明治初期「金星の太陽面通過」 横浜など観測地が日本天文遺産に認定 推薦者の愛好家ら「天文学の礎を後世に」

金星太陽面通過の観測台の写真などを手に日本天文遺産認定を喜ぶ小川さん(左)と内野さん=川崎市多摩区

 明治初頭、日本で初めて「金星の太陽面通過」を観測した横浜市の野毛山(現在の西区)を含む地点が、日本天文学会の日本天文遺産に認定された。神奈川県内の認定は初めて。観測100年後に記念碑建立に尽力し、日本天文遺産候補として推薦した川崎天文同好会は「県内の天文愛好家が守った天文学の礎を、後世に引き継ぎたい」と話している。

 認定に向けて取り組んだのは、いずれも川崎天文同好会員で、元県立高校校長の内野哲さん(87)=川崎市多摩区=と、小川誠治さん(72)=同市麻生区=の2人。

 金星の太陽面通過は、太陽と地球、その間の金星が並び、金星が太陽の表面を横切るように見える、日食に似た仕組みの現象。8年、105.5年、8年、121.5年の周期で起こる珍しい天体現象だ。

 1874(明治7)年12月、日本の長崎、神戸、横浜に3カ国の観測隊が訪れた。米国は長崎、フランスは長崎、神戸に観測隊を派遣。横浜ではメキシコ隊が西区・野毛山と、山手本村(現在の横浜市中区のフェリス女学院中学・高校敷地内)に観測地を置き、観測に成功した。

 来日した観測隊は太陽と地球の距離を三角測量で調べ、天体望遠鏡など当時の最新技術を駆使した。その影響で国内での機材購入や研究者育成を促し、78(明治11)年に後の東京天文台設立につながり、現在では「科学の黒船」の到来だったと評価されている。

 野毛山には縦横約65センチ、高さ約20センチの「金星の石」と呼ばれる石でできた観測台が残され、個人宅の敷地内で守られた。長崎と神戸に記念碑が建てられたが、横浜にはなかったため、県内の天文学愛好者が1974年に県と横浜市に働きかけ、愛好者らでつくる期成会が観測地近くの同市西区の県立青少年センター前と、フェリス女学院に記念碑を設置した。

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