「湘南スタイル」から「湘南モデル」へ。湘南ベルマーレと“監督サトシ”の挑戦

「もう今はスタイルを作って勝てる時代ではない」

「湘南スタイル」を構築した曺貴裁(現京都サンガF.C.監督)は2012年から7年半に渡って指揮した湘南ベルマーレの監督を退任した直後、欧州へ渡って本場のフットボールを観戦しながらそう感じたそうだ。「何かがないと勝てない時代になっている」、と。

明治安田生命J1リーグで未勝利が続いていた湘南は第9節・ガンバ大阪戦で今季初勝利を挙げた。

最下位だった順位も17位と浮上。得点力不足は解消できていないが、ここまで10試合で12失点と守備は悪くない。決してチーム崩壊を招いているわけではない。

今回は、逆襲をかけるチームの「湘南モデル」に迫る!

ラングニック氏から得たヒント

湘南について考察する上で外せないポイントが「湘南スタイル」だ。

2009年に監督に就任した反町康治氏(現・日本サッカー協会技術委員長)は、前年に北京五輪代表チームの監督を退任後、ドイツの新興勢力ホッフェンハイムを3週間入念に視察した。

現在マンチェスター・ユナイテッドで暫定監督を務めるラルフ・ラングニック氏が率いていたチームは、当時クラブ史上初のブンデスリーガ1部昇格ながら昇格初年度の前半戦を首位で折り返す大躍進を見せていた。

“教授”の愛称で知られるラングニック監督

ラングニック氏とは、チェルシーのトーマス・トゥヘル、バイエルンのユリアン・ナーゲルスマンらの師匠筋で、リヴァプールのユルゲン・クロップらも含め、現在の欧州サッカー界で高く評価されるドイツ人監督たちが強い影響を受けている指導者だ。

ボールを失ってから6秒間で奪い返す最前線からの獰猛なプレッシングと、ボールを奪った瞬間から相手ゴール前まで一気呵成に攻め込み、10秒以内でシュートまで持ち込む超高速カウンターを武器とする欧州最先端のプレッシング戦術を当時から導入していた。

現在ではゲーゲンプレスやパワー・フットボールと称される現代サッカーのトレンドの初期段階を反町氏は目撃したのだ。

一世を風靡した「湘南スタイル」

ホッフェンハイムで観たものが「湘南の暴れん坊」というイメージとリンクした反町氏は、そのコンセプトを持ち込み、就任初年度にチームを11年ぶりとなるJ1昇格へ導いた。

反町氏は現在JFAの技術委員長を務めている

J1ではリスクの高いプレスを交わされ、無防備になった高いDFラインの背後を簡単に突かれて1年でJ2降格となったが、2012年からコーチの曺貴裁氏が後を継ぐことでスタイルは確実に積み上げられた。

曺体制でも就任初年度でJ1昇格を勝ち取るも、1年でJ2降格を経験した湘南。

しかし、2014年にはJ2記録となる勝点101を積み上げて優勝。翌年にはJ1で年間8位と大躍進。現在の日本代表の主軸を担う遠藤航(シュツットガルト)を筆頭に若手タレントが痛快なサッカーで鳴らす「湘南スタイル」が完成の域に達した。

面白いことに曺氏もオフシーズンにはよくドイツを訪れ、CS放送のサッカー番組のインタビュワーとしてRBライプツィヒのスポーツディレクターへと転身したラングニック氏を取材するなど、ドイツとの関わりは続き、湘南はブンデスリーガのチームのように見えた。

今や日本の頭脳となった遠藤航

その後、遠藤ら主力選手たちは軒並み強豪クラブに引き抜かれ、曺体制は2016年に再びJ2降格を経験したが、2017年にはJ2優勝で再昇格。

主力選手が引き抜かれ、戦力を入れ替えながらもブラッシュアップされていった湘南スタイルは2018年、YBCルヴァンカップ制覇で頂点を極めた。クラブ名が「湘南ベルマーレ」となった2000年以降では初のタイトル獲得だった。

パラダイムシフトで薄まった「湘南スタイル」

湘南はJリーグが公表している1試合平均の総走行距離やスプリント数(時速24km以上で1秒以上のダッシュ)において毎年のようにJ1トップを競っていたが、近年は中位に止まっている。

ただ、数値自体は上がっている。つまり、リーグ全体の傾向として走力が上がっており、尖っていたはずの湘南スタイルはトレンドの変化によって特徴が薄くなっていたのだ。

Jリーグにこのような戦術のパラダイムシフトが到来したのは、湘南と同じ神奈川県に本拠を置く横浜Fマリノスにアンジュ・ポステコグルーという黒船が来航したことが大きい。

マンチェスター・シティの傘下に入ったことにより、横浜Fマリノスは欧州サッカーのトレンドをJリーグに持ち込み、彼等の2019年のJ1制覇をキッカケにJリーグ全体が現代サッカーのトレンドを強く意識し始めたのだ。

もっとも、2018年のルヴァン杯決勝では、その黒船ポステコ号を撃ち落としたのが、他ならぬ湘南だったのは皮肉な限りだ。

現在はセルティックで指揮をとるポステコグルー監督

2019シーズンの途中、曺監督はパワーハラスメント問題によって退任したが、戦術的にも行き詰まりを見せていた。遅かれ早かれ、別れの時は近づいていたのかもしれない。

2019年以降、湘南は16位、18位、16位と低空飛行を続けている。ただ、湘南スタイルの全盛期にも曺監督は「J1に住民票を置くこと」と独特の表現でJ1定着を目標にしていた。2010年代にJ2降格を3度経験していることを忘れてはならない。

