5月2日は忌野清志郎の命日 − RCのライブ盤「RHAPSODY」とは何だったのか?  日本のロックのカリスマとして君臨したRCサクセション、そしてキヨシロー

__リ・リ・リリッスン・エイティーズ~ 80年代を聴き返す~ Vol.28
RCサクセション / RHAPSODY__

熱烈な信奉者が多く、従って情報通な人も多い忌野清志郎みたいな人について書くと、「よく知りもしないで勝手なこと言いやがって…」などと言われたり、思われたりするのが嫌なんだけれど、一方「思うことを正直に書いて何が悪い…」という気持ちもあるので、これから書くのですが、もし読んでイラッと感じたりされたらごめんなさい。

RCサクセション「シングル・マン」に心酔して

私が忌野清志郎を知ったのは、“RCサクセション”のアルバム『シングル・マン』でした。1974~75年にレコーディングされながら、発売できず、1976年4月にやっと発売されたものの、販売不振により1年足らずで廃盤、しかし1979年に音楽評論家の吉見佑子さんらが「再発売実行委員会」を結成してポリドールに働きかけ、1980年に無事に再発売……という異例の紆余曲折エピソードは有名ですね。私は大学生の時に聴きました。1978年に卒業しているので、最初の発売時だと思われますが、自ら探し当てたわけではありません。小さなレコード店を始めた先輩がいて、彼が大推薦していたのです。しかも私はレコードを買いはせず、カセットに録音させてもらったのでした。ごめんなさい。

まだ「RCサクセション」や「忌野清志郎」という名前すら知らなかったと思います。当然、全曲を作曲している「肝沢幅一」が忌野清志郎であることや、ホーンセクションが“Tower of Power”の人たちであることなども知りませんでしたが、ただ、その音楽は私の心にしっかり突き刺さりました。

冒頭の「ファンからの贈りもの」からぶっ飛んでいます。ファンに「贈りものをくれ」とねだり、なぜなら「彼女にプレゼントしたいから」だという。ふざけたヤツだと思っているとリズムが変わって、きれいなメロディとハーモニーで「どうもありがとう」。だけど元に戻って最後には「つまらないものはゴミ箱に捨てるぜ」ときた。実際こんなヤツがいたらさぞ腹立たしいでしょうが、それをハッキリと口に出す人に悪人はいません。思わず笑ってしまうほど痛快な、こんな歌詞を書ける人は只者じゃないな。そしてそれを乗せるメロディとサウンドのポップさと飽きさせない展開……これが、以降すべての曲において、それぞれの景色を見せながら繰り返されていく、非の打ち所のないアルバムだと感じました。もちろん、B面ラストにはその後キヨシローの代表曲になってゆく「スローバラード」がどーんと構えていて、それも大好きでしたが、このアルバムの中では、特に傑出した曲だとは思いませんでした。

キヨシローの声に圧倒された日比谷野音のRCライブ

京都の片隅の小さなレコード店主としがない大学生が絶賛する声はあまりにも小さく、『シングル・マン』はやがて廃盤となってしまいましたが、その後、私は日比谷野外音楽堂で、RCのライブを観たんです。こう言うと人は、「そりゃファンになればそうするよね」と思うかもしれませんが、それがまったくそうではないのです。

今の自分から見ても変なヤツだなと思いますが、その頃の私は、何か作品を好きになっても、そのアーティストの他の作品とか、同じプロデューサーの他の仕事などに、あまり食指が伸びませんでした。ある作品を好きなほど、他の作品を聴いてガッカリするのは嫌だというような気持ちがあって、むしろその作品から得られる快感で満たされている時間を、なるべく長く持っていたいなんて考えていたのです。だから『シングル・マン』は好きでも、RCサクセションや忌野清志郎のファンになったわけではありませんでした。だから、ライブを観たことは憶えているのですが、観るに至ったいきさつはまったく思い出せないし、それがいつだったかも定かじゃありません。

調べると、日比谷野音では、1980年7月5日に初めてのワンマン、同年10月26日にも、翌年5月にもやっています。遡ると1979年4月29日には、オムニバスコンサートの一員としても出演していて、今井智子さんがこれを観て音楽ライターになろうと意志を固めたそうですが、彼女の著述によると、「仲井戸麗市はゲストとして途中から呼ばれた」そうなので、それは私が観たものではありません。チャボは初めからいましたし、他にギター(小川銀次)はいなかったと思います。“セイコウイ=生活向上委員会”と呼ばれるホーンセクションもいました。なので、初めてのワンマン野音、これは氷室京介氏が観て、バンド(BOØWY)を結成することを決意したというエピソードもありますが、これか、その次か。

