棍棒を作ったら100本近くも売れた…「試し殴り」に惹かれた人が続出 里山暮らしの31歳が実践する「都会より不埒な生活」

「大棍棒展」の会場で棍棒を手にする東樫さん=2月、大阪市中央区

 オフィス街の地下ギャラリーにずらりと置かれたさまざまな樹種、形状の棍棒が異様な存在感を放っていた。大阪市中央区で2月に開催された「大棍棒展」。来場者が「試し殴り」をする動画がツイッターに投稿されて拡散すると多くの人が詰めかけ、急きょ整理券を配る事態になった。

 展示された約200本の棍棒のうち、3千~6万円の96本が10日間で売れた。主催したのは「全日本棍棒協会」なる任意団体。会長の東樫さん(31)は奈良県宇陀市の里山で暮らし、稲作や畑作、養鶏の日々の中で、棍棒も作っている。

 会場となった大阪・北浜のホテル「THE BOLY OSAKA」の総支配人、間宮尊さん(31)は東さんの友人で、全日本棍棒協会の幹部。記者が訪れた2月の週末、会場は人が途切れることのない盛況ぶりで、間宮さんは「途中からびびった」と打ち明けた。

 棍棒に今なぜ、都会に住む多くの人が惹かれたのか。そして、東さんとは何者か。(共同通信=松竹維)

 ▽子どもの頃を思い出した

 

地下ギャラリーの階段入り口に貼られていた大棍棒展のポスター=2月、大阪市中央区

 「スギやヒノキは棍棒向きではありません。堅い木が実用的です」「これは2万円。形の面白さがある」。東さんは来場者に丁寧に説明していた。カシ、アオダモ、ヤマザクラ、ツブラジイ、サルスベリ…。展示した棍棒の樹種は65種ほどになった。

 会場に来た40代の男性会社員はインターネットで展示を知った。「棍棒一つ一つの質感、重さが違う。削ったところの手触りはいいし感動した。山の中に秘密基地を作り、チャンバラの木を集めていた子どもの頃を思い出した」と笑顔で語った。

 誕生日プレゼントとして、ヤマボウシの棍棒を買ってもらった40代の女性会社員は「握り心地と軽さから選んだ。護身用に山歩きに持って行く」。

 京都から来た男子大学生が棍棒に持っていたイメージは「ゲームのキャラクターの初期装備で原始的な道具」。1万円のものを購入した。「とりあえずはオブジェとして飾る。これから自分にとってどんな存在になっていくのか楽しみ」

 ▽木の特徴を味わいながら作る

大棍棒展の会場に並んださまざまな棍棒=2月、大阪市中央区

 棍棒の材料の木は、東さんが製材所や知人から譲ってもらったり、伐木や公園管理などの仕事を通じて入手したりした。持ち手にする部分を決めてなたで削り、グラインダーをかけて紙やすりで仕上げている。

 会場では全日本棍棒協会が作成した「棍棒入門」も販売されていた。出品した棍棒の写真を掲載し、樹種や説明文が添えられている。

 「滑らかで光沢ある赤い樹皮」のヒメシャラは「優れた容姿だけでなく強靱さまで持ち合わせている。つまり鑑賞価値、使用価値ともに高水準」。サンショウは樹皮がワニのようにゴツゴツしているが、木質は緻密で滑らかだと記し「木の外見と中身を一本で鑑賞できる棍棒の特性を力強く証明する」と評している。

大棍棒展の会場で販売された「棍棒入門」

 東さんは棍棒の魅力を熱く語る。「木の種類によって、なたの入り方が全然違う。それぞれの特徴を味わいながら作ることが、だんだん面白くなっていった」。作るだけではない。「完成品の観賞も面白い。日本中、世界中の樹種で作ろうと思ったら、まだまだ楽しむ余地がある。果てしないです」

 ▽大学をやめて、生き物との関わりを日常に

 東さんの出身地は大阪府富田林市。高校時代は精神的に不安定だったという。高校をやめる口実として「留学したい」と親に言い、1年で中退した。ただ、言い出した以上、本当に留学しないといけなくなりカナダの学校へ。だが言葉が通じないストレスから帰国。それでも「なまじ海外で生活していたから身についた英語」を生かし、関西大に進学した。

 大学での勉強に興味は持てず、その一方で弓道部の活動に打ち込み、そのために大学に通う状況になった。3年で事実上部活を引退して休学。その後、大学もやめた。

 将来やってみたいことは特段なく「生きる営み自体をやってみたらどうだろう。まずは食べることだ」と考えた。休学中に「自然農」を本などで学び、借りた畑で野菜作りを始めた。

