巨人に移籍、89年に現役引退。90年から大洋で2軍、1軍バッテリーコーチを務め、谷繁元信を指導。その後、巨人で2軍育成コーチ、1軍バッテリーコーチを歴任し2000年の日本一に貢献した。現在は横浜で「クリス・ベースボールアカデミー」で少年野球の指導にあたっている。(石川哲也 / Tetsuya Ishikawa)

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