分断国家、飢餓と戦争、彷徨いつづける子どもたちへ── 俳優としても注目を集めるチュ・サンミ監督によるドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』が劇場公開決定、メインビジュアル解禁!

韓国で異例の動員から大きな話題となったドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』が、2022年6月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開することが決定。あわせて、ポスタービジュアル、場面写真、本作監督のコメントが到着した。

ポスタービジュアルでは、ホン・サンス監督作への出演など俳優としても注目を集めるチュ・サンミ監督の横顔と、韓国でも知られていない歴史の闇に光を当てた彼女の繊細な眼差しが描かれている。 1950年代、北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られた朝鮮戦争の戦災孤児たちがいた。その軌跡をたどる調査の中で、10代の若さで命がけの脱北を経験した大学生のイ・ソンは何を思い涙を流すのか──。 戦争や飢餓により彷徨い続ける子どもたちの<傷と愛>をめぐる本作の旅路がデザインされている。

INTRODUCTION

“ポーランドへ行った子どもたち”とは、1950年代、北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られた朝鮮戦争の戦災孤児のことを言う。 韓国でも知られていない歴史の闇に光を当てたのは、ホン・サンス監督作への出演など俳優としても注目を集めるチュ・サンミ。取材に同行したのは、10代の若さで命がけの脱北を経験した大学生のイ・ソン。 現代から過去へ、朝鮮半島からポーランドへ。孤児たちの悲痛な分断の記憶を巡る旅先で、彼女たちは異国の子どもたちを我が子のように育てた教師たちの記録を知る──。 いまもなお国家間の凄惨な争いが続くこの世界で、本作は抗えない傷を負う子どもたちの姿に近づき、消失した“愛”の再生の可能性を問いかける。

STORY

監督のチュ・サンミは、出産後に子どもへの愛着や不安のために産後うつを経験する。そんな中、彼女は偶然目にした北朝鮮の孤児たちの映像をきっかけに、秘密裏にポーランドへ強制移送された戦災孤児たちの記録を知る。 1950年代、自国も厳しい情勢下に異国の孤児たちを我が子のように受け入れたポーランド人教師たちと、彼らを「ママ」「パパ」と慕う朝鮮の子どもたちがいた──。チュ・サンミは、脱北の過去を持つ大学生イ・ソンとともにポーランドを訪問し、いまでも子どもたちを懐かしく思い涙を流す教師たちと出会う。あのとき彼らは何を思ったのか。その後朝鮮に送り戻された孤児たちはどうなったのか。そして旅の途中、イ・ソンは泣きながらいまも北朝鮮にいる家族のことを語りはじめる。

チュ・サンミ(監督・出演)コメント

こんにちは、ドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』を監督したチュ・サンミです。長く待った甲斐あり、東京のポレポレ東中野で公開できることになり、とてもうれしく思っています。

1950年に勃発した朝鮮戦争により親を失い、傷を負った戦争孤児たちの話は、北東アジアの国々と歴史的に関わりのある話でもあります。

現在進行形の傷、ウクライナでつらい思いをしている子どもたちもまた、しらばらくすれば人々の記憶から消えてしまうかもしれませんが、共通する話だと思います。

日本の観客の皆さんも、韓国・北朝鮮の隣国の市民として、またウクライナ問題が起こっている同時代の世界市民として、『ポーランドへ行った子どもたち』を見て、「傷の連帯」を感じてもらえればと願います。

世界のどこかで今も起こっている、子どもたちに向けられたすべての「暴力」がなくなることを祈っています。

【チュ・サンミ プロフィール】

1972年ソウル生まれ。父は俳優のチュ・ソンウン。

1994年、俳優としてデビュー。1996年、百想芸術大賞の新人演技賞(演劇部門)受賞。ハン・ソッキュ、チョン・ドヨンと共演した『接続ザ・コンタクト』(1997)や、ホン・サンス監督の『気まぐれな唇』(2002)、イ・ビョンホン、チェ・ジウと共演した『誰にでも秘密がある』(2004)などの映画で注目を集める。KBS演技大賞優秀演技賞を受賞した『黄色いハンカチ』(2003)をはじめ数々のドラマにも出演したが、『シティホール』(2009)以後、出産・育児のため演技を休止。ドラマ『トレーサー』(2022)で13年ぶりにドラマに復帰した。演技を休止している間、中央大学大学院映画制作科に進み、映画演出課程を修了(2013)。短編映画『扮装室』(2010)、『影響の下の女』(2013)などの演出を経て、ドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』(2018)の監督を務める。

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