ケネディ暗殺新資料で読み解く共産主義勢力の工作|瀬戸川宗太(映画評論家) ウクライナ侵攻を機に共産主義国家と深いつながりのあるロシアによる情報操作も一層活発化している。共産主義国家、権威主義国家によるスパイ活動は、決して映画のなかだけの話ではない。ケネディ暗殺を研究してきた映画評論家・瀬戸川宗太氏が、2017年に公開された新資料を分析したドキュメンタリーを紹介!

ケネディ暗殺機密文書公開で新事実が

我が国の左派・リベラル派マスコミの報道を見ていると、中国、北朝鮮など、共産主義国家の工作の手が及んでいるのをひしひしと感じる。

いまウクライナ侵攻を機に共産主義国家と深いつながりのある、ロシアによる情報操作も一層活発化しているといえよう。共産主義国家、権威主義国家によるスパイ活動は、決して映画のなかだけの話ではない。

それら目に見えない浸透工作の実情を知る上で参考になるのが、「ジョン・F・ケネディ暗殺事件」である。

一九九五年、私は『「JFK」悪夢の真実 ベトナム戦争とケネディ暗殺のシネマ学』(社会思想社)という本を出版した。私が本格的に映画批評活動を始めるきっかけとなった本で、当時はまだ高校の教師をしていたこともあり、物書きの道へ進むかどうか定かでなく、肩書も映画評論家でいくか、政治評論家でいくか決めかねていたので、本の副題が「ベトナム戦争とケネディ暗殺のシネマ学」となった。

以上の経緯もあって、ケネディ暗殺本や関係資料を大量に読み、これまで、月刊誌等にケネディに関わる文章を何度となく書いてきた。

ところで、ケネディ暗殺の機密文書は、二〇一七年十月に公開され、我が国にも知らされたから記憶されている人も多いはずだ。しかし、その際、一部未公開文書があったせいで、その件ばかりに我が国のマスコミ報道は終始し、肝心の公開された文書によって判明した新事実の方は、ほとんど報道されなかった。

そんな中で機密文書公開についての番組「解禁!JFK暗殺事件の未公開ファイル」をヒストリーチャンネル(衛星放送)が放映したのは、大いなる功績といえよう。

だが、奇妙なことに、ごくわずかな情報問題専門家以外は、同番組が伝えた事実を無視した。

科学的かつ実証的なケネディ暗殺論

まず五年前の「ケネディ暗殺機密文書」公開のきっかけとなったのが、一九九一年に製作されたオリヴァー・ストーン監督の映画『JFK』の大ヒットだったのを忘れてはならない。

映画に描かれたCIA、軍部等軍産複合体の陰謀によりケネディ大統領が殺されたという大胆な仮説が、一九六四年の政府公式見解(ウォーレン委員会報告)に疑念を抱き続けてきたアメリカ世論を頂点にまで引き上げた。

その世論の高まりによって映画が公開された翌年にJFK記録収集法が制定され、同法に基づき二十五年後の二〇一七年十月二十六日、JFK暗殺に関わる非公開文書二千八百九十一件が公表されたわけである。

そこで新たに判明した事実を基に、映画『JFK』にもふれながら事件の真相に迫ってみたい。まず本論考がよりどころにしているヒストリーチャンネルの番組を制作したロバート・ベアの見解について簡単に評するなら、引用された膨大な機密文書の分析を基に、貴重なインタビューや徹底した取材による新証拠を加えた科学的かつ実証的なケネディ暗殺論といえよう。

興味深いのは、ベアの主張する新説が映画『JFK』の結論とまったく異なるとはいえ、同作品に描かれた暗殺論の延長線上に位置している点ではないか。

膨大な文書(関連資料約五百万ページのうち全面公開されているのは八八%で、一一%は部分公開にとどまり、残りの三千件が非公開となっていた)を読み解いたロバート(ボブ)・ベアの人物像についてまず紹介する。

前職は有能なCIA局員で、二十一年間世界を股にかけ活動していた。二〇一六年にCIAを辞めロサンゼルス警察の元警部補バーコヴィッチらとケネディ暗殺解明にさっそく取り組み、同年に調査した経過を『機密文書公開!ケネディ暗殺とオズワルドの謎』という一回五十分ほどの記録映像を六回に分け、長尺のドキュメンタリーとして完成させた。