 

 

棍棒作りを実演する東樫さん=2月、大阪市中央区

 子どもの頃から虫や動物など、人間以外の存在に親しみを感じていた。化学肥料や農薬に頼らず、微生物や虫などの力を借りる農業をやってみたかった。生き物の中には、もちろん作物の成長を阻害する存在もいる。「友好的であろうと敵対的であろうと、生き物との、いろんな関わりが面白かった。これを日常にしたいと思った」

 ▽貪欲や悪行によってこそ…

 兵庫県で1年間働いた後、2015年に奈良県宇陀市に移り住んだ。理由は「大阪からそう遠くはなく、買い物には困らず、主食とする米を作る平たんな土地もあれば、山もあるから」。

 カエル、イモリ、ミミズ、樹木に野草…。東さんは、さまざまな生物に囲まれた環境で米や野菜、大豆などを育ててきた。つかまえたマムシはニワトリのえさにし、そのニワトリを自分が食べる。そんな日常を送る中、20年10月に「人類堆肥化計画」(創元社)を東千茅という名前で出版。「農耕は、他の生き物を餌にして作物や家畜を育むばかりでなく、育んだ作物や家畜を殺して食べるという、罰当たりな悦びの重層する営み」と書いた。

 本では「里山に想定されがちな禁欲や善行ではなく、貪欲や悪行によってこそ、人間も多種の入り乱れるお祭り騒ぎに参加できる」「里山は都会よりよっぽど不埒だといえるだろう」とも記している。

 里山を育む団体「つち式」をつくり、代表として「つち式」という雑誌も出し、生き物たちとの日々を書きつづっている。

雑誌「つち式 二〇二〇」の「鈍いカヤネズミ」を紹介したページ

 ▽山の多様性

 里山生活の中で本格的に棍棒を作り始めたのは昨年の春。以前から、里山での作業に使うために作ってはいたが、友人にプレゼントしたら思った以上に喜んでくれたことが後押しとなった。

 昨年夏にインターネット上で「大棍棒宣言」を発表し、全日本棍棒協会を発足させた。大棍棒展に向けて一番苦労したのは「いろんな種類の木を集めること」だった。

 「僕の住んでいる地域は人工林ばかりで、スギ、ヒノキが密植されたまま放置されている。森の中は真っ暗で他の木が生えていません」。なんとか65種ほど集めたが「持続的に棍棒を作っていくには、今の状況では当然駄目です。山の多様性をどんどん向上させていかないといけない。いろんな木が生えるようになれば、その方が単純に楽しい」。つち式の活動として、放置されている人工林を伐採し、雑木林にしていきたいと考えている。

 ▽「棍棒飛ばし」の全国大会を計画

 棍棒は本来、殴るためのものだ。協会が「実際に使ってみたい」と考案したのが「棍棒飛ばし」という競技。2チームによる攻守入れ替わり制で、攻撃側は台に載せた「被打棒」を「殴打棒」でたたいて飛ばし、ヘルメットをかぶった守備側は「撃墜棒」で打ち返す。遠くまで飛ばせば得点が高くなる。

「棍棒飛ばし」をする東さん=4月、奈良県宇陀市

 「競技を思い付いて、さらに棍棒が楽しくなりました」と東さんは満面の笑みを浮かべる。

 大棍棒展が「バズる」きっかけになったのは、会期の途中まで実施した試し殴りの動画だった。「多くの人が、自分の中の暴力的な欲求を持て余していたのかもしれません。今の都市生活でそれを満たすのは難しいでしょうし、だったら棍棒飛ばしをやったらいいやん、と思います」

 全日本棍棒協会は今秋、宇陀市で棍棒飛ばしの全国大会を開催しようと計画している。東さんの人脈で栃木県や愛媛県などからのチーム参加を見込む。大会に向けてより飛距離を伸ばそうと、東さんが暮らす家の近所で練習にいそしんでいる。

「棍棒飛ばし」の得点を記入するボード

 棍棒を通じ、木の世界に目が開かれたという東さん。「木のことを知らないと、山に行っても雑多な木が生えているだけの景色。でも木の種類、性質、どんな所に生えているのかといったことを知れば、木への愛着がわいてくる。田舎に暮らし始めて年々、楽しさが増しています。都会よりも刺激に満ちた場所です」

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