ああ、塩狩峠! 三浦綾子生誕100年 廃駅の危機 無人駅にいってみた  編集根気 すべて『編集』なのだ #3

三浦綾子生誕100年

高校生のころ、早熟な同級生たち(男です)が、「『塩狩峠』っていいよね〜。読んだ?」みたいなことを話しておりました。私は当時あまり読書する習慣もなく、ふ〜ん、そんな小説があるんだ、みたいな感じでしたね。

ご存知、三浦綾子の代表作であるこの物語を読んだのは、もっとずっとあとになってだったと思います。ベタな感想ではありますが、やっぱり感動した!

今月(2022年4月)は三浦綾子生誕100年ということで取材して特集にしました。https://www.asahi-afc.jp/premiums/special

今回、取材に当たってもう一度読み返してみました。驚くほど内容を忘れています(汗)。最後の結末以外のディテールはほぼ覚えていないことがわかったので、初めて読むような感じです。若いときに読んで読んだ気になっているというのがどんだけ危ういことか身にしみました。他にもそういうのたくさんあるなぁ……。主人公の内面の変化みたいなのが、年の功なのかよく響いてきます。あれ、こんなこと書いてあったけ?ということばかり。

有名すぎる小説ですが、ちょっと内容をご紹介。

1人の少年(永野信夫)と足が不自由な少女(ふじ子)は幼なじみ。二人は大人になり再び出会い惹かれあう。ふじ子は当時不治の病と言われていた肺結核になる。信夫はふじ子に結婚を申し込む。ふじ子は自分の病気を理由に断る。だが信夫は快復を信じ「いつまでも待つ、あなたと結婚できないなら一生結婚しない」と言う。信夫はふじ子の影響でクリスチャンになる。ふじ子の病気は治り、めでたく結納の儀を予定する。信夫は名寄からふじ子の住む札幌に結納のために列車で向かう。ここまでで十分感動的なのであり、全体の90%はここに至るまでのストーリー。さて、ここからこの小説が一気に「バッドエンド」に向けて進み出します。バッドエンドは三浦作品の定番ですが、それでもその中に希望の光、人生の意味のようなものを考えさせるところがあるのが彼女の小説の深いところです。

さて、「塩狩峠」、どういうバッドエンドかと言いますと……

あ、まだ読んでなくてこの先を知りたくない方はここは飛ばしてください。

\-----

信夫の乗った列車は、塩狩峠付近にさしかかったとき、最後の車両の連結器が外れ、逆送を始める。信夫はその車両に乗っていた。彼は国鉄職員でクリスチャン。このままだと列車は脱線、大惨事になることは必至だ。信夫は外のデッキに出て手動ブレーキを回すがうまく効かない。さてどうする。カーブは目の前。ここで脱線するだろう。そのとき、信夫は自らの体を列車の下敷きにすることで列車を止めることを考える。神に祈り、デッキから信夫は身を投げる。列車は信夫の体をブレーキにして速度を落とし、無事停車。乗客は救われた。そして、結納のため信夫を迎えに札幌駅に行こうとしていたふじ子に、信夫の悲報が伝えられる……。

—--------

こんなドラマチックな話、いかにも小説らしいと思うかもしれませんが、明治42年2月28日にあった実話を元にしています。小説内の永野信夫のモデルは、実際に同じことをして亡くなった長野政雄さんです。クリスチャンで国鉄職員というのも本当の話。この事実を知った三浦綾子が興味を持ち、小説にしたのです。

生誕100年に関する記事、旭川の三浦綾子記念文学館と読書会に関する記事はこちらです。ご興味ある方はぜひどうぞ。

https://www.asahi-afc.jp/premiums/special/212

さて、その塩狩峠に行ってきました。

道央自動車道や国道40号を通るとき「塩狩峠」の表示があります。「ああ、ここがあの塩狩峠か」といつも思っていたのですが、実際に訪れたのは初めてです。 どうせ行くなら例の事故の当日、2月28日。その日はここでキャンドルナイトも行われていると聞き、出かけました。

目指すはJR塩狩駅とその近くにある長野政雄(小説のモデル)殉職の碑。そして、塩狩峠記念館です。この記念館はかつて三浦綾子が旭川で雑貨店を営んでいたときの旧三浦邸が移築されているものです。冬季は休みですが、2月28日だけはオープンするのだそうです。

JR塩狩駅は無人駅です。和寒(わっさむ)町といういかにも寒そうな名前の町にあります。実際寒いです。上下合わせて19本の各駅停車列車がこの駅に停車します。

キャンドルナイトは塩狩駅近くのユースホステル「塩狩ヒュッテ」が主催して、住民のボランティアの人たちが参加して行われました。和寒というと越冬キャベツを思い出しますが、全国的知名度では圧倒的に塩狩峠でしょう。

当日は雪が降る中、和寒町長も参加しての点灯式。その横を完全防寒の保線の作業の方が3人ほど通り過ぎました。大変な作業でしょう。冬はJR北海道の背負ったハンディキャップを実感する季節です。無人駅の周りもきれいに除雪されています。この無人駅が廃止の危機にあるそうで、和寒町はその存続のために寄付を募っています。多くの人が知っている「塩狩峠」の駅、なんとか残すための努力が続けられています。

全国に会員のいる三浦綾子読書会も、駅の存続のために寄付をしたり、町の小学生のために「塩狩峠」の文庫本を寄贈したりしています。「塩狩峠」のことを語れる町民が増えていくのはいいですね。

話は戻りますが、キャンドルのナイトの当日はちょっと早く着いたので、日が暮れるまで特別開館だった記念館を見たり、写真を撮ったりして過ごしました。三浦綾子が作家デビューするまでの雑貨屋さんの建物で、入口付近は昔のお店の雰囲気が再現されています。

塩狩駅付近には店もないのですが、国道に出ると近くに「峠そば」というお蕎麦屋さんがポツンと一軒あります。あまり期待しないで入ったのですが、ここの蕎麦がおいしかった。清潔な広い店内、午後の遅い時間の店内はお客さんもまばらで静かです。チラチラと降る雪を眺めながら、冷やしたぬきをすすりました。冷たい蕎麦が好きなんです。レジの前には販売コーナーもあり、出始めの越冬キャベツが!おお、初物!なかなか札幌にいると手に入らないので、もちろんひとつゲット。高速道路でなく、下道を走るとこういう発見があって楽しいのです。

塩狩峠記念館は4月〜11月まで開館しています(月曜休館)。近くにはサクラの並木もあるようです。季節もよくなりました。旭川からちょっと足を延ばせば塩狩峠。春のドライブにいかがでしょう。

【三浦綾子記念文学館】

旭川市神楽7条8丁目2-15

【塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)】

和寒町塩狩

© HTB北海道テレビ放送株式会社