経済成長と国力の関係、25年でGDPが4000億ドル減った日本はどうなる?

経済が成長しなければ国力は衰退し、やがて安全保障の問題にまで発展します。日本はGDPが減少し、国力が衰退しているといわれていますが、そもそも経済成長と国力は、どういった関係なのでしょうか?

そこで、産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員の田村 秀男氏の著書『「経済成長」とは何か - 日本人の給料が25年上がらない理由 -』(ワニ・プラス)より、一部を抜粋・編集して「経済成長と国力の関係」について解説します。


経済成長とはどういうことか

経済成長率は一般的に国内総生産(GDP)の伸び率のことです。GDPは、要するに新しく作り出される経済価値の集合体、いわゆる付加価値、つまり「粗利」の合計額を指します。

「粗利」とは事業者の仕入れコストと売上額の差額です。粗利は従業員への賃金、役員報酬、税金、株主への配当、銀行への利払いなどに配分されますから、付加価値=粗利が増えないと家計も政府財政も潤わないし、銀行経営も安定しませんね。

付加価値の合計とは、高層ビルの1階から屋上までを切れ目なく結んでいる階段を想定してみればよい。

各段の段差が付加価値で、全段差を合計するとビルの地上から屋上までの高さに等しくなります。それがGDPということです。たとえ一部であれ、段がどこかで欠落したり、凹んだりしてしまえば、階段全体ががたつきますね。

各段を業種別の付加価値と見なし、新型コロナウイルス不況を考えてみましょう。感染禍のために人の足が止まり、飲食、娯楽、宿泊業など一部の業種が営業できなくなった。それらの段が破損したわけで経済全体は不振に陥ります。

GDPは生産(付加価値)ばかりでなく、分配(所得)、支出(需要)の3つの側面で一定期間のあとに等しくなります。それは「3面等価の原則」と呼ばれます。

分配面では、賃金(雇用者所得)、利潤(営業余剰)、固定資本減耗(減価償却費)と租税(間接税-補助金)の合計で、国内総所得(GDI)と呼びます。

支出面は、民間部門の家計や企業による消費と投資、政府による投資と消費に、輸出入の差額を合計したもので、国内総支出(GDE)となります。

一般的に日本を含め各国政府が統計で公表しているGDPとは「生産」なのですが、じつは支出面のGDEから集計しています。各部門の需要動向は小売り、家計消費、法人企業動向調査など政府の各種統計ではっきり出てくるので、景気判断をするうえで重宝なのです。

主要国の消費のうち一番大きいのは家計消費です。

投資については企業の設備投資や住宅投資。それから政府による公共投資です。それから在庫投資というものがあります。これは生産をすると在庫が発生しますが、在庫はすぐには使われませんから、一応投資と見なされるわけです。ただここに株式投資は入りません。モノとサービスの動きだけが対象になるからです。株式投資は金融のほうで資産市場です。

対外貿易額は貿易で輸出したぶんはGDPのプラスになり、輸入したぶんはマイナスになるということです。単純に「輸出-輸入」という式で出ます。

ちなみにGDPには名目GDPと実質GDPがあり、前者は単にそのときの市場価格で算出したもので、後者は名目GDPから物価の変動による影響を除いたものです。

例えばある菓子店がオープンして、1年目に1個10円のキャンディを1万個販売したとします。この年の売り上げは10万円となります。翌年砂糖の価格が上昇し、1個12円で販売しました。値上げしたにもかかわらず、1年間で1万2000個販売したとします。この年の売り上げは14万4000円となります。

最初の年を基準にすると、1年目の名目GDPも実質GDPも10万円で変わりません。ただ翌年、名目GDPは14万4000円となりますが、実質GDPは物価変動分を除いて算出しますから、10円×1万2000個=12万円となります(10円は、物価上昇分の2円を除いた額)。

経済成長で得る恩恵とは?

繰り返しますが、経済成長はGDPがベースになっています。GDPが増えるということは、実際には消費が増えるか、投資が増えるか、あるいは輸出が増えているということになります。

GDPが増えていくことによって、例えば一般のサラリーパーソンにはどういう恩恵があるのか。GDPは国内総生産と呼ばれていますが、生産額というものは最終的に国民が得る所得にほぼ等しくなります。要するにGDPが増えるということは、マクロとしての所得が増えることになるのです。

GDPが増える、つまり経済のパイが大きくなるということは、それだけみんなが豊かになる、所得が増える基礎になるわけです。しかしながら、万人等しくその受益があるとは、勿論限りません。私の給料が増える……ここはまた違う世界になります。

