「どんな審判だってミスはする。人間なんだから」審判への正しい理解が生む、サッカー観の向上

サッカーに限らず、審判の存在はたびたびやり玉に挙げられ、議論を生む。一方で、審判について、ルールについて、正しく理解している人はどれほどいるだろうか? FIFA(国際サッカー連盟)国際審判として長年活躍し、現役引退後は世界中を飛び回り、講習会や講演会を精力的に行っているルッツ・ワーグナー氏の言葉に耳を傾けると、サッカーにおいてはもちろん、日常生活やビジネスシーンにおいても役に立つ大切なメッセージにあふれていた。

(文=中野吉之伴、写真=Getty Images)

「認知・認識」の前にくる大切なものとは?

どんなスポーツでも、試合を円滑に進める上で欠かせない大事な構成員が審判だ。定められたルールに基づいてそれぞれの状況を判断し、決断を下していく。

先日、筆者が参加した指導者講習会で、FIFA国際審判として国際大会やドイツ・ブンデスリーガで長年活躍されたルッツ・ワーグナーの講義を聞く機会があった。ワーグナーが話していたことで特に興味深かったのが「審判としての心構え」だ。試合中に競り合いがあったら、主審はファールなのかどうかを一瞬で決断しなければならない。

「認知-判断-決断-実践というサイクルが大事だというのは、審判にとっても重要なポイントだ。私たちは『認識する』『評価を下す』『決断する』というサイクルで考えている。その瞬間に何が起きたのかを認識し、ルールと照らし合わせてそのプレーに対してどんな評価を下すべきかを考えて、決断する。これを試合の間ずっとしなければならないわけだ。

ただ、認知・認識の前に何がくるかを考えたことはあるだろうか? サッカーに限らず、ただ流れに任せて、その場その場で起きたことを、それぞれの状況ごとに認知・認識しようとしていたら、その後に正しい判断へと結びつけることができるだろうか。大切なのは認知・認識の前の『準備』だ。どんなことが起こるかを『想定』できるようになることが必要なのだ。そのためには十分で確かな知識と情報を身につけておかなければならない」

これはサッカーの審判だけではなく、あらゆるスポーツ、あらゆる場面において共通する貴重な指摘ではないか。選手としても、指導者としても、子育て中のお父さん・お母さんでも、ビジネスシーンにおいてもそうだ。

想定した準備がないと、毎回「どうしよう?」「えーっと、どのルールが適用されるのかな?」と考える時間ばかりがかかってしまう。それではそこから導き出された判断・決断の精度も高くはならない。

国際審判としても活躍し、今年1月に惜しまれながら引退した家本政明さんは、自身が笛を吹いた試合を映像で振り返る際、同じ試合を3回見ていたという。対戦したAチーム目線、Bチーム目線、そして審判目線。このような時間をかけた分析を繰り返す中で、いつしか自然と1回見るだけで3つの視点を同時に意識して見ることができるようになったのだそうだ。

多くの場数を踏むこと、そしてそれを丁寧に振り返って分析することが、次回以降の良質な準備・想定につながっていく。

いつ、どこで、どのようなことが起こる可能性が高いのか

ワーグナーは世界のサッカーの潮流を知ることも重要だと話す。

「審判は常に『こんなことが起こるんじゃないか?』という想定をもとにした、ポジショニングと視野の確保をすることがとても重要になる。審判はサッカーを知らなければならない。そうでなければ、どんな展開になるかの想定を立てることができないからだ。

歴史とともにサッカーの戦術や戦い方も変わってくる。これまではゴールキックからボールをつなごうとするチームはそこまで多くはなかったが、いまは違う。そうなると審判の立ち位置だって変わってくる。ゴールキックからロングボールが蹴られるなら、最初のファールが生まれそうなシーンはヘディングでの競り合いだ。そうなるとその近くにポジショニングを取ることが求められる。

いまはGKからビルドアップがスタートする。そして相手チームはそこからボランチへのパスを警戒しながらプレスをかける。そうなるとゴール中央では競り合いが起こりにくい。センターバックからサイドバック、そしてそこからサイドハーフやインサイドハーフへパスが出てくるところでの衝突が多い。そうなると、審判もセンターやサイドではなく、ハーフスペースにポジショニングを取ることが必要となる。

VARが導入され、判定のサポートがあるとはいえ、あくまでも判断を下す存在は主審であり、副審だ。彼らがいつでもよりよい判断と決断ができるようなことが望ましい」

ほとんどのファールは突然起こるのではない。ある意味起こるべくして起こるものと解釈し、確率論として試合の流れや両チームのかみ合わせや傾向から「いつ、どこで、どのようなことが起こる可能性が高いのか」を把握しておくことが望ましい。

