メタバースブームに求められる、企業のパーパス・リーダーシップ

Aaron Pickering

仮想空間「メタバース」のゴールドラッシュに参入する企業は、これまでの多くの急成長産業と同じく、社会への影響よりも利益を最優先する可能性がある。新たな産業が誕生し、その初期段階から、企業がブランド・パーパスやESG戦略を積極的に取り入れてきた事例はまだ多くはない。現在湧き上がるメタバースブームにおいて、企業は時代に求められる持続可能な事業の在り方を選択できるのか。米クリエイティブ・コンサルタント企業ヘッドスタンドの役員でジョージ・ワシントン大学非常勤准教授のアーロン・ピッカーリング氏が解説する。(翻訳=梅原洋陽)

ここ1年ほど、バーチャルな世界が子どもたちに与える影響について絶望を感じ、そして正直に言うと、ある種の恐怖さえ感じてきた。パンデミックが起きた当初、若者のスクリーンを見る時間が増えることによる悪影響についての不安は増し、そしてそれが現実のものになったことも多かった。新型コロナウイルス感染症による影響を受け始めて3年が経ち、登校できるかがはっきりしない日々が続くことで、わが家の未就学の子どもたちが、バーチャルな世界に慣れ、対面での誕生日会や外での遊び、そして図書館に行く回数が減っていくのを感じている。

一方で、世界中で数百万人もの学生が遅れをとり、孤立や不安、そして恐れによって次世代の若者の精神的健康が損なわれている現状を私たちは目の当たりにしている。子どもたちがオンラインで過ごす時間が増えるほど、いじめや好ましくない行為のリスクが増加する。

AIを使い、有害なオンラインコンテンツを子どもが見られないようフィルタリングを行うL1ght社によると、ロックダウンの間、オンラインチャットにおいて若者の憎しみが70%も増加したという。

これまでなら、子ども時代の重要な体験として扱われていたものが疑問視され始めている。教育制度が急速に変化する社会における優先順位と予測不可能な未来への対応を重視することで、青少年のスポーツは衰退し、多くの課外活動は二の次になっている。

このような背景の中で、まるでまだ問題が足りていないかのように、メタバースがブームとなりやってきている。メタバースが今後どのような存在になるかを定義するチャンスは私たちにもまだ残されてはいるものの、メタバースの一攫千金に群がる多くの企業はこれまでの多くの新興産業と同様に、ユーザーへの影響に思いを馳せることはないだろう。メタバースの根本的なあり方を意識的に構築することは私たちの責任である。しかし、多くの産業や文化の変化と同様に、主導権を握る企業が最終的にあるべき形を決定してしまうだろう。

メタバースの課題

革新的な企業がこのブームをけん引することは良い結果につながることもあり得る。ただしそれは意図的に、さらに一貫して自社の掲げるパーパス(存在意義)に沿った意思決定を行い、そしてマーケットに新製品やサービスを提供する際に、積極的にESGリスクを特定し、緩和しようとする場合に限る。

これはビジネスリーダーが「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」について考える機会だ。この進化する産業において「どのようにパーパスを見つけるのだろうか」と問いかけるのである。企業ブランドは、「この新しい形のインターネットは何を必要とし、私たちが独自に提供できるのは何か」を問うことができる。そうすることで、企業は利益とパーパスを共に追求でき、より持続可能な形でメタバースの進化に貢献することができる。

従来は、産業の初期段階において、ブランドパーパスとESG戦略を積極的に取り入れることはほとんどなかった。今回は最初から組み込めるまたとない機会なのだ。ビジネスリーダーも消費者も、歴史が繰り返されるのを眺めるのではなく、より良いことをすべきだ。すでに、データプライバシーやセキュリティ、知的財産権の保護やアクセシビリティ、ハードウェアインフラの環境負荷など、メタバース関連の課題が明らかになっている。

簡単に言うと、メタバースはインターネットの進化系のことである。次のインターネットの姿とはどのようなものだろう。この問いは、あらゆる人にとっての心配事であり、同時に関心事であるだろう。

メタバースの可能性に注目すべきさらなる理由は、私たちがすでにその中で生活をおくっているという事実だ。例えばロブロックスは毎日約5000万人が利用する大手ゲームコミュニティだ。このようなコミュニティは他にも多数存在し、さらに増え続けている。つまり、ゲーマーやソーシャルメディアの利用者は、自覚しているかどうかに関わらず、すでにメタバースに足を踏み入れているのだ。

