甲子園に縁のない高校を勧めてドラ1指名 保護者に泣かれても“ぶれない進路指導”

東京城南ボーイズ・大枝茂明監督【写真:加治屋友輝】

「東京城南ボーイズ」の大枝茂明監督は選手に寄り添った進路指導を実践する

甲子園常連校への進学が成功につながるとは限らない。元西武・松坂大輔氏を指導した、中学硬式野球チーム「東京城南ボーイズ」の大枝茂明監督の教え子には無名校からドラフト1位でプロ入りした選手もいる。時に、保護者が泣いてしまうほど厳しい進路指導には、高校3年間の成長を見越した愛情が込められている。

東京都大田区と世田谷区で活動する「東京城南ボーイズ」は全国大会に春夏合わせて20回出場している強豪で、部員は100人を超える。大枝茂明監督の教え子には、「江戸川南リトルシニア」で指導した松坂大輔氏をはじめ多くのプロ野球選手や甲子園で活躍した選手がいる。進路指導では「甲子園で勝つ喜びを味わってほしい」という思いを持ちながら、個々の選手が最も輝ける高校を考えている。

進路指導は選手が中学3年生になる前の冬頃に始める。大枝監督は、選手や保護者がチーム独自の進路希望調査票に記入する志望校2校の共通点に注目する。寮に入りたいのか、大学に進める付属校が希望なのかなどを知った上で、話し合いを進めていく。「『無理だよ』と伝える時もあります。保護者が自分の子どもを過大評価してしまうこともありますから」。目標と現状の力に大きな差がある時は、希望に近い学校を提案している。

志望校の変更を勧めると、不満を漏らしたり、泣き出したりする保護者もいるという。ただ、大枝監督は「高校野球を終えた時に笑顔で『この学校を選んでよかった』と言ってもらえることが一番の幸せです」と、3年後の選手の姿をイメージして進路指導している。“背伸び”した進路選択に反対し、時に厳しい言葉で選手や保護者を諭すのは忘れられない経験があるからだ。

「ずっとベンチにいた子は暗い顔をしていました。一方、3年間公立校で野球をやっていた子は、うちの練習に来ても楽しそうに参加するんです。県大会で勝てるようなチームではなかったのですが、それでも野球を大好きでやっていたんだなと」

教え子の吉野創士は甲子園出場歴のない昌平高に進学、楽天にドラ1指名された

大枝監督のもとには、かつての教え子がよく顔を出す。ある時、練習参加した2人のOBが見せた表情が対照的だったという。1人は甲子園常連校でメンバーに入れないまま3年間を終えた。もう1人は甲子園とは無縁だった地元の公立高校で野球を続けた。2人の姿を見た大枝監督は「甲子園に出ることは全てではありません。レベルの高い学校への進学は可能性と同時にリスクがあります。厳しい言い方かもしれませんが、身の丈に合った学校に行く方が幸せではないか」と思うようになった。

この方針で才能が開花した1人が、昨年秋のドラフト会議で楽天から1位指名された吉野創士外野手だ。甲子園出場歴のない昌平高(埼玉)から初のプロ野球選手になった。大枝監督は「(昌平高の)黒坂(洋介)監督の熱い思いを受け、この監督なら吉野を育ててくれるだろうと思いました。選手ひとりひとりの性格や雰囲気に合っているかも考えています」と語る。

逆に「技術的にはレベルに達していない」と感じても、強豪校への進学を提案するケースもある。現在、常総学院(茨城)で硬式野球部部長を務める松林康徳氏がその1人。甲子園常連校である常総学院への進学を勧めた理由を明かす。

「技術的には劣っていましたが、彼のリーダーシップは常総学院でも通用すると思いました」。入部前に当時の木内幸男監督に「身の丈に合った学校に行きなさい」と諭された松林氏だが、大枝監督の見立て通りに成長。主将で4番とチームの中心を担い、2003年夏の甲子園優勝の立役者となった。

成長や成功の道筋は1つではない。大枝監督の進路指導は高校の3年間、さらにその先のステージを見据えている。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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