【あなたは何しに?】「彼らのサポートをするのはやりがいがある」パドック中で人気になった日本食でホンダを支えた料理人

 2022年のヨーロッパラウンドがイタリア・イモラで開幕しようとしている。そのパドックには、ヨーロッパラウンドには欠かせないモーターホームが所狭しと並べられている。しかし、昨年あったモーターホームが今年はひとつだけ姿を消した。それは、パワーユニット・マニュファクチャラーとしてF1に参戦していたホンダのモーターホームだ。

 昨年までホンダのモーターホームを運営していたのは、デイブ・フリーマンが社長を務めるイギリスのケータリング会社だ。フリーマンとホンダとの関係は1999年まで遡る。フリーマンは当時ホンダがワークスとして参戦を目指していたホンダのテストチームに、ケータリングスタッフとして参加していた。

「テストドライバーだったヨス・フェルスタッペンが息子でまだ2歳だったマックスを連れてきて、コクピットに座らせていたよ」(フリーマン)

 しかし、ハーベイ・ポスルスウェイトが急逝して、ホンダはワークスとしての参戦を断念。BARとパートナーを組んで参戦することになったが、ホンダはチームとは別に独自のモーターホームを所有することになったため、フリーマンはホンダのケータリング会社として2000年からF1の世界に入る。

 モーターホームはチームおよび企業のホスピタリティエリアであるため、訪れる海外のゲストに対してはインターナショナルな料理が振る舞われることが多く、イギリス人のフリーマンにとっては問題なかった。ただし、モーターホームにはもうひとつの役割があり、それは自社のスタッフのまかない飯を提供する場所だということだ。ホンダには日本人が多く所属しているため、そこで提供されるまかない飯は日本食が多くなる。そのため、フリーマンはイギリスのスウィンドンにかつてあったホンダの市販車工場ホンダUKの近くにあるスタントンハウスホテルでシェフとして働き、日本食の腕を磨いた。

 フリーマンが提供する日本食は、パドックでも人気の的となり、日本人だけでなく、海外のメディアが行列をなすほどとなった。メディアだけでなく、ドライバーからの人気も高く、2000年代はミハエル・シューマッハーらライバルチームのドライバーたちが出前を頼むほどだった。

 しかし、ホンダは2008年末に突然、F1から撤退。フリーマンはホンダの後継チームとなったブラウンGPのモーターホームを任されたが、そのブラウンGPが2010年からメルセデスとして再出発することになると、2010年からは新規参入チームのロータスを担当。その腕を買われ、フォースインディアのモーターホームを任されるほどまでになった。

 そんな矢先、ホンダがF1に復帰することを発表。ホンダは再び自前のモーターホームを準備したいということで、フリーマンに白羽の矢が立った。

「ホンダがF1に復帰するから手伝ってほしいと誘われたとき、私に迷いはなかった。ホンダのスタッフは本当に一生懸命で、彼らのサポートをすることはとてもやりがいがあるからね」

佐藤琢磨のサイン
フェルナンド・アロンソのサイン
アレクサンダー・アルボン&マックス・フェルスタッペンのサイン

 レース後、ドライバーズチャンピオンを獲得したホンダのスタッフはピットレーンで記念撮影を行った。チャンピオン獲得を祝う記念のTシャツを着て集まるホンダのスタッフに混じって、フリーマンはホンダドライバー全員のサインが入った思い出のユニホームを着て現れた。そして、カメラに向かって、左胸を両手の人差し指で指すあのポーズを行った。

 ありがとうフリーマン、そしてさようなら……。

左胸のHマークを指差すフリーマン
アブダビGP後、フェルスタッペンのタイトル獲得を記念して写真撮影
左がデイブ・フリーマン。右は日本人シェフの白石彰(しらいし・あきら)さん。日本人シェフが加わり、ホンダの日本食の味はF1パドックで右に出るものがなくなり、マクラーレンやレッドブルのスタッフもこの日本食の弁当を頼むようになった

© 株式会社三栄