ただ所得が増えるということは、政府はそれだけ税収が増えます。税収が増えるから、政府はそれによって予算を組んで、軍備を増強したり、研究投資したり、インフラを整備したりということになります。

このように経済が成長すれば税収が増える。税収が増えれば政府がそれを再投資する。それでまた経済、国民が豊かになる。これがベストの好循環です。財政もバランスします。財政がバランスすることは非常にいいことですが、日本ではいつの間にか「財政がバランスすればすべてよし」という発想になってしまっています。その弊害については後述します。

経済成長と国力の関係

日本のドル換算した名目のGDPは1995年が5.5兆ドル程度でした。それがいまでは5.05兆ドルくらいですから、25年かけておおよそ4000億ドルも減っていることになります。要するに国力がそれだけ衰退しているということです。

中国は1995年のGDPが1兆ドルにも満たなかったのですが、いまや17兆ドルです。国力が約17倍に上がっているということです。経済成長にはそれだけの国を変える力があるということです。

例えば、北海道の原野も東京の都心のマンションもそうですが、中国人がその気になったらバンバン買えるわけです。それだけ国力が上がっている。反対に日本はそれだけ安くなっているのです。国力の衰退というのは、じつは「安く」なることです。

これは完全に安全保障の問題です。恐らく中国共産党の幹部にしてみれば「なんだ、日本ってこんなちっぽけなもんか」という感じでしょう。25年前の世界の経済地図を考えてみましょう。GDPで国のサイズを決めた場合、日本は中国を飲み込まんばかりに大きかった。一時はアメリカと拮抗するくらい大きかった―アメリカのGDPの7割にまでなりましたーー日本ですが、いまやほんとうに風前の灯火です。これはまさに国家の危機と言っていいと思います。

経済成長が必要な理由

経済成長はなぜ必要なのでしょう。

人はみんな年を取ります。それゆえ、家族や社会は高齢者を養う必要があります。平均寿命が延びれば延びるほど、現役世代がその人たちを養わないといけない。さらに子供たちも育てないといけません。高齢者が安心して暮らし、子供たちを育てて社会を次世代に繫げるには、現役世代の収入が増えることが不可欠です。

そのためには付加価値、新しい価値が必要となります。それがないと収入の源泉になりませんから。

つまり前世代と次世代を支えるために必要なものは何かというと、それは「原資」なのです。そして原資はどこから来るかというと、経済成長です。

だから「ゼロ成長でもいい。いや、マイナス成長でもいいじゃないか。成長しなくてもいい。みんな静かに暮らして、それでいいじゃないか」というわけにはいかないのです。そうしたら、老人は姥捨て山に送り込んで早く安楽死させ、子供はつくらないとなってしまう。それしか選択肢はないのです。

隔絶された環境で、大人も子供も自給自足で生きるという方法もあるかもしれませんが、それでは子供をつくるのにも制限が出るでしょう。結婚もしにくくなるでしょう。長い間経済が停滞している日本は、そういう前兆というか流れにもうなってしまっているのではないでしょうか。

だから経済がある意味、実質成長率(物価変動の影響を除いた実質GDPで算出)で2%、名目成長率(物価変動の影響を除いていない名目GDPで算出)で3%という先進国の常識というか、このくらいは達成しないと厳しい。少子高齢化に対応できません。

ゼロ成長のままだと、日本国は滅びる。それは怖いから、外国人をどんどん入れなさい。中国人もどんどんいらっしゃい。中国の北海道の土地の買収も大いに歓迎ですよという動きが見られますが、こうなると、恐らくもう日本が日本でなくなるでしょう。

中国人が北海道の買収した場所に住みついてしまう。チャイナタウンとか中国人街がどんどんできる。中華料理を食べに行く「チャイナタウン」ではなく、ほんとうに中国人が住んでいるチャイナタウンです。そこでは「日本人と犬は入るべからず」とされてしまう可能性だってあります。近未来に中国人の住民が牛耳る地方議会が出てくるかもしれません。これを「日本」と呼んでもいいのでしょうか?

