サブカルから自然と人間の関係へ ドキュメンタリー監督の転機とは 「1965年以前の日本に興味」

笹谷遼平監督(36)にとって初めての長編劇映画作品「山歌(サンカ)」が22日からテアトル新宿、アップリンク吉祥寺で公開される。かつて日本の山々に実在した流浪の民・山窩(サンカ)がテーマ。笹谷監督は学生時代からドキュメンタリーを撮り続け、当初は秘宝館や蝋人形、バイブレーション(性玩具)といったサブカルチャー要素が強い題材を選んできた。馬と人間の姿を描いたドキュメンタリー「馬ありて」(2019年)など、近年の心境の変化について聞いた。

サンカは戸籍を持たず山から山へ旅しながら、穫った川魚、作った竹細工や籠を売りながら山中と山里を往来した。昭和30年代までは山中の河原にテントやほったて小屋を建てて暮らしている姿がしばしば目撃されていたが、高度経済成長とともに減少し、そのほとんどが一般社会に溶け込んだといわれている。映画は昭和40年(1965年)の片田舎を舞台に、東京から来た中学生の則夫(杉田雷麟)が、既成概念に縛られず自然の一部として暮らすサンカの一家の長・省三(渋川清彦)と娘ハナ(小向なる)に魅せられながら、現実に直面させられる物語が描かれた。

笹谷監督は「不定住、放浪というものに憧れがありました。高校生の時に映画を作りたいと思ったきっかけがトニー・ガトリフ監督の『ガッジョ・ディーロ』という作品です。東欧のロマを取り上げた劇映画で、音楽が素晴らしいのと、定住していない人の力強さがあって、この世界観が素晴らしいなと思いました。その後、サンカを知りましたが、日本にはもうサンカはいない。ドキュメンタリーは撮れないので、2015年からサンカをモチーフに(シナリオを)書き続けて、この作品になりました」と語った。18年に三度目の挑戦で伊参スタジオ映画祭のシナリオ大賞に輝き、翌年の撮影に至った。

笹谷監督はドキュメンタリーが主戦場。大学在学中の07年に秘宝館を題材にした「昭和聖地巡礼~秘宝館の胎内~」を監督。道祖神の民芸品・道神面を題材に「ファニーフェイスの哭き歌」(2009年)、蝋人形職人を題材に「蝋塊独歩」(2010年)、バイブレーション(性玩具)を題材に「すいっちん―バイブ新世紀―」(2011年)を発表した。

「転機は明確に東日本大震災です。それまでは蝋人形、秘宝館、バイブ…どちらかというとサブカルチャーの部類だと思います。サブカルの席に座りたいわけではなかったが、エロティシズムを興味に挙げるとその流れになりましたね。でも東日本大震災で、自分の世界はもろく、砂上の楼閣だと分かり、今まで信じていたものが瓦解(がかい)しました。そんな気持ちになり、もう少し真っ正面から映画と向き合えないか、命と向き合えないかと考えるようになりました。秘宝館などもすごく真面目に考えていたんですけどね。秘宝館は昭和のエロティシズムとは何か、バイブも突き詰めていくとフェミニズムの話になりました」

そんな時、北日本の馬文化に密着したドキュメンタリー「馬ありて」に出会った。映画の完成は2019年だが、撮影は数年に及んだ。14年に岩手県遠野の山中で撮影中、読書で知っていたサンカの存在を思い出し、シナリオに着手した。

「馬文化のドキュメンタリーですが、ばんえい競馬で2013年1月、素晴らしい写真が撮れました。マイナス25度くらい、馬の吐く息、汗がもやになる、すごい映像でした。この美しさは何か、というのにガツンとやられて、北海道の牧場に通うようになり、人と馬の関係は、人と自然の関係だと考えるようになりました。馬と一緒に暮らす人々の身体能力がすごくて、体の使い方に自然に対する作法があることにも驚きました。考えていく中で、自然と人間の関係に行き着きました」

ドキュメンタリーを撮影してきた強みはある。「まだまだ勉強中の身です。シナリオは難しく、慣れていません。劇映画とは何か、というものは言えません」と断った上で、その相乗効果を説明した。

「私が『馬ありて』で心がけたのは、演出をしないことでした。こじゃれたドキュメンタリーだったら、携帯電話を拾う場面のビチッとしたカット割りとか、演出があったんだろうな、と思うシーンがあります。僕は演出しないようにして、演出をしないドキュメンタリーの強みを感じてきました。劇映画で再現するのは難しいのですが、ひとつ言えるのは、サンカの撮影では、自然が背景になります。自然が背景になることで、こちらで役者を飾ることができなくなる。ドラマにはセットがあり、小道具があり、生活空間が演出されますが、自然を背景にするとドキュメンタリーになる。役者の真価が問われて、丸裸になる。それは難しいことですが、自分にとって初めての劇映画だからこそ、それをやりたかった。現代劇ではなく、室内でセットを作り込むでもなく、自然を背景に人が試されていることを撮りたかった。それはドキュメンタリーからの影響かもしれません」

今作でも設定された1965年を日本のターニングポイントだと感じている。哲学者の内山節の著書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(講談社現代新書)を挙げた。統計的に日本人は1965年を境に〝キツネにだまされる〟など田舎の共通理解が切り捨てられ、自然に対する畏怖がなくなり、人間は自然を制御できるという西洋思想に染まったという。

「1965年以前の日本に興味があります。1965年で高度経済成長がほぼ完成しましたが、それ以前は江戸時代からの流れがまだ残っていました。今はもうあまりにも浸透していませんから。個人として生きるのではなく、共同体、自然とのつながり、個に糸が引かれていて生かされているような…感覚的な話になってしまうのですが」

次作は人生の大半を旅に費やした民俗学者・宮本常一(1907―81年)をテーマに考えている。「劇映画であるか、ドキュメンタリーであるかは、曖昧でいたいと思っています。ふたつの間の映画をつくれたらいいですね。宮本常一の関係者は生きておられるので、現実の力も借りたい。リアルに勝るものはないと思っていますから」。柔和で笑顔を絶やさない表情の奥で、芯の強い目の光があった。

「山歌(サンカ)」ポスタービジュアル (C)六字映画機構

(よろず~ニュース・山本 鋼平)

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