長崎から佐賀へ“越境”通学 白似田悠希君(11)、結月さん(9)、悠聖君(6)=東彼東彼杵町遠目郷= すみ住み生活誌 境界で暮らす人々・6完

県境を示す標識前に立つ(左から)白似田結月さん、悠希君、悠聖君=東彼杵町遠目郷

 自宅から数メートル歩けば隣県に入る。長崎県東彼東彼杵町遠目郷で暮らす白似田悠希(ゆうき)君(11)、結月(ゆづき)さん(9)、悠聖(ゆうせい)君(6)の3きょうだいは毎朝、長崎から佐賀に“越境”し、佐賀県嬉野市立大野原小に登校する。異なる自治体への通学を特例で認められている県内でもめずらしい子どもたちだ。
 県内21市町で2番目に人口が少ない同町で、最も住民が少ない地域。面積の多くを山林が占め、かつては木炭作りが盛んだった。白似田一家は、その中でも県境に近い“端っこ”に居を構える。自宅前には「長崎県」と「佐賀県」の看板が向き合って立つ。町内で一番近い東彼杵町立千綿小までは、広大な陸上自衛隊大野原演習場を横切り、曲がりくねった山道を下って、車でも20分近くかかる。
 こうした地理的事情から、嬉野市に面した同郷と太ノ浦郷の子どもたちには、県境をまたいで大野原小、中に通学する特例が認められている。詳しい経緯は不明だが、同中の古い学校要覧には「明治38年4月、千綿村のうち遠目郷、彼杵村のうち内田ノ原、中山の教育委託を受ける」との記述があった。事実とすれば100年以上続く慣例ということになる。

 嬉野市の杉崎士郎教育長によると、自身が同中に勤めていた1970年ごろは「学年の3分の1ほどが東彼杵の子どもだった」。きょうだいの父も、祖父も、同小中の卒業生だ。現在はスクールバスが導入され、町内の学校にも通学できるようになり、大野原小への同町の通学生は、白似田家の3人だけになった。
 きょうだいと末娘の結莉菜(ゆりな)ちゃん(4)の4児の母美穂さん(35)は嬉野市から嫁いだ。当初の住み心地は「ちょっと不便」。だが、子育てを通じて気持ちが変わってきた。豊かな自然の中、子どもたちがどんなに駆け回っても、大声ではしゃいでも、誰もとがめない。集落みんなが顔見知りでかわいがってくれる。「地域みんなで子育てしている感じ」。夏には5人目も生まれる予定だ。
 子どもたちの就学先に大野原小を選んだのも、地域ならではの密なつながりに魅力を感じたからだ。小中併設で児童生徒は30人。「先生や保護者とも関係が近く、みんなの顔が見える」と美穂さんは言う。4月に入学した悠聖君も「全然緊張しなかった」とすっかり溶け込んだ。県境を超えて育んだ友情は、きっと人生の宝物になる。

  =おわり=


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