「戦争では誰も幸せになれない」シンガー・ソングライター果里さん 戦死したおじの遺品を寄贈

遺品の写真を説明する果里さん=長崎市、浦上キリシタン資料館

 太平洋戦争で22歳で亡くなった長崎市出身の男性の遺品が、同市平和町の浦上キリシタン資料館で展示されている。めいで本県在住のシンガー・ソングライター、果里(かりん)さんが寄贈した。「戦争では誰も幸せになれない」。亡きおじへの思いを胸に、平和の歌を歌い続ける。
 果里さんは同市出身。両親ともに被爆者で、幼い頃から母親の原美代子さん=享年(82)=から、戦時中の話や戦死したおじの話を聞いてきた。
 おじは藤田亘さん。1943年に出征し、翌年3月22日、「墓島(ぼとう)」と呼ばれた激戦地、南太平洋のブーゲンビル島(パプアニューギニア)で戦死した-。それが、果里さんが知るおじのほぼすべてだ。

愛馬「カウポリ」にまたがる生前の藤田さん(果里さん提供)

 果里さんは26歳で音楽活動のため上京したが、2006年、拠点を地元に移した。おじの存在が身近に感じられる出来事があった。美代子さんと戦争映画を見た時のこと。兵士が家族に帰還を約束するシーンで母がつぶやいた。「指切りしたとに…」。
 美代子さんは16歳年上の兄亘さんから、かわいがられた。「必ず帰ってくる」。出征前、指切りをして約束してくれた兄。美代子さんは帰還を信じ国旗を振って見送った。
 その話を聞き、果里さんの頭に歌詞が浮かんだ。
 「忘れないで 持ちたくもない 重たい銃を 背負い 戦った人達を」
 体験したことがない戦争や平和をテーマにした曲を作るのはそれまで避けていたが、1日で書き上げた。タイトルは「重たい銃」。それをきっかけに、日常の尊さや子ども目線での戦争など、題材を変えながら平和についての楽曲を作るようになった。
 20年11月、美代子さんが死去。古い旅行かばんに亘さんの遺品を見つけ、美代子さんが生前「戦時中『兵隊は砂の一粒』と言われていた」と悲しそうに語っていたことも思い出した。おじのことを、母の思いを知ってほしいと考え、写真や国旗など15点を寄贈した。
 ロシアのウクライナ侵攻が続く。「戦争では一人一人の大切な人生が一瞬でなくなる。『平和賛成』のスタンスでこれからも活動していきます」。果里さんはおじの遺影を見つめ、そう誓った。
 

展示されている死亡告知書(左)や日の丸の旗=長崎市、浦上キリシタン資料館

 企画展「戦地に生きた陸軍兵長 藤田亘遺品展」は8月下旬まで、月曜休館。入場無料。24日、同館で果里さんのトーク&ライブがある。「重たい銃」など4曲を披露する予定。問い合わせは同館(電095.807.5646)。

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