その六回分の番組と二〇一七年十月の機密文書公開直後に製作された続編『解禁!JFK暗殺事件の未公開ファイル』(約五十分)を合わせ、それらの映像をたたき台に、以下ケネディ暗殺の「新事実」を詳述していく。

暗殺直前に電話が

それでは、続編のドキュメンタリー冒頭シーンより始めよう。画面にはいきなりCNNニュース番組が映し出され、「1992年JFK暗殺に関する文書の公開が法制化された」の文字が出た後、CNNの女性キャスターがこう質問する。

「ボブ・ベアさんにお尋ねします。公開される文書に真相が記されていると思いますか?」

重要コメンテーターとして画面に顔を出しているベアが「そうですね、真相に近づくための大きな鍵が隠されていると思います」と答えると、すぐに「午後7時半暗殺事件に関する2891件の機密文書が公開された」の文字が浮き上がる。

観る者をワクワクさせるオープニングだが、中身はさらにエキサイティングだ。

ボブが公開された文書を読みながら、興奮した面持ちで「見てくれ、重大な情報だ」とドキュメンタリー取材班のメンバーに声をかけると、画面にはCIA防諜部長アングルトンが一九六三年十一月二十六日に作成した文書の文字が大写しとなる。

ナレーターの「同文書により英国の新聞社に奇妙な電話があった」ことがわかったとの指摘に続き、ボブが英国の内部情報機関?Ⅰ5によると、ケンブリッジニュースに密告があったと述べる。

「重大な事件が起きるから米国大使館に電話しろ」と、大統領が撃たれる二十五分前に電話がかかったという。オズワルドからの電話でないのは明らかなため、事前に暗殺を知る第三者がいたことになる。

ここで映像は一転して二〇一六年の調査時に制作されたテレビ番組のシーンへカットバック。ボブとバーコヴィッチがキューバの元諜報員エンリケ・ガルシアに会い、彼の防諜部同僚がケネディ暗殺当日、テキサス州からの通信を傍受するよう命令されたとの証言を引き出した場面へ。

ボブが誰の命令だと問うと、エンリケはこう答える。

「キューバの命令は全てカストロから出た」

カストロは事前にダラスでの暗殺を知っていたのではないか。

ウォーレン委員会報告のミスリード

さらにボブが見つけた文書には、注目すべき記述が残されていた。
「一九六七年十月二日匿名CIA局員の供述」には、オズワルドがメキシコシティを訪れたのはダラスで起きた悲劇の八週間前、一九六三年九月二十八日と記されている。

しかし、二〇一六年の取材により制作されたテレビ番組で、ボブとバーコヴィッチは、既にオズワルドがメキシコシティにあるソ連大使館でKGBと会い、その場には暗殺等の謀略を行う部署第13課のトップがいたのを突きとめていた。

オズワルドのソ連・キューバ大使館訪問は、多くの暗殺研究本も触れているが、長い間さして重要な事柄とは見なされてこなかった。

代表的な例としては、映画『JFK』でギャリソン検事(ケヴィン・コスナー)が「〔CIA〕はオズワルドを共産主義者にしたかった。メキシコでの工作は黒幕をカストロにするためだ」と自説を披露し、オズワルドのメキシコ行きは真相をそらすためのCIAの偽装工作と決めつけるシーンである。

これが事実だとすると、ギャリソン検事の捜査を、ウォーレン委員会報告がミスリードしていることになる。同委員会はオズワルドのメキシコ行きを単なる休暇のための一人旅と判断していたので、KGBとの会合を報告書に記載しなかった。

そのためメキシコシティにあるソ連・キューバ大使館から観光ビザを却下されたオズワルドの行動は謎に包まれたままだったが、新たに公開された文書によって全貌が明らかとなった。

ボブは文書を読みながら、

「オズワルドはたやすくバスチケットを購入し、メキシコシティへ向かったと思っていた。だがこの行を見てくれ。
〈メキシカーノはオズワルドとメキシコシティへ行った〉
オズワルドが一人でなかったのは明らかだ。計画にからむ誰かがいた。これは驚くべき新事実だ」