世界は、次のインターネットに対応する準備はできているだろうか。ソーシャルメディアを含むインターネット・プラットフォームが、若者や私たちの文化に及ぼす潜在的な負の影響に関する研究はまだ表面的なものしかない。例えば、10代の若者の認知能力の発達や心理的な幸福にソーシャルメディアがどのような悪影響をもたらすのかについてはまだ専門家達も調査している段階だ。

米国心理学会は、「デジタル技術と共に成長することは、どのようにかはまだ不明だが、10代の脳の発達を変化させている可能性がある」と伝えている。もちろん、ソーシャルメディアの利点はたくさんある。しかし、欠点については検討し、対処をし始めたばかりだ。

これは、ブランドがメタバースにおけるビジネスチャンスを掴むべきではないと提案しているのではない。そうではなく、このチャンスは是が非でも追い求めるようなものではないと言いたい。

今こそ、メタバースをつくり上げるブランドが、それぞれのパーパスをどのように達成し、積極的にESGを実践していくかを明らかにするよう求めるべきだ。そうすれば、今までのようにビジネスチャンスを生かすことを重視するあまり、早急に動き、人や地球を犠牲にしてしまうという、他の業界のリーダーが陥ってきた失敗を防ぐことができるだろう。

最近の分析では、「メタバースが主流になることで生まれる市場機会は、今後数年間で1兆ドル(約126兆円※4月13日、1ドル126円時点)以上になる可能性がある」と言われており、大手ハイテク企業や各分野のブランドが投資するために力を結集し始めている。ほんの一例だが、マイクロソフトは、ゲームスタジオのアクティビジョン・ブリザード(コール オブ デューティ、キャンディクラッシュなどのゲームを制作している)を687億ドル(約8兆6000億円)で買収。フェイスブックはメタ・プラットフォームズに社名変更し、VRのハードウェアに莫大な投資を行った。また、ナイキは昨年、バーチャルスニーカーを販売する企業RTFKTを買収し、わずか6分間で600足のバーチャルスニーカーを販売し、300万ドル(約3億7000万円)以上の利益を得ている。

しかし、すでにネガティブな側面も明らかになっている。いくつかの初期リスクがあるようだ。NBC Newsによれば、「オンライン上でのヘイト(憎悪)や誤った情報を取り除く非営利組織CCDH(Center for Countering Digital Hate)の研究者は、メタが販売するOculusヘッドセットでアクセスできるVRプラットフォームVRChatで展開されている活動を12時間記録した。この記録の中で、性的コンテンツ、人種差別、虐待、ヘイト、同性愛嫌悪、女性嫌悪などが7分に1回記録され、しかも多くの場合は未成年者がその場にいたようだ。

このような問題のある言動は現実世界にも蔓延しているが、インターネット上ではより悪質になる。社会全体で、私たちは今も変化し続けている新型コロナウイルスの影響によって、繋がりが失われ、孤立していっている。人間は、他者との繋がりを求めるようにできているし、私たちは繋がりや人間関係こそが、幸せになるための鍵だと本質的に知っている。しかし、現在のインターネットの世界でも、このバランスの取り方はまだ理解されておらず、次のインターネットの世界でどうすべきかは全くの未知である。

健全なデジタル習慣をつくる

メタバースの世界に踏み込む前に、私たちが解決すべき重要な課題がある。それは、現実世界とデジタルのつながりを強くするための健全なデジタル習慣をどのように構築するかだ。これはより多くのスクリーンタイムの獲得を目指すことと、それによって生じる落とし穴との2つの課題に向き合うというブランドにとって不可欠な課題だ。

では、ナイキ、マイクロソフト、メタなど業界をリードする企業に、私たちはどのような質問を投げかけるべきだろうか。

ナイキのブランドパーパス、つまり社会的な存在意義の中核にあるのは「子どもたちが体を動かすこと」と「アクティブな次世代を生み出すこと」だ。実際にナイキのパーパスを構成する3つの柱は「人」「地球」「遊び」。同社のウェブサイトによると「ナイキはすべての子どもたちの遊びやスポーツに投資している。次世代がアクティブであるということが、より健康的で公平な未来につながる」と伝えている。メタバースに参入したナイキは、この2つの世界をどう跨いでいくかを積極的に考えていくことができるだろう。

