音楽一家の在阪バイオリニスト「離れていても私の心はウクライナに」 ロシア侵攻で家族離散の兄家族、兵士支えるボランティアの母親想い

チャリティーコンサートで演奏するロマハさん(左)ら。笑顔を見せた=3月31日、大阪市

 ロシアによるウクライナ侵攻は終わりが見えず、犠牲者が日に日に増えている。そんな戦時下の祖国ウクライナを支援しようと、大阪でチャリティーコンサートを開いているバイオリニストがいる。マリアン・ロマハさん(35)。今も母親や兄が現地で暮らすが、情勢は日々悪化し、不安が尽きない毎日を送る。「故郷を離れても私の心はウクライナにあります。音楽を通じて平和を届けたい」。そんな思いが活動の原動力だ(共同通信=小島拓也)。

 ▽「サポートしてくれる全ての人に感謝」

 3月31日夜、大阪市中央区のバー「VOCO」。約40人の観客が見つめる先にバイオリンを握るロマハさんの姿があった。ギター、ピアノ、ベース奏者らとジャズなどの曲を演奏。観客はリズムに合わせて体を揺らしながら、それぞれの音色が織りなす美しいハーモニーに聞き入っていた。

チャリティーコンサートで熱演するロマハさん=3月31日、大阪市

 「私の家族や友人に送ります」。2度目のチャリティーコンサートとなるこの日。終盤にロマハさんは英語でそう告げると、母国の作曲家が手がけた曲を披露した。笑みをたたえていたこれまでとは表情が一変し、バイオリンの調べに悲痛な思いを込めた。演奏後には「サポートしてくれている全ての日本人、バンドのメンバーに感謝しています」と思いを語った。

 大阪府枚方市から聴きに訪れた会社員の女性(30)は「国も家族も大変な状況の中で、演奏する姿を見ていたら涙が出てきた。(寄付を通じて)少しでも応援できたらいい」と話した。終演後、ロマハさんは「大変楽しいライブでした。音楽を通じて私の気持ちを伝えられたと思います」と笑顔を見せた。

 ▽音楽一家、ピアノが簡単すぎて…

 ロマハさんは西部リビウの音楽一家に生まれた。アコーディオン奏者だった父親(故人)の影響で、5歳の頃にピアノを始めたが、「簡単すぎて面白くなかった」と笑う。その後、父親の勧めでバイオリンに転向した。

バイオリンを奏でるロマハさんと父親(右のアコーディオン奏者)。撮影日時は不明

 当初は不快な「キコキコ」という音が鳴るだけだったが、徐々に美しい音色が出せるようになり、魅力にのめり込んでいったという。初めてステージに立った7歳の時から、両親と一緒に演奏する機会は多かったと話すロマハさん。「今も演奏中は家族がそばにいるように感じます」と柔らかい表情で打ち明けた。

 18歳から5年間、同国の音楽アカデミーで学んだ後、プロのバイオリニストとしての道を歩み始めた。ポーランドやドイツ、イギリスなど各地で演奏。CDを出したり、カリブ海のクルーズ船でパフォーマンスしたりと活躍の場を広げていった。

 ウクライナ政府軍と親ロシア派の衝突が始まった2014年には、友人らと東部ドンバス地域まで足を運び、政府軍兵士らのためにコンサートを開いたこともあった。「比較写真を見せられ、昨日まであったビルが翌日になくなる戦争(の現実)にあぜんとした」と振り返る。

ロマハさんが2014年にウクライナ・ドンバス地方で兵士らを前に演奏した時の様子

 ▽「ストレスで頭も心も壊れそう」

 ロマハさんにとって転機は4年前の18年に訪れた。「新しい経験をして、音楽家として成長したい」との思いで単身、以前から関心のあった日本にやってきた。現在は大阪を拠点に、友人らとウクライナの音楽やジャズ、クラシックなどの演奏活動に取り組んでいる。将来的にバイオリンと日本の三味線などの伝統楽器をコラボさせ、「自分ならではの新しい音楽を作りたい」と意気込んでいる。

 しかし、平穏な日常は2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻したことで様変わりした。母親(69)と兄(44)が残る地元リビウにも攻撃があり、空襲が毎日鳴り響くように。最近では首都キーウ(キエフ)近郊で多数の市民が犠牲になっていたことが明らかになった。ロマハさんは「21世紀にジェノサイド(大量虐殺)が起きているとは信じられず、ストレスで頭も心も壊れそうだ」とうなだれる。夜に眠れないこともあり、そんな時はバイオリンを弾いて心を落ち着けるという。「ニュースを見るのもつらいです。子供まで殺されて…。ロシアはナチスのようだ」と怒りをにじませる。

 ▽兵士に伝統料理、迷彩ネットづくり

 「母さん、最近はどうだい?」。4月6日、大阪市内の音楽スタジオにいたロマハさんはスマートフォンのビデオ通話機能を使い、ウクライナ語で母親に呼びかけた。母親とはこうして毎日数回通話している。

母親とビデオ通話するロマハさん=4月6日、大阪市

 民族楽器バンドゥーラ奏者の母親は、今も勤務先の音楽学校で子どもたちのレッスンを続けているが、リビウでは空襲警報が散発的に鳴り、その都度、地下シェルターに避難しているという。

 この日、母親はボランティアでリビウ市内の病院で兵士のための食事を作っていたようで、画面越しに皿に盛り付けた伝統料理のヴァレニキ(ウクライナのギョーザ)を見せてくれた。

 この他、音楽学校の同僚と一緒に、軍用車両や前線拠点を覆い隠すための迷彩ネット作りにも励んでいるという。

 ロマハさんは母親にリビウから避難することや日本に来ることも助言した。しかし、母親は生まれ育った土地を離れたくないようで、「もっと状況が悪くなったらね」「もう少したってから」と聞き入れてくれなかったという。「兵士も友人も多くの人がここに残っている。みんな出て行ったら誰が助けるのか。彼らをサポートしたい」というのが母親の本音だった。

 

ロマハさんの兄の家族(2021年9月撮影)。ロシア軍の侵攻で離れ離れに

 兄も母国に残っている。妻と小学生の息子2人は隣国ポーランドに避難したが、現役世代の男性は総動員令のため出国できない。幸いポーランドで暮らす妻にはすぐに仕事が見つかり、子どもらも学校に通っているが、ロマハさんは「何年もずっと一緒にいた家族が突然離れ離れになった。子どもらは父親に会いたいと悲しんでいます」と声を落とした。

 ▽心の中の家族や友人に届けたい

 「自分ができる方法でウクライナに貢献したい」。大阪でチャリティーコンサートを開いているのはそんな思いからだ。胸のポケットには母国の国旗と同じ青と黄のハンカチを入れ、国歌やウクライナの民謡も演奏した。チケット代などで集まった計約50万円は在日ウクライナ大使館に全額寄付した。

 コンサートの模様は動画投稿サイト「ユーチューブ」でライブ配信し、今も視聴できる。

 1回目のコンサートはhttps://www.youtube.com/watch?v=ko3cezySqX0

 2回目のコンサートはhttps://www.youtube.com/watch?v=f-1OfaEeaDM

 5月13日にも兵庫県芦屋市でコンサートを開き、支援を募る予定だ。曲を通じて日本人にウクライナとはどんな国なのかを知ってほしい、と話すロマハさんは「私の心の中にいる(会えない)家族や友人にも音楽を届けたい。一刻も早くこの戦争が終わり、平和が訪れることを願っています」と訴えた。

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