そしてボブは「ルイジアナの軍事訓練施設の責任者がメキシカーノだった」と付け加える。

暗殺のプロが同行していた

一九五九年、カストロはバチスタ政権を倒し革命政権を樹立。一九六一年ケネディ大統領は社会主義化を進める同政権を倒すために、キューバへ亡命キューバ人部隊を送り込んだ(ピッグス湾事件)。
が、カストロの思わぬ反撃をうけ、形勢不利と判断した大統領は上空からの支援を取りやめた。

結局、百名が死亡、千名以上が捕虜となったので、多くの亡命キューバ人がケネディ大統領に敵意を抱くようになる。CIAはその後もキューバへの秘密工作を繰り返したが、その先兵となったのが亡命キューバ人グループ。彼らはケネディを憎みながら、キューバ共産主義政権打倒のため軍事訓練に励んでいた。

その秘密軍事訓練場が南部のルイジアナ州にあったのを、ボブたちは二〇一六年の現地調査で発見している。番組六回分の第三話ではルイジアナのベルチェイスにある五十に及ぶCIAが使った貯蔵庫を確認。

その一部から爆発物の痕跡まで科学的に検証し、第四話では、同じくルイジアナの人里離れた沼地で、米軍の弾薬を入れていた軍用ケースを川底から引き揚げてもいる。

オズワルドは、暗殺が決行された一九六三年の八月二十一日~九月十七日の間行方が分かっていない。

ボブは、ニューオリンズでのCIAや亡命キューバ人とのつながりから、オズワルドがルイジアナの秘密基地でライフル銃を使った狙撃など、徹底した訓練をうけていたと推測している。

この点、映画『JFK』がニューオリンズでの反カストロの活動を行っていたガイ・バニスター、デヴィッド・フェリーとオズワルドの奇妙な結びつきや亡命キューバ人の秘密基地で軍事訓練を指導しているフェリーの姿を、映像化していたのを思い出してもらいたい。

オリヴァー・ストーン監督の真犯人追及の方向性は、けっして的外れではなかったということになる。

オズワルドと共にメキシコシティへ旅行した同伴者がルイジアナ訓練施設の責任者だったとしたら、どのようなストーリーが成り立つか。

これについては、公開された機密文書一九六八年六月二十八日FBI内部メモが重大な事実を伝えている。同メモによるとオズワルドとメキシコへ行った人物は、FBI捜査の重要参考人で、本名をF(フランシス)・タマヨといい、一九六八年六月に暗殺未遂罪でベネズエラのカラカス警察に逮捕され、暗殺のプロだったのが判明した。

外国政府による暗殺の可能性

一九六三年三月十九日、CIA副部長からFBIへの機密メモによると、タマヨ即ち別名エル・メキシカーノは、キューバ政府に雇われマイアミに住んでいたという。ボブはこの男について、こう述べる。

「ルイジアナの訓練施設で責任者を務めただけでなく、暗殺前からハバナに内通していた可能性がある。カストロの二重スパイだ。これが本当なら、米国大統領は外国政府に暗殺されたことになる。

キューバ政府はどうやって暗殺計画を知ったのか、これが答えだと思う。暗殺後、この情報が外に出ていたら、キューバへの戦争行為を正当化していただろう」

非常に興味深いケネディ暗殺論だが、なぜか、我が国のマスコミでは扱われなかった。アメリカでは、民主党系テレビ局CNNのような大手でさえ、機密文書が公開された当日、ボブ・ベアを重要コメンテーターとして報道番組に登場させているのに、である。

同ドキュメンタリーはもう一つ驚くべき説も提起している。オズワルドがF・タマヨとメキシコを訪れた際、ソ連大使館に行った件で、その場には前述したように暗殺を行うKGB第13課のトップもいたが、この人物については、ドキュメンタリーの第二話で既に名前もコスティコフとわかっていた。

