熊本地震6年 経験ない私なりに 「よそ者」意識変化 鬼束実里記者

© 株式会社熊本日日新聞社

熊本地震の被害や復興の様子を伝える益城町復興まちづくりセンターで吉村静代さん(左)の話を聞く鬼束実里記者=7日(後藤仁孝)

【伝える…一歩から 熊本地震6年(上)】

 熊本地震の発生から6年。熊本日日新聞社内も、当時の取材経験のない世代が少しずつ増えている。一方で、地震の記憶を息長く伝え続けることは地元紙の大きな役目だ。若手記者2人が被災地を訪ね、伝えるための一歩を踏み出した。

 熊日の記者になってから2年間、熊本地震で被災した人を取材していて、どう会話を続ければいいか戸惑うことが多かった。「あの時は…」と切り出す人たちの表情には、苦労や悲しみがにじんでいる。かけるべき言葉が見つからないこともあった。

 出身地も進学した大学も県外。熊本出身の同僚と話していて熊本地震が話題に上ると、引け目のようなものを感じていた。「よそ者の私に、熊本地震を語る資格はないのでは」。そんな思いも抱えながら、語り部として活動している吉村静代さん(72)=益城町寺迫=を訪ねた。

 「現場に立って説明すると、悲しみや復興にかける思いが伝わりやすい」。そう言って吉村さんが案内してくれたのは、地震の影響で益城町堂園地区の地表に露出した布田川断層帯だった。真っすぐだったあぜ道は、クランク状に折れ曲がったまま。自然の脅威を改めて思い知った。

 「あの日、備えがあれば守れた命があるはず。私たちの話を聞いてもらうことで地震を自分のこととして考え、防災や減災につなげてほしいんです」。2度の震度7に襲われた益城町では、災害関連死も含めて45人が亡くなった。吉村さんの訴えは胸に響いた。

 「こんなに広かったかな」。益城町にあったテクノ仮設団地の跡地を車で通りかかると、入居者の1人だった吉村さんがつぶやいた。ピーク時に507世帯が避難生活を送った県内最大の建設型仮設住宅で、2020年9月に閉鎖。「全然知らない場所みたい。6年って、あっという間だ」という吉村さんの言葉が切なく聞こえた。

 「なくなるということは復興の証しでもありますよね」と問いかけると、吉村さんは明るく「そうね」と答えた。そして「それでも寂しい。言葉が適切か分からないけど、地震後はいいこともあった。避難所や仮設住宅で一緒に過ごした人、支援してくれた人に出会えたんだよ」と続けた。思いがけない言葉だった。

 「熊本地震を語る資格は、私にもあるのでしょうか」。思い切って尋ねてみると、「語るための資格って、そもそもないんじゃないでしょうか。全ての人に語り部になってほしいと思っています」という答えが返ってきた。

 語りたくてもノウハウがない人のため、「まずは周りに起きた被害を知ることから始めて。そして実際に現場に立ち、被災者の体験や感じたことを聞いてほしい。たくさんの人に聞いて自分ならどう備えるか、どう避難するか考えてもらいたい」と助言もくれた。

 熊本地震と距離を感じるきっかけをつくっていたのは結局、「よそ者だから」と考えてきた自分だった。あの日の経験はないけれども、熊本地震を知らない人にこそしっかり伝えたい。同じ立場の自分だから、どんな記事が心に響くのか分かるような気がする。

 「また来ます」と言って吉村さんと別れた。次に会う時は、具体的な記事の提案をしてみたい。