経済成長でチャンスが生まれる

マクロの経済成長がない、つまり経済のパイが大きくならないということは、チャンスがそれだけ失われることになります。とくに新規参入というか、これから社会にどんどん登場しようという意欲のある若者がチャンスを持てないということになります。

譬えていうと、マクロ経済は物凄く大きな競技場で、そこには誰でも―金持ちでも貧乏人でも、車椅子が必要なハンディキャップを持った人でも、入ってきて練習できるとします。ところが、なんらかの理由でその競技場のパイが小さくなると、立場の弱い人たちから締め出されてしまいます。それは、チャンスが失われていくということです。ダダダーッとシャッターを下ろされてしまい、なかにいられればチャンスはあるのですが、入ることすらできないというのが、マクロ経済がダメになった状態。

勤労世代が所得を増やすチャンスを持てないと、生まれた子供たちにしわ寄せが来ます。教育機会が非常にお粗末になる。金銭的に恵まれた家庭はしっかり塾に行かせたり、いろいろお稽古事をさせたり、家庭教師を雇うこともあるかもしれません。そうやってさまざまな教育機会が充実していきます。富裕層の子供たちはそういう環境で育てられるわけですから、非常に豊かな教育機会に恵まれるわけです。

人間というものにはいろいろ能力差があるといわれます。しかしながら、おぎゃあと生まれてから、人間の頭脳は環境によって決まる部分が非常に大きいわけです。人間の能力は天分の部分もないわけではありませんが、やはり環境に大きく左右される。

そういうわけで経済が萎縮した状態で放置しておくのは、人や社会の進歩に対して大変なマイナスになると思います。一種の犯罪ではないかとすら思います。

これはアメリカの友人から聞いた話ですが、アメリカ南部の農場、例えば大豆や綿花、砂糖など年に一回だけ収穫がある農場で、子供たちのIQを調べたそうです。すると、収穫が終わって「さあ、新しい苗を植えました」、そのあとはIQが上がったといいます。ところが収穫する数ヶ月前になると、農家は収入が少なくお金がない。そうしたら、子供たちのIQがものすごく下がっていたとのことです。2013年8月発行の、アメリカの科学誌『サイエンス(Science)』に掲載された、貧困が脳に与える影響についての研究報告では、貧困は人の知力を鈍らせる影響があるといいます。貧困は人の心的資源を枯渇させ、問題の解決や衝動の抑制といったことに対する集中力を減少させるというのです。

将来への希望に満ちて、「さぁ、どんどん前に行こう」というメンタリティになると、脳が活性化するのです。逆に閉塞状態になってしまうと、抑うつ状態になってしまう。

また、例えばAという家庭もBという家庭も大農場で、年1回大きな作物の収入が同じようにあっても、Aは父母とも非常に堅実で安定しているけれど、Bは父親がアル中でよく暴れる。でも母親がすごいしっかり者でなんとか家庭を支えているという世帯差や個人差はあるでしょう。そういう個々の単位での考察は必要ですが、経済全体、つまりマクロ経済が整っていない、もしくはどんどん小さくなっている場合、恵まれない家庭はますます追いこまれます。そうなっていると、個人、個人がどんなに努力をしても、ほとんど報われない。

業績によってばらつきがあったり、個人差があったり……勿論ミクロの次元ではあります。ただ、やはり非常に重要なのは、全体の条件、つまり万人平等の条件をマクロが決めてしまうということです。マクロが整っていない状況では、ミクロの条件が不利な人は出発点から困難な状況に置かれてしまう。

「それでも這い上がろうと、一生懸命頑張るからいいじゃないか」という考え方もありますが、しかし、全体の統計を取ってみると、明らかに恵まれない層が追いこまれている傾向が出てきます。経済というのはそういうものです。

だから私は「経済のパイが絶えず大きくなっていかないと、国家の未来がない」と言いつづけているのです。というのも国家は国民が支えるものだからです。とにかく経済を成長させないと国力は衰退します。このままでは日本は中国の属国、支配下に本当に飲み込まれる。若い人には希望がなく、少子化はますます進む。高齢者も養えなくなる。

でも日本には、政治家にも経営者にも、そして国民にも「経済が成長しないと国力がなくなり、滅亡するのだ」という危機感がありません。「経済を成長させることが何よりも大事だ」という感覚は国家としての本能であり、政治家として本能だと思うのです。その本能を取り戻さないといけません。

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給料が増えないのも、「安いニッポン」に成り下がったのも、すべて経済成長を軽視したことが原因です。
物価が上がらない、そして給料も上がらないことにすっかり慣れきってしまった日本人。ところが、世界中の指導者が第一の目標にしているのは「経済成長」。経済が成長しないと国力が衰え、国民の生活が窮乏するからなのだが、なぜか平成バブル以降の日本政治は経済を成長“させない""政策ばかりを繰り返してきた。その理由とはいったい何か? そして、そもそも「経済」とは、「経済成長」とは何なのかを、日本経済の分岐点に幾度も立ち会った経済記者が説く!

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