・メタバースユーザーをただ接続している状態で引き止めるのではなく、アクティブな状態にさせるためにはどのようなツールや、リソースそしてインセンティブを提供すべきか。

・若者たちがバーチャルではなく、本物の靴を履くようになるために、企業はどのような研究やソリューションへの投資を行うべきか。

次に、マイクロソフトの社会的責任に関するウェブサイトでは、「私たちが創造するテクノロジーには、地球に存在するすべての人に、そして地球にとっても利益をもたらすことを保証する大いなる責任と機会があります」と伝えている。また、同社は「人類と地球の未来に利益をもたらすことができ、そうであるべき」テクノロジーを構築することを公言し、明示している。最新のCSR報告書でも「プライバシーは基本的人権だと認識し、お客様が自分のデータを管理することができ、プライバシーを守るために、十分な情報を得た上で選択することができるように取り組んでいます」と説明している。

・マイクロソフトは、メタバースにおけるプライバシーとデータ・ガバナンスに関する懸念にどのように対処できるだろうか。また、アクティビジョン・ブリザードの買収はこれらの取り組みにどのような影響を与えるのか。

・マイクロソフトは、メタバースのアバターを自分自身の延長にある者として扱う方法をユーザーに知らせ、指導し、コーチすることによって、プライバシーとデータの保護に対して高まる動きをどのように支援できるのだろうか。

メタは未だにプライバシーやセキュリティ、ネット上でのいじめ、誤った情報の拡散など、フェイスブック時代から残る懸念に完全に対処することはできていない。現在、メタバース・ゴールドラッシュの先頭を走る同社は、株主を不安にさせる無数の新たな困難にも直面している。例えば、現時点ですでに6万8000人の従業員の職場での混乱が報じられている。

・メタは将来に向けて若い世代を育てるために、どのような人材開発に投資すべきなのだろうか。

・メタだけでなく、急成長しているこの業界全体に利益をもたらすような方法で、今いる従業員をスキルアップさせることができるのだろうか。

過去の教訓から学ぶ

幸運なことに、メタバースという未知の世界に足を踏み入れる企業には、歴史的な事例と、教訓的なストーリーがある。石油と製造業もその一つだ。環境にサステナブルなビジネスをする上での事実上の指針となっているバルディーズ原則(セリーズ原則)は、史上最悪の環境へのダメージと、地域経済への影響を引き起こした、1989年のエクソンバルディーズ号の原油流出事故をきっかけに生まれた。

同じく、公正労働協会(FLA)の職場行動規範は、アパレル業界の製造工場での搾取に対して世論の抗議を受けて制定された。セリーズとFLAの両原則は、自主的なものではあったが、多くの企業にとってビジネスによる社会・環境への負の影響を低減させるための初期段階の取り組みの基礎となってきた。

現在、石油会社や製造会社は、環境や社会の影響を考慮してビジネスを計画しなかったためにESGの課題に直面し続けている。同じように、ソーシャルメディア企業もネット上でのいじめや間違った情報、ヘイトスピーチのような重大な問題にユーザーや政府からの圧力が大きくなってから対応し始めた。

このようなESGに関する経験を振り返ると、企業はメタバース界でパーパス・リーダーシップを発揮するチャンスを捉え、大胆な行動を今すぐとる必要がある。米国電気電子学会(IEEE)やデジタルヘイト対抗センター(CCDH)などの組織が、初期段階でのリスクを評価し管理するための取り組みを始めている。

しかし、リスクを減らすための取り組みのスピードは、メタバース界の成長スピードと同じである必要がある。私たちは、メタバースに関する企業行動に対して業界の基準値と期待値を設定するために、より多くのステークホルダーと早急に協力体制をとる必要がある。

RBA(レスポンシブル・ビジネス・アライアンス)やセリーズ、FLA、BSR(ビジネス・フォー・ソーシャル・レスポンスビリティ)といったESGをけん引するリーダー団体と、インターネット問題やデータ保護、プライバシー、ネット上でのいじめ、安全性や若者のメンタルヘルスの専門家たちが協働すれば、次のインターネットに伴うリスクについて対話を始めるベストな機会をつくれるだろう。

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