<社説>国交相の是正指示 苦難の歴史踏みにじる

 沖縄はいつまで「屈辱」を強いられるのか。 斉藤鉄夫国土交通相は28日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた沖縄防衛局の設計変更申請を5月16日までに承認するよう、県に是正の指示を出した。

 県に是正指示を出す直前には、衆議院が沖縄の日本復帰50年に関する決議を賛成多数で可決し、沖縄の米軍基地の負担軽減は政府の責務だと強調していた。衆院決議の採択を受け、岸田文雄首相は「沖縄の心に寄り添う」と本会議で述べていたが、舌の根も乾かぬうちに新基地の受け入れを迫ってきたのだ。

 それも、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本本土から切り離して沖縄を米国支配下に置き去りにし、県民が「屈辱の日」として記憶してきた日にである。沖縄が歩んだ苦難の歴史を踏みにじる、あまりにも卑劣な行為だ。

 復帰から50年の5月15日に重ねて期限を区切り、新基地計画の受け入れ承認を迫っていることも県民感情を逆なでするものだ。沖縄を軍事利用する米国に日本政府が追従し、負担と犠牲が押し付けられる。復帰から50年がたっても、日米の軍事植民地的な状況と沖縄差別が変わっていないことを示している。

 政府は辺野古新基地に反対する県政や県民への挑発をやめ、玉城デニー知事が求める対話に応じるべきだ。

 沖縄防衛局の設計変更申請については、大浦湾側の軟弱地盤を改良できる根拠の弱さや普天間の危険除去がより遠のくことから、県として不承認の判断を下した。防衛局の不服申し立てを受けた国交相が不承認を取り消す裁決を決定したが、行政研究者からは内閣の一員同士による制度の乱用が批判されている。

 玉城知事は承認を迫る国交相の是正指示にも毅然(きぜん)とした対応が求められる。そして、一地域に負担と犠牲を押し付ける政府の在り方を、民主主義の問題として国民全体に考えてもらいたい。

 衆院は復帰50年にあたり、1971年の「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」、97年の「沖縄における基地問題ならびに地域振興に関する決議」に続いて、沖縄に関する決議を可決した。沖縄を「世界の平和と安定のための創造拠点」とするよう求めた。国民の代表である国会の決議を軽んじ、「寄り添う」という言葉をもてあそぶ岸田首相の言動に国会は厳しく反応すべきだ。

 一方で、今回の決議には過去2回の衆院決議にあった米軍基地の「整理・縮小」の文言がなく、経済振興を前面に置くことには違和感がある。日米地位協定の「改定・見直し」にも踏み込まなかった。

 沖縄の基地縮小という過去の決議もまだ達成されていない。県民が復帰を求めた「祖国」であるというならば、政府、国会としてその実現に向き合わなければならない。

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