それがCIAのオズワルド監視記録によって再び確認されたわけである。

CIAメキシコシティ支部が一九六三年十一月二十三日に本部に送った文書によると、コスティコフは、オズワルドに会った時、既に米国に脅威を与える人物としてCIAの監視下にあった。つまりケネディが暗殺される八週間前、オズワルドはキューバの大物二重スパイと一緒に、ソ連の暗殺部隊のトップに会いに行ったことになる。

当時の米ソ関係を振り返り、その意味するところを、より深く掘り下げてみよう。

一九六〇年代初頭は、東ドイツがいきなりベルリンの壁を築くなど、米ソ対立の緊張が高まっていた。そんな時、一九六一年一月にアメリカと断交したばかりのキューバへ、ソ連のフルシチョフが核ミサイルを極秘裏に送り込んだため、いわゆるキューバ危機(一九六二年)が起きる。

世界中を震撼させた核戦争危機は、ケネディ大統領の采配や偶然性により何とか回避されたが、フルシチョフの確約した核ミサイル撤去は、キューバの査察拒否のため、その真偽を確認できなかった。

国際共産主義勢力の謀略工作

当時ソ連とキューバは極めて密接な関係だったのに加え、キューバ危機の翌年にケネディが暗殺されたのを思い起こす必要がある。

事件直後犯人として逮捕されたオズワルドは、一九五九年より二年間、ソ連で亡命生活を送っていたから、主犯がソ連だと疑われる状況証拠は十分過ぎるほどあり、事実の解明によっては米ソの全面核戦争に発展しかねなかった。まさしく世界は破滅の一歩手前だったわけである。

それゆえ、機密文書公開により確認されたソ連KGB第13課のトップとキューバの大物二重スパイがオズワルドと共にメキシコシティで接触したことは重大な意味をもつ。

ボブは「ソ連は暗殺にどうかかわったのか?」といった問題を提起しつつ、KGBに詳しい英ガーディアンの記者ルーク・ハーディングにインタビューしている。

ハーディングは、KGB第13課について、汚れ役を専門に引き受ける部署で、その任務は国家の敵を殺害するのを含み、手口は毒殺や爆弾など様々。本来はソ連人の仕事だが、キューバから工作を受けていたオズワルドを暗殺に使うのも当時ならばあり得るという。

具体例として、ブルガリアの反体制派に対しKGBの毒を使った事件をあげ、こう語る。

「モスクワとキューバが協調してもおかしくない」

この証言は、当時のソ連スパイ工作が世界中でどのようにおこなわれていたか、また同時代、ソ連、中国、北朝鮮の情報機関による日本国内のスパイ活動の実態を分析するうえでも、大きなヒントを与えてくれる。

一九九一年のソ連崩壊により、一時はソ連共産党の秘密工作が、我が国に対するものも含め、暴露されると期待されていた。

例えば、「野坂参三、二重スパイ事件」。小林俊一・加藤昭両記者がソ連秘密文書研究を調査、戦後日本共産党の顔といわれた野坂参三が長期にわたりソ連共産党のスパイとして暗躍していた闇の歴史を、『週刊文春』がスクープし、暴いた。

結局、日本共産党もこの事実を認めざる得なくなり、一九九二年、最高幹部の一人だった百歳になる野坂を除名した。当時は、モスクワにある機密文書館はかなりオープンに文書を公開していたが、その後は、文書を自由に閲覧できなくなり、KGB出身のプーチン大統領の在職期間が続く中で、ソ連の悪行は再びベールに包まれてしまう。

そこで二年前のアメリカ大統領選挙で、歴史に残る一大不正選挙が行われたという疑惑を思い出すべきだ。ジョー・バイデンが大統領に就任した後も、アメリカ社会に大きな謎と疑問を残しただけでなく、外国勢力の選挙介入という疑惑もある。

そう考えると、今になってケネディ大統領暗殺の黒幕としてキューバとソ連の名前が公然と浮上してきたことは、今日の中国共産党とバイデン政権の関係を理解するうえで極めて示唆的である。

中国のサイレントインベージョン(目に見えぬ侵略)がオーストラリアをはじめ、国際社会を席捲しつつある現在、ケネディ暗殺事件の新証拠発見も、国際共産主義勢力の世界史における謀略工作として、今こそ解明されるべきではないだろうか。

瀬戸川宗太(映画評論家)

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