乳がん手術 そして朝、目覚めたらすぐごはん! 両側乳がんになりました145

次の誰かのためにと綴っています

『突然の乳がん告知 心構え 覚えておきたいこと 告知から手術までの期間 準備しておきたいこと』
https://sodane.hokkaido.jp/column/202204151930002015.html
に大きな反響がありました。

自分自身を振り返ると『がんと診断された瞬間』が一番悩んだ、と思います。告知から手術の間は不安だし、準備もどうすれば、と思っておられる方が今もおられると思うと正しい情報に接してほしいと願うばかりです。

クリニックでの数日間の入院を振り返る前に、私と同じような体験をされた方々からのメールが届きました。

50歳女性 『共有なのか、無配慮なのか』

『はじめまして。私の癌との向き合い方を綴らせて頂きます。2020年9月に異変、10月に乳癌診断、11月に左胸全摘手術。リンパ節転移が1個ありステージ2B。ルミナルA。

転職したばかりの職場での異変で、上司(女性)に休暇の許可をもらうため理由を言う必要がありましたが、男性を含む同僚の前で「乳首から分泌」、診断前にも関わらず「病気だと思うの」、「今後の治療で放射線なら、休みも必要だから人をいれないと」。診断前の検査で揺れ動く精神状態で、共有なのか無配慮なのか。絶対、癌になるもんかと思いましたが、むなしく診断確定。かつ、乳房再建の予定が皮膚壊死のため断念。

細胞診で非浸潤型だったのが、リンパ節転移の浸潤型。手術直後から発熱し、意識が朦朧とする中、自分の(来年行うであろう)葬式の段取りを考えていました。

幸いだったのは、大学病院外科病棟ということもあり、同室フロアが癌患者や難病患者さんがたくさんいたことです。毎日、手術に臨む人がいて「痛い痛い」と帰ってきては回復して退院していきました。早期で発見された人の負担が非常に軽く、同じ全摘、リンパ節転移の人もいる安心感。抗癌剤は「治療」。

身近に癌患者がいる方から、骨転移しながら日常生活を続けている人の話をしてもらいました。80代の女性はレジェンドと言ってよい方で、40代の時に乳癌、その後、大腸癌、骨折と経験していながら明るく元気でした。結局、癌である彼女が一番の長生きではないかと。

その女性曰く「癌のことは癌になった人じゃないと分からないでしょ。そりゃ話せば同情して慰めてくれるけど、分かってはもらえないのよね。」と。

入院で出会えた方々は、私の宝物です。彼女たちに出会えなければ、0%ではない再発率に怯えて、おそらく鬱々とした生活を送っていたでしょう。今は、分かってもらおうと思いませんし、入院中のことを思い出せば生きる勇気が出ます。とりあえず10年の命拾いをしたと考えて、やりたいことをやっておきたいと思います。』

45歳女性『ひとりじゃない』

『阿久津さんの文章は無駄がなく、乳ガンと告知され今まさに進み出した私には、応援のようにありがたいです。
病院に行くのが嫌い、婦人科検診はと言われている方もたまにお見かけしますが、命を大切にする自分と家族大事な人の為、知ることの勇気を持つ事、阿久津さんのテレビでのこの活動も期待しています!ひとりじゃない、本当に素敵な響きですね、私もこれからの治療、前を向きますね!』

病と向き合う方との出会いは本当に大切で、それが次の誰かのためにつながっていると心から思います。

お二人とも、前を向く、と自分を鼓舞されているのを文章から感じます。

頑張ってとはいいません。私も言われても頑張れないし、もう十分、皆さん頑張っている。だからこそ、一緒にと思いますし、応援しています。

わたしの手術後 翌朝起きたらすぐごはん。

手術前日に入院し、最後の検査を終えると、夕ご飯。ここから絶食に。私は翌日の一番最後だったのですが、最後の診察で同時再建できないショックにやられてましてまったく食欲がなく・・・でも前日まで働きまくってたので疲れ切っていて、この夜は眠れてしまい、すっきりと手術日を迎えてしまいました。

手術が午後4時からだったので、丸一日、ただただ待っていました。でもやれ、点滴だ(両側だと足に点滴)やれ着替えだ、とカウントダウンされている気にはなりました。

時間になって、まな板(手術台)の上に自分で載ったらあとは『ワープ』。ほぼ覚えてません。

両側だったので、時間がかかるため、夕方一番最後の手術。病室に戻ってきたら真っ暗でした。

全身麻酔の間は自力で呼吸することはできないので気管にチューブ。なので起きるとノドがどうもいがらっぽい。
ちゃんと目覚めたこと・呼吸が回復していることが確認されてから、もちろん病室に戻るわけですが、ややぼんやり。

正直、私は映像に残っているので覚えている感覚になっていますが、翌朝、7時の目覚ましの放送まで苦しい記憶しかありません。もともとお酒に弱いこともあり、麻酔から覚めても気持ち悪い・・・。

まだ水は飲めませんから、とりあえず、ナースコールして、吐いては(お食事中の方、失礼。)口をゆすぎ・・・吐いてはゆすぐ、の繰り返し。両側でまったく動ける気がしなくて、ただただ、ストローで水を吸うけど、飲み込んじゃダメ!と言われて、飲まずに吐き出す・・という。

とても長い間、それをやっていた気がしていたのですが、看護師さんいわく2,3時間だったそうで、3時過ぎたらくうくう寝てたよと。

で、目覚めたら朝7時でした。

そうすると、ざざーっと、看護師さんがやってきて、足についていた点滴が外れ、尿の管が抜けてトイレに行けちゃう!

水、飲めます!

さらに、机の上にはおかゆが登場、なんと食べられます!

ただ、排液を出す、ドレーンが両胸についているので、ベットの両サイドにくくりつけられていて看護師さんに説明されるまで扱い方よくわからず。。。普通に動いちゃうと、ひっぱられる、つっかかる。

頭では普通に動かしてるつもりなんですけど、痛みも可動域の制限もあり、微妙な感じ。

ドレーンはそれなりに軽いんですけど、体とつながっているので、慎重に。何をするにもベッドサイドからそれをとにかく一個ずつ外して、まずたすきがけ。腕はまったく力が入りずらいので、腹筋&電動ベッドのお力で起き上がり。

水飲む、おかゆを食べてみる。

あったかいタオルで身体ふいてもらって、着替えて、歯を磨いて・・・。

結構なんでもできることが判明。

ただ、痛い。痛み止めと抗生物質を飲んで、この日はただただ寝ていました。

痛みは我慢しない、と言われて1週間くらいは痛み止め飲んでいたと思います。痛み止めに抵抗があったのですが、患者さんたちから、そのうち変わんなくなるから辞められるので気にせず最初は頼れ、と言われて納得。

ただ、寝た状態で腕はあがりずらい。どこまで伸ばしていいのかわからない。。。

おうちに帰ってから困らないように結構早めから腕の曲げ伸ばしやグーパーをやるようにすすめられます。

https://sodane.hokkaido.jp/column/201911011805000026.html

3日目からはどこまで腕が上がるかの計測とむくんでいないかの腕の太さの確認。さらにはリハビリ体操にも参加。着実に社会復帰への道が示されていくのでした。

両側なので若干長くて、12日間の入院生活。この夏は猛暑で、外がギラギラしているなあ、と部屋の中から外を眺めていました。

© HTB北海道テレビ放送株式会社