秋篠宮さまが皇位継承順1位の「皇嗣」となったことを報告するため、ご夫妻で三重県の伊勢神宮などを4月に巡礼された。新型コロナウイルス禍で皇族の外出が制限されてきた中で、地方を訪問するのは久々。次の天皇と言える皇嗣となり、人々にどんな振る舞いを見せるのだろうか。興味を持った記者は電車やタクシーを乗り継いで各地に先回りし、沿道の様子を見て回ることにした。(共同通信=大木賢一)
▽厳重警備に隔世の感
ご夫妻は4月20日午前、東京・元赤坂の秋篠宮邸を車で出発した。列車を使わないのは、コロナの感染拡大防止に配慮して人の密集を避けるためだ。
一方、記者は新横浜から新幹線に乗車。名古屋で近鉄特急に乗り換え、午後3時半に伊勢市駅に着いた。ご夫妻の到着までまだ1時間半ある。伊勢神宮内宮の「宇治橋」前で待つことにした。
平成の時代、皇族の地方訪問には何度も同行した。その経験に照らしてまず思ったのは、皇嗣になってずいぶん警備が厳重になったことだ。
約15年前、秋篠宮さまの京都訪問に同行した際は、東京駅では何の規制もされず、秋篠宮さまは4、5人の護衛と一緒に歩いてきて、一般客に気付かれることもなく、新幹線の車両に乗り込んで去って行った。
一方、この日の宇治橋前の広場は、黒いイヤホンを着けた私服警察官がそこかしこに立っている。人数は30人ほどにもなるだろうか。
▽「ペットボトルを投げないで」
ご夫妻の到着直前になると、宇治橋前には見物人が40人ほど集まった。三重県警の私服警官が、人との間隔を空けるよう指示している。沿道の人々に注意事項を告げるのはいつもの風景だ。
ところが、一人の若い警察官が呼びかけた内容に、記者は思わず耳を疑った。
「三つの約束を守ってくださいね。一つ目は『押さない』。二つ目は『走らない』。そして三つ目に、物を投げないでください」
この警察官はさらに続けた。「ペットボトルなどを投げないでください。そうした物を投げられますとね、秋篠宮さまに当たってけがをされることもありますので、ペットボトルをお持ちの方はかばんにしまうようお願いします」
記者はこれまで、皇族の到着を迎える場で「物を投げないで」というせりふを一度も聞いたことがない。「三つの約束」という呼びかけ方自体は一般的だが、三つ目は「手を突き出さないで」がほとんどだったような記憶がある。
現在の秋篠宮家に対しては、長女小室眞子さんの結婚をめぐる騒動などで批判的な言説が少なからずあるからだろうか。実際に物を投げる人がいるとは思えないが、警察官は万一の事態を恐れて言ったのかもしれない。少なくとも3回は同じせりふを繰り返していた。
▽姿ちらり、見物人ぼうぜん
しばらくすると、黒塗りの数台の車がやってきた。白バイの先導はない。「どの車かしら?」。見物人が注視する中、車列は意外に速いスピードで、目の前をあっという間に通り過ぎた。ご夫妻が乗っていた車は窓が開けられ、記者の目には紀子さまの帽子だけが見えたが、ほんの一瞬で視界から消えた。
「え?何?どうなったの?」「もう過ぎたの?」。沿道からこんな声が聞こえた。周囲を見回すと、みんなぼうぜんとした雰囲気。せっかく待っていたのに顔も見られなかったと、落胆する気持ちが伝わってくる。
車列のスピードは、ひょっとしたら警戒感を高めた警察の決定だったのかもしれない。車は玉砂利の上を走り、一般客は徒歩でしか渡れない宇治橋も車で進んで行った。
記者は翌朝午前9時、伊勢神宮「外宮」の入り口にやってきた。ご夫妻はこの日、伊勢神宮の外宮から内宮へと順にお参りする。
外宮の前には30人ほどが待ち構えていたが、車列はまたもあっけなく通過していった。隣にいた伊勢市在住の女性(83)に声をかけると「あっという間に行ってしもて、どれがどれやら分からんかった」と残念そう。「皇族はたくさん来るから天皇陛下も何回も見たことあるけれど、陛下の場合は白バイの先導があるから分かりやすいんやな」と教えてくれた。
車のスピードはご夫妻が決めることではないだろうし、コロナ対策で人混みをつくらない配慮もあるのだろう。それでも、周囲の人々の中にはご夫妻の「サービス精神」を疑問視する声があった。70代の女性は「全然見られんかった。写真も撮れずがっかり。旗を振る間もなし。もう少し威厳持って走ってくれてもいいのに」とこぼした。
▽人垣を振り返ることなく
伊勢神宮内で同行取材はできないため、記者は近鉄特急に乗り、次の行き先の奈良県橿原市に先回りした。夕方まで時間があったので、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館を見学した。
古墳からの出土品の数々や飛鳥浄御原宮の復元模型を見ながら、皇室の長い歴史に思いをはせた。こんなにも遠い時代からの血を受け継ぐ人たちが、記者の取材対象であることに不思議な感慨を抱いた。
