大磯・旧吉田茂邸に居着いた野生ジカ いつ、どこからやって来た? 取材後まさかのストーリー展開

来園者が近寄っても逃げない野生のシカ。旧吉田茂邸がある県立大磯城山公園に居着いている=7日午後

 「神奈川県大磯町の旧吉田茂邸にシカが居着いている。観光客にも動じる様子はないけれど、このまま放っておくのか、シカにとって幸せになる行く末はどうすることが良いのか」。今月6日、同町で暮らす男性(68)から、気になる情報が「追う! マイ・カナガワ」取材班に寄せられた。現地を訪れてみると、野生ジカを巡る切ないストーリーや、微妙な距離感を保ちながら見守っていた関係者らの複雑な心情が浮かび上がった。

 翌7日、歴史が薫る県立大磯城山公園の旧吉田茂邸(大磯町西小磯)。戦後の占領下に就任し、サンフランシスコ講和条約を締結した宰相に思いをはせながら庭園に足を踏み入れたら、程なくして1頭のニホンジカが視界に入ってきた。

 体長は1メートル半程度か。竹林に座っていたシカは近寄っても逃げず、あくびを繰り返すなどリラックスした様子だ。

 「何でこんな所にシカが…」「名前をつけよう」。訪れた観光客らからも、予想外の“対面”に驚きの声が聞こえてきた。

 同園の旧吉田邸地区は国道1号に面し、南側には西湘バイパスを挟んで太平洋が広がる。約3ヘクタールとさほど広い敷地ではないものの、緑豊かで静かな環境が整う。

 旧吉田邸は町が管理しているが、庭園を含めた公園は県の平塚土木事務所が管轄している。園を管理している「県公園協会・大磯城山公園」によると、シカは昨年夏ごろに出没し、そのまま居着いてしまったという。

◆姿消した「親ジカ」

 取材を進めると、最初は親子2頭が目撃されたというが、ある日、親ジカがこつぜんと姿を消したことも分かった。昨年8月末にはJR東海道線の大磯-二宮間でシカが電車にひかれる事故が発生。親ジカだったとみられ、雌の子ジカが取り残されたようだ。

 ここで頭に浮かぶのは「シカがどこからやって来たか」という疑問。園関係者は一様に「分からない」と口にする。町によると、過去に鷹取山がある町西部の山間部で野生ジカの目撃情報があるが、そこからは直線距離で3キロも離れている。町は「海岸まで姿を現した記憶はない」と言い、珍しいケースに違いない。

 ニホンジカの生態に詳しい丹沢自然保護協会(清川村)の中村道也理事長(75)は、「シカは本来、集団行動をする。ただ昔と違って生息環境が大きく変わった」と説明。2頭は餌を求めて山から下りてきた可能性がある。

 居着いた子ジカは園内で雑草などを食べ、餌の確保に不便はなかったようだ。「シカはそれほど警戒心がない。周りにいる人が驚かさない限りはおとなしい」と中村理事長。これまで人に危害を加えた行為は確認されなかったという。

◆最終調整の矢先に

 「シカにエサをあげないで」「近寄らないで、ご一報ください」。園内には餌付けを禁止する立て看板も出ていた。

 一定の距離を取りながらも、野生ジカとの「共生」状態が半年以上も続いてきたのはなぜか。そもそも、県が地域と取り組む鳥獣被害対策の捕獲対象で、同町でも年に数頭捕獲される。捕獲後は基本的に山に戻すか殺処分、あるいは飼育を前提に引き取り先を見つける-といった選択になる。

 県公園協会関係者は「初期段階は子ジカだったし、(県側は)捕獲して殺処分はしにくかったのでは」と推測。対応に苦慮しながらも、県平塚土木事務所は「シカは原則的に駆除対象になっている。でもこれまで地域の人たちがかわいがってきたので、できる限り引き取り先を探した」とし、例外的に保護するための最終調整に入っていた。

 そんな折りだった。

 15日夕、同町西小磯の国道を横断した1頭の野生ジカが自動車にはねられ死んだとの情報がマイカナ取材班に入った。

 大磯署によると、現場は城山公園出入り口付近で居着いていたシカとみられ、長く続いた“居候生活”に突然、終止符が打たれた。

 図らずも、中村理事長は「人間が自然環境に手を入れれば、いろんな社会問題が出てくる」と話していた。今回の事象もその流れといえ、「1頭だけなら仲良くするのも一つの考え方」という提案も霧散した。

◆取材班から

 原稿をいったん書き上げ、掲載しようとした矢先に悲報が届く残念な結末。原稿を書き直しながら、もしかしたら子ジカは仲間のいる森に戻りたかったのでは、と想像が膨らんだ。人と野生動物が暮らす境界線が近づき、今後も同様のことが起こり得る。その時、どのような対応を取るべきか考えさせられた。

 【旧吉田茂邸】 戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂(1878~1967)が晩年を過ごした。養父・健三が土地を購入して1884(明治17)年に別荘を建てたのがはじまりで、茂が引き継いだ。多くの政治家が訪れ、近代政治の表舞台となった。2009年3月に火災で焼失したが、再建整備を経て17年4月から一般公開。再現された邸内や調度品などが見学できる。

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