いずれにせよ、今井さんや氷室氏の人生を変えたほどの強烈なライブ。やはり私も感銘を受けました。何より強く印象に残ったのは、キヨシローの声です。

その頃のコンサートのPAシステムはまだまだ発展途上だったと思います。楽器の音全体を爆音で出したいけど、そうするとボーカルが埋もれてしまう。当時の機材の性能では致し方なかったのです。だけど、キヨシローの声は轟音で鳴り響く楽器群にまったく負けていませんでした。あんなに歌がハッキリと聴こえるロックコンサートを、私はその時初めて観ました。

あとは、まだ観たことはなかったけど、ローリング・ストーンズのステージもかくや、と思わせるロックスピリット溢れるパフォーマンス。単純にかっこよかった。その後いろんなアーティストのライブを観たけれど、本物のストーンズなど海外勢も含め、あれほどかっこよかったライブはちょっと思いつきません。

だけど、頭の片隅では、『シングル・マン』とのギャップが気になっていました。たしかにこのロックパフォーマンスはすごいけれど、私が夢中になった『シングル・マン』とは音楽性がずいぶん違うぞ、と。

私は「RHAPSODY」よりも「シングル・マン」派

そして『シングル・マン』の次のアルバムが、ライブアルバム『RHAPSODY』でした。

まず、なぜ久々のアルバムがライブなんだろうと思いました。私はそもそもライブアルバムをライブの副産物としか思っていません。中には大好きなライブアルバムもあるのですが、それは基本、スタジオ盤と同じアレンジの場合。たとえばギターが一人のバンドで、でもスタジオ盤ではリズムギターとリードギターを重ね録りしているとすると、ライブではその両方はできないので、アレンジが違ってしまいます。そのバンドはほんとはスタジオ盤のアレンジでやりたいはず。ただライブの現場では、目の前でバンドが演奏するというその臨場感が、アレンジの違いなど超越するのですが、それがレコードになってしまうとそうはいきません。スタジオ盤と同様、パフォーマンスでもアレンジでも何度も聴くに耐えうるレベルでなければ、単なる記録でしかありません。

「雨上がりの夜空に」も、非常にライブ映えする曲ですが、レコードとしては私はスタジオ盤のほうが好きです。アレンジが楽しいし、ノリもゆったりしていていい。

それでも、この曲はまだ、曲自体のクオリティが高いからいいのですが、「エネルギー OH エネルギー」、「ブン・ブン・ブン」、「キモちE」などの曲は、ライブの中では盛り上がりこそすれ、作品として見たら、どうも単純すぎてつまらない。

『シングル・マン』はお蔵入りになり、なんとか発売してもすぐ廃盤になってしまった。でもやがて、「エレキ化」して、ライブの評判が上がってきた。キヨシローがどぎつい化粧とツンツンの髪でド派手な衣装で決めると益々盛り上がる。ライブではやはり、単純でストレートなほうがノりやすいから、そういう曲を増やす。……ライブこそがRCの魅力だ。だったらライブアルバムでいこう!……

こう考えたのはもっともだと思います。実際、その判断は正解だったでしょう。その後、RCそしてキヨシローは日本のロックのカリスマとして、いろいろと物議を醸しながらも、その存在感を保っていくのですから。

だけど私は、『RHAPSODY』はあまり好きじゃないし、『PLEASE』(1980)、『BLUE』(1981)、『BEAT POPS』(1982)はキライじゃないけど、物足りない。やはり『シングル・マン』がピカイチだと思っています。で、『OK』(1983)はかなり好きで、特に「お墓」がすばらしい、と思ったら、なんと『シングル・マン』に入れる予定だったけど、タイトルのせいではずされていたらしい。

「お墓」が入っていたら、『シングル・マン』はさらにすごいアルバムになっていましたね。タイトルが「お墓」だからってはずすかなー。そのエピソードが、当時の忌野清志郎およびRCサクセションの周囲の状況を物語っているような気がします。結果的に「ギンギンロック」に転向して、成功はしたけれど、『シングル・マン』の方向性のまま、自由に羽を伸ばしたキヨシローがつくるものを、もっと聴きたかった。

カタリベ: ふくおかとも彦

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