橿原神宮駅前のホテルでは雨の降る中、到着を待つ人々が次第に増えてきた。最終的には30人ほどだっただろうか。
車は人垣の前を通ってホテルの玄関前に止まり、ご夫妻が降りたって関係者らの出迎えを受けた。約30人の人垣からの距離はおよそ50メートル。「関係者のあいさつが済んだら振り返って『お手振り』をするだろう」。記者は経験上そう思っていた。
だが、ご夫妻は振り返ることもなく、人垣に一瞥もくれずにホテル内へと消えた。皇太子時代の天皇陛下や、退位する前の上皇さまの地方訪問も数多く見てきたが、こんな光景は見た記憶がない。
車列の速度は決められなくても、人垣に手を振るかどうかは本人次第。通過に気付かず、3分ほどたった後で「え?もう通らはったの?」と戸惑う女性もいた。あまりに素っ気ない振る舞い。大仰に聞こえるかもしれないが、国民と共に歩む姿勢を折に触れて見せてきた天皇家との違いを感じてしまった。次の天皇と皇后として十分に務めを果たせるのだろうかと、記者は少し心配になった。
▽京都では400人の人出
翌22日朝、ご夫妻は奈良県橿原市の神武天皇山陵に参拝した。初代天皇とされる神武天皇陵は、即位した場所にちなんで明治時代に造営された。
ここでの様子を見ていると次の予定に間に合わないので、記者はまた電車で先回りして京都市内へと向かった。
皇室ゆかりの寺である泉涌寺(京都市東山区)。参道では幼稚園児が横一列に並び、ご夫妻に「こんにちはー」と元気に声をかけた。坂道だからなのか、京都府警の方針なのか、ここでは車の速度は非常にゆっくり。赤色灯の先頭車両に続き、ご夫妻はゆったりと会釈を繰り返しているようだった。
次は京都市伏見区の明治天皇山陵(伏見桃山陵)。今回の巡礼で最も人が集まったようだ。山あいにもかかわらず300~400人が長い列をつくった。上空には警備のヘリコプター。ご夫妻はゆっくりと、しっかりと手を振っている。
「殿下ー!」と声をかけた女性は「ゆっくり走って、窓開けてくれてうれしいわー」と感激した様子だった。
記者の隣にいた男性(59)は「みんなこのへんの人と違いますか?いつも山陵に誰か来はる時はこんなもんです」と教えてくれたが、中には遠くからやってきた人もいた。兵庫県の40代女性は「秋篠宮家はいろいろ言われていますけど、そんなの関係ありません。男系をつないだ大切な血筋です。お顔を拝見できてうれしいです」。
宿泊所である京都大宮御所にご夫妻が到着したのは午後4時40分。京都御所境町御門の内側で待っていると、居合わせた人々らが集まってきた。4台の車列の2台目に乗った秋篠宮さまは、軽く右手を挙げて会釈しながら中へ入っていく。
6、7人の人垣の中から、小さな子ども2人が「ようこそー」「ゆっくりしてくださーい」と声を上げた。40代の父親は「せっかくなので見に来た。天皇陛下が即位された時には100人ぐらいいましたけど、今日は少ないから声も届いたかもしれまんね」とうれしそう。秋篠宮家にまつわる最近の評判については「周りが言ってるだけでしょう。気になりません」。
▽何より大事な「国民との交流」
最終日、ご夫妻は23日午前9時半に大阪空港に到着。休憩所となる建物の前で車から降り、皇嗣職大夫らの出迎えを受けた。警備の警察官はいたものの、一般乗客の動線とは異なるため、待っていた人は数えるほどだった。
全日空便の離陸を見送った後、宮内庁担当経験のある同僚と話し合った。天皇、皇后両陛下と比較しても意味はないのだろうが、総じて奉迎の人数は少なかった。それより気になったのは、集まった人々への配慮が足りないように感じられたことだった。「がっかりした」との沿道の声はひときわ耳に残った。
昭和以降の天皇や皇后、皇太子らは、「国民に見られること」や「国民と交流すること」を大切にし、それによって皇室への関心をつなぎとめてきた伝統があると思う。
今回の秋篠宮ご夫妻の3府県訪問は、皇室全体としても久しぶりの「オンラインではない生の訪問」だった。目の前にいた何十人、何百人の人々は、皇室に親しみを持っているからこそ立って待っている。それをないがしろにされたと感じるように万一なれば、やがては皇室全体への敬愛の念を損なうことにつながりかねない。
皇嗣は「皇太子とほぼ同等」であるため、警備は格段に厳重になったが、国民への接し方も皇太子と同等になったと言えるだろうか。
秋篠宮さまが天皇となるのは、まだ近い将来のことではないかもしれない。時間はある。えらそうな言い方になってしまうが、何よりも国民との交流を大切にする振る舞いを身につけていただければ。そんな思いを同僚と共有しつつ、記者も帰途に就いた。