『フェラーリF40』GT1の時代に奮闘した至高の80’sスーパーカー【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、『フェラーリF40』です。

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 1987年にフェラーリの創立40周年を記念して誕生したスーパーカー、それが『フェラーリF40』だ。F40が登場した1980年代後半は、バブル経済期の真っ只中。日本でもF40は数多くのメディアに露出していたため、この時代のもっとも有名なスーパーカーと言っても過言ではないだろう。

 当初F40は、モータースポーツへの参戦を予定していなかった。しかし、後にフェラーリのレーシングGTマシンの開発を担うミケロットによってレース仕様車、『フェラーリF40LM』が生み出され、1989年にアメリカのIMSAシリーズに参戦した。

 1992年にはイタリアスーパーカーGT選手権を戦い、1994年になるとチームタイサンの手によって、本格発足初年度の全日本GT選手権(JGTC)にも導入され、1勝をマークした。JGTCの本格スタートと同年である1994年にはその後、GT1の時代と呼ばれるようになったスペシャルGTカーによる争いのきっかけを作った選手権、BPRグローバルGTシリーズ(BPR GT)がスタートした。

 F40もBPR GTに1994年より参戦したのだが、1995年になるとBPR GTの規模が拡大。本格的にチャンピオンシップがかけられることになった。そこでミケロットの手によって同シリーズ向けにF40のポテンシャルアップバージョン、『フェラーリF40 GTE』が開発された。

 このF40 GTEはエンジンのパワーアップが図られ、確実に性能向上を果たしていたのだが、1995年のシリーズには強敵、マクラーレンF1 GTRが登場する。市販車の登場から8年が経っていたF40は苦戦を強いられた。スウェーデンのアンデルストープで行われた一戦では、フランスのパイロットレーシングが走らせる独自車両のF40LMが勝利し、一矢報いたがそれ以外のラウンドではマクラーレンに全敗してしまう。

 1995年のシリーズ中に3.5リッター仕様のエンジンが導入されたり、1996年にはエアロにモディファイを加えたりもしたが、マクラーレン、さらに1996年に登場したポルシェ911 GT1など、より過激に進化したライバルたちの前には歯が立たなかった。

 その後、後継モデルとして創設50周年を記念して登場したF50をベースとした『フェラーリF50 GT』の開発も行われていたが、実戦にデビューすることはなく、フェラーリのGTにおける戦いは幕を閉じた。

 苦戦を強いられたものの、登場からかなりの年月が経ってなおライバルに対峙したそのポテンシャルは、いかにフェーリF40のベースの性能が高かったのかを証明した結果だと言えるだろう。

1995年のBPR GTシリーズで1勝をマークしたパイロットレーシングのフェラーリF40LM。同年のル・マンでは総合12位を記録した。
1996年、BPR GTの一戦だった鈴鹿1000kmを走るフェラーリF40GTE。このラウンドでアンデルス・オロフソンらがステアリングを握った27号車はマクラーレン勢に割って入る2位でフィニッシュした。

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