グラバーのカミソリ? 長崎の中村さん方 「曽祖母が使用人」

中村さん所蔵のカミソリ。理髪店で使われるような折り畳み式のL字型で、刃の側面に社名などの刻印がある

 幕末、明治の長崎で活躍した、ひげがトレードマークのスコットランド人貿易商、トーマス・グラバー(1838~1911年)。長崎市横尾3丁目の中村寛さん(68)から「グラバーが使ったかもしれないカミソリがあるので調べてほしい」という依頼が、長崎新聞の情報窓口「ナガサキポスト」に寄せられた。曽祖母がグラバーの使用人だったといい、外国人と一緒に写った古写真なども残る。専門家によるとグラバーとの関わりは立証できないが、同じ時代の品なのは間違いなさそうだ。
 カミソリは折り畳み可能な西洋式でケースが付属。刃渡り約7㌢、柄の長さ約15㌢。古いがよく手入れされた物のようで、刃は今も光沢を保っている。刃側面の刻印から米国の「ジョージウォステンホルム&サン」社製。1800年代にカミソリを国内外に販売しており、当時製造の品とみてよさそうだ。
 カミソリは寛さんの曽祖母ミネさん(1958年、83歳で死去)の遺品。ほかにも刀のつばや巻物、明治期の地図や書籍など数十点あり、寛さんの母カナエさん(93)が持っていた。ミネさんの詳しい生涯は分からないが、カナエさんは生前のミネさんから「グラバー家の女中頭だった」と聞かされていた。

中村さん方に残る故写真の1枚。満開の花の下で写した外国人ら9人の集合写真。右から4人目の女性が中村ミネさん
外国人家庭の使用人たちとみられる集合写真。中村ミネさんは前列右から2人目

 一方、古写真の1枚は満開の花を背景に、身なりの整った7人の外国人(うち女性1人)と、日本人とみられる男女の計9人が写った集合写真。右から4人目の女性がミネさんという。別の1枚は日本人とみられる男女15人の集合写真。服装から料理人や人力車夫などがおり、ミネさんも写っている。外国人家庭の使用人たちと推測される。
 ミネさんは1875年ごろの生まれ。カナエさんの話では、幼い頃に大分から長崎の商家へ養女として入り、その縁でグラバー家で働いた。厳しくきちょうめんな人で「夫人の付き人を務めた」というが、これらを裏付ける史料などは確認できない。
 ただ、遺品のうち複数の印刷物は発行が明治30年代(1897~1906年)に集中。古写真の専門家である長崎外国語大(長崎市)の姫野順一学長によると、写真の状態から撮影時期はこの頃と合致する。
 グラバーの研究者である長崎総合科学大(同市)のブライアン・バークガフニ特任教授に写真を見てもらったが、個人を特定可能な人物はおらず、撮影場所も長崎かどうかを含めて不明という。バークガフニさんは「外国人の家では当時、日本人の使用人が多く働いていたが名前が確認できる人はごくわずか。子孫から提供される証言や写真は、長崎の近代史に貴重な光を当てる資料だ」と話す。
 寛さんは「来歴について少しでも分かってよかった。研究などに活用してもらえればうれしい」と語った。

中村ミネさんの生前について語るカナエさん(左)と寛さん=長崎市の自宅

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