「新しいマラドーナ」と呼ばれたのに…”微妙だった”5名

アルゼンチンが生み出した世界的スターの筆頭、ディエゴ・マラドーナ。その後継者として君臨したのはリオネル・メッシであった。

しかし彼以外にも多くの「新しいマラドーナ」と呼ばれた選手がいた。もちろんオルテガやディ・マリア、リケルメ、テベスらは比較的成功したと言えるわけだが…。

今回は『Planet Football』から「マラドーナの後継者になれなかった5名」をご紹介する。

ディエゴ・ラトーレ

「新しいディエゴ」と呼ばれた彼は、マラドーナより9歳年下の選手だった。ボカ・ジュニオルスでプレーし、ガブリエル・バティストゥータとともに前線で際立った活躍を見せ、1991年のコパ・アメリカでアルゼンチン代表に入った。

そしてバティストゥータとともにフィオレンティーナへと移籍。パートナーはスターへの階段を登っていったが、ラトーレは逆にキャリアが停滞した。それ以降代表では1試合もプレーすることはなかった。

わずか2試合プレーしたあと退団し、テネリフェ、サラマンカを経てボカへと復帰。それからは様々なクラブを渡り歩いてメキシコで引退。その後はコメンテーターとして活躍している。

マウロ・サラテ

2007年のU-20ワールドカップ決勝で勝利を収めたアルゼンチン代表。そのエースであったマウロ・サラテは、リオネル・メッシやディエゴ・マラドーナと比較されるほどのスター候補であった。

2009年にラツィオへと移籍した彼はセリエAで活躍を見せ、そしてディエゴ・マラドーナが監督を務めるアルゼンチン代表でも救世主になるとも期待されたが…その最初の評価以上のキャリアを歩むことはできなかった。

ただサッカー選手としては長いキャリアを重ねており、今年はブラジルのジュヴェントゥージに所属していた。

カルロス・マリネッリ

このリストの中でも最も奇妙な名前であろうカルロス・マリネッリ。ボカ・ジュニオルスのU-19の一員としてイングランドをツアーしたあと、1999年にミドルズブラから誘いを受けて移籍した。

ボロを率いていたブライアン・ロブソンは彼を「新しいマラドーナである」と呼び、そのテクニックは多くの者から「こんなに上手い選手はいない」と言われるほどだった。

ただミドルズブラでは結局ほとんど出場せず、2014年に怪我で引退するまで7カ国の9つのクラブでプレーするジャーニーマンとなった。

アンドレス・ダレッサンドロ

160cm代の小さな身長、ずんぐりした体格、左利き、相手をズタズタにするドリブル。ダレッサンドロがマラドーナと比較されるのは当然であり、マラドーナ自身も「自分に一番似ている」と発言したことがあった。

しかしながら2003年にヴォルフスブルクと契約して欧州に渡ったあとはなかなか成長を見せられず。2008年にブラジルリーグのインテルナシオナウに加入してから、南米で調子を取り戻し、長く活躍を見せた。

なお、今季は古巣であるインテルナシオナウに所属していたものの、先日41歳でついに現役を引退することを宣言している。

クリスティアン・コルッソ

1995年にロサリオ・セントラルで南米カップを優勝したメンバーの一人。次年度にセビージャへと移籍し、そこで「新しいマラドーナである」と発表されて期待を受けた。

ただ、怪しげな代理人によって移籍がまとめられたこともあり、文書の偽造が明らかになる。そのため、わずか6試合しかプレーしないままに帰国を余儀なくされるという厳しい経験をしている。

【写真】中島にマラドーナも!ミズノを履いた世界の「代表10番たち」

2004年に加入したアルジェリアのUSMブリダでは給与未払い騒動に見舞われたほか、クラブにパスポートを没収されるという事件に遭遇したことも。2008年に現役引退後は指導者として活動している。

© 株式会社ファッションニュース通信社