バイエルン戦で狙われていた選手は…

さらにサッカー界全体の流れや傾向とは別に、それぞれのチームごとの特徴を把握しておくことも欠かせないとワーグナーは主張する。

「私たちは試合前に両チームのデータ を詳細に調べた上で試合に臨む。どんなシステムで、どのような傾向を持ったチームなのか。戦績はどうなのか。どんなキャラクターを持った選手がスタメンで起用されそうなのか。どんな対策で試合に臨むのか。

例えば、少し前のバイエルン戦の話だ。当時も今もそうだが、バイエルンはGKからのゴールキックを前線に蹴り込むということはほとんどしない。GKからセンターバックへパスが送られ、そこからビルドアップが始まる。マヌエル・ノイアーは足元の技術と視野、戦術理解の優れたGKだ。闇雲(やみくも)にプレスをかけても交わされて、逆に自分たちの守備の弱いところを突かれてしまう。サイドバックのフィリップ・ラームやダヴィド・アラバも極めてボールを確実に扱える選手でボールロストが非常に少ない。

相手チームもそのことをわかっているからここには詰めにいかない。センターバックのジェローム・ボアテングやダンテ、ハビ・マルティネスといった選手はラームやアラバに比べると若干足元が不安定ではあるが、フランク・リベリーやアリエン・ロッベンを走らせるロングボールをかなり正確に蹴ることができる。

そこで一番狙いとされていたのが、ボランチでよく起用されていたアルトゥーロ・ビダルだった。ビダルは非常にフィジカルコンタクトに優れた選手だが、ラームやアラバほどの技術はない。そしてプレスを受けても蹴り出さずにキープしようとする気質も持つ。

そのため相手チームはセンターバックからサイドバックへのパスコースを切りながら、ビダルへパスが出るような守り方を狙うのが当時は定説だった。そうなると、ゴールキック後最初の激しいボールをめぐる競り合いが起こるのはビダル付近になる傾向が高いという予測が導き出される。激しくやり合う性格もあるので、小さなファールから騒動にもなりやすい。

だからバイエルン戦の主審はビダルがどこにいるのかを常に注視しながら、ボールと周りの状況を確認しながら、試合を見ることが優先順位の高いところにあったんだ」

トップレベルの試合において、主審がどこにいて、どこに視点を置いているかで、その試合を左右するシーンがどこで、どのように起こりうるのかということをイメージできる。

帳尻合わせのPK判定なんて存在しない

私たちは審判の判定に一喜一憂するし、納得がいかない判定には腹を立てる。時にどちらかに判定が偏っているという感覚を覚えたりもする。もちろんみんながみんな審判として最高レベルの経験や知識があるわけではない。試合の流れに追いつかずにミスジャッジをしてしまうことだってあるだろう。だからといって、彼らがその後、意図的に判定をコントロールしようとすることはないとワグナーは断言する。

「例えば試合中に微妙な判定であるチームにPKを与えてしまうことがある。だからといって相手チームに似たような場面があったらファールではないと判断してもわざと笛を吹いてイーブンにしようとすることはないんだ。審判は事象からルールを照らし合わせて判断する。たとえ自分で『あれはミスジャッジだった』と気づくことがあったとしても、それと判定基準とは別の話だ。それにどんな審判だってミスはする。僕らは人間なんだから」

講習会を終えた後、1人の参加者が立ち上がって拍手をした。そして話し出した。

「今日の話は本当に素晴らしいものだった。私自身指導者のほかに審判もしているが、私たち指導者はサッカーのルールについて、もっと学ばなければならないと思うんだ。試合中に判定を巡って激高したり、文句を言う指導者が後を絶たないが、多くは指導者側が正しいルールを知らないがために起こる。

審判は試合を円滑に進めるためにルールを正しく適用するのが役割だ。どのシーンを、どのように解釈して、どのように判定すべきかを常に学んでいる。指導者はそこまで時間と労力をかけていない。当然選手もよくわかっていない。もちろん納得のいかない判定だってあるし、審判だってミスをする。でも定期的にルールについてワークショップをする時間を取ることはとても大切だと思うんだ。選手も指導者も審判も、みんないい試合をしたいんだ」

私たちは「サッカーについて何もかもを知っている」というスタンスが強くなりすぎていないだろうか? ルールの変化や解釈について、学んで確認することを怠っていないだろうか? 経験則で物事を見すぎていないだろうか?

ルールを正しく知り、審判の仕事ぶりを知ることで、サッカーの見方や取り組み方はさらに興味深いものとなる。

<了>

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