「湘南モデル」へのアップデート

2021年の9月にコーチから昇格した現在の山口智監督は現役時代、2001年から2011年まで11年在籍したG大阪で全盛期を迎えた。稀代の司令塔・遠藤保仁(現・ジュビロ磐田)と縦関係でコンビを組んでビルドアップを担う現代的なセンターバックだった。

選手時代には日本代表にも選ばれた山口智監督

現役引退後に戻った古巣G大阪でもコーチとして守備組織の構築に貢献し、2020シーズンには近年J1で残留争いをしていた西の横綱を2位へと大躍進させた。その指導力は彼が去って以降のG大阪を見れば一目瞭然。湘南でも失点数の大幅減に寄与している。

そんな山口体制の現在、新たな傾向がスタッツに表れている。1試合平均のクリア回数がリーグ最多を記録していた曺監督時代とは真逆で、リーグ最少を記録しているのだ。

就任以来、山口監督は湘南スタイルの踏襲を前提にしつつ、「選択肢を増やしたい」と常々口にして来た。「マイボールを大事にする」のはその1つだが、相手のクロスを右足でブロックし、左足で正確にフィードできる現代的なDFだった現役時代の山口智を表現するプレーコンセプトだ。

具体的には攻撃時には従来の湘南スタイルである、「ボールを奪ってから直線的に相手ゴールに迫る」ことを最優先しながらも、速攻ができないと見ればサイドに人数をかけて起点を作る。

すると、そのままサイド突破をするのも良いし、中央にスペースが空くのでバイタルエリアの狭いスペースを攻略する選択肢も生まれる。その中で攻撃するエリアに数的優位を作るために従来のベースである走力を活かしている。

守備ではボールの奪われ方や自チームの配置によってプレスのかけ方を変えている。相手を押し込んだ時はボールを失った瞬間にゲーゲンプレスによる即時奪回を試みる。

逆に攻撃にかける人数が少なければ前線からのプレスは「時間稼ぎ」のディレイを優先。自陣にMFとDFによる2列の守備ブロック構築を助ける。ただ、相手のボールホルダーへのプレス強度が高まれば、一度セットした守備ブロックを前進させて従来のようなボール狩りに向かう、といった具合だ。

つまり、山口監督は「湘南スタイル」に、柔軟性をもたせたフレームワークを導入し、「湘南モデル」へとアップデートさせようとしているのだ。

求められる“監督サトシ”の手腕

気になるのはマイボールを大事にするコンセプトを導入しながら、ボール支配率が上がっていないことだ。

サッカーにおける原理原則の1つでもある「ボールを奪ってから最初のパスの精度」が悪く、展開力にも欠ける部分がある。

これには今季は「5位以内を狙う」と大型補強の目玉となったMF米本拓司と永木亮太の獲得により、序盤戦はU23日本代表MF田中聡のポジションが定まらなかったことが大きく影響している。

パリ五輪の日本代表としても期待される田中聡

個の能力で言えばJリーグ屈指のボール奪取力を誇る米本の方が守備力では勝り、ビルドアップでは田中に一日の長がある。そのため、「守備的に行く時は米本、攻撃的に行く時は田中」とアンカーのポジションは2人が併用されている。

しかし、実際には米本のボール奪取力は持ち場を離れて前に出て行くアグレッシヴさが売りで、それは守備力というよりも攻撃力に近い。守備的MFをアンカー1人で構成する際、「動」の米本は1列前のインサイドMFが適しているように思える。

逆にインサイドMF起用されることもある「静」の田中はアンカー専任が最適だろう。ポジショニングでボールを奪い、相手のプレスを吸収してパスを出せる田中はボールと共に味方に時間とスペースを供給できる稀有な存在だ。彼のアンカー起用で試合内容がよりポジティヴに変容し、リーグ初勝利やルヴァン杯でのグループステージ突破に近づいている。

チーム内で最も重要な役割を19歳の若手に託すのは酷かもしれないが、彼は遠藤航や齊藤未月(G大阪に期限付き移籍中)のように今後は大きな国際舞台で戦うことが予想される逸材なだけに、監督サトシの要求に選手サトシは応えられるはずだ。

また、主に[3-5-2]や[3-4-2-1]など3バックをメインシステムに採用している山口監督だが、その3バックの構成が勝てない時期には本職CBを3枚並べるような後ろ重心の編成をしていたことが多かった。

今をときめく川崎フロンターレの日本代表右SB山根視来も湘南時代は3バックの1角としてプレーしていたように、このチームの3バックは攻撃的な人選が相応しい。

現チームでは杉岡大暉や山本脩斗など本職SBの選手が起用された時が湘南らしさを発揮できている。後がなく、開き直ったことが湘南という特異なチームの最適解を編み出したようだ。

新たな監督による新たなサッカーの構築は産みの苦しみを伴う。しかし、湘南はスタイルを昇華させようとしているだけだ。

試合内容が良かった序盤の敗因は、新戦力との連携確立とFW陣のコンディション不良による得点力不足に尽きる。新戦力もフィットして来て、ウェリントンと瀬川祐輔の状態も上がって来ている。選手層も厚くなり、高卒新人のFW鈴木章斗には大化けの気配も漂う。

山口監督は新人監督だが、湘南は3代続けて新人監督が指揮しているからこそ、独特のカラーを持つクラブでもある。戦術は整理されており、チームの雰囲気もポジティヴなため、チーム作りは間違っていない。

ここからは「指導者」として自分の作ったチームで、「勝負師」サトシの采配力で勝つ試合が求められる。

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