「クロップ監督から離れた後に低迷した」9人のスター選手

リヴァプールを率いているユルゲン・クロップ監督は、多くの選手をこれまでワールドクラスに成長させてきた指揮官である。

その一方で、彼の下を離れたあとで苦しんでしまった選手も…今回は『Planet Football』から「クロップから離れたあとに低迷した9名」をご紹介する。

マリオ・ゲッツェ

ボルシア・ドルトムントでユルゲン・クロップとともに戦った若きゲッツェ。間違いなく世界最高クラスのタレントだったが、20歳でバイエルン・ミュンヘンへと移籍することを決断した。

バイエルンはドルトムントを相手に決勝で勝利してチャンピオンズリーグ優勝を果たしたが、ゲッツェは怪我のためにプレーすらままならず、失望ばかりが残る時間を過ごすことになった。

そしてワールドカップでは決勝戦でゴールを決めて優勝に貢献するも、結局後にドルトムントへと復帰することになった。29歳の現在はPSVアイントホーフェンでプレーしている。

フィリペ・コウチーニョ

ユルゲン・クロップが行った移籍マーケットでの動きの中で、最も「儲けた」判断。それはフィリペ・コウチーニョをバルセロナへ1億4000万ポンドで売却したことだろう。

彼はリヴァプールのスーパースターであったが、その移籍金はフィルヒル・ファン・ダイクとアリソンの獲得に使われた。それこそがリヴァプールの勝利への道を作ったといえる。

一方コウチーニョはバルセロナの歴史上でも最悪の買い物の一つになってしまった。現在はアストン・ヴィラにローン移籍している。

ジョルジニオ・ワイナルドゥム

ワイナルドゥムはリヴァプールとの契約を更新することを拒否。昨年夏にはバルセロナへの移籍が噂されたが、決定を間近にしてパリ・サンジェルマンの好条件に惹かれてフランスへと渡っていった。

ビッグネームを獲得することを好むパリ・サンジェルマンにおいて、ワイナルドゥムは常にそのパフォーマンスを批判されることになり、ファンから全く愛されていない。

ユルゲン・クロップ監督の下でキャリア最高の時間を過ごしたものの、それからわずか1年で苦しい状況に陥ることに…。

ジェルダン・シャキリ

スイス代表のウインガーであるシャキリは、バイエルン・ミュンヘンとインテルを経てストーク・シティへ移籍し、降格後にリヴァプールへと加わったという珍しいキャリアを持つ。

主にスーパーサブとしてクロップ監督の期待に応えた彼であるが、昨年夏にトップチームでのレギュラーの座を求めてリヨンへと移籍することを決断した。

しかしフランスに渡ったシャキリはなかなか期待通りのプレーができず、半年後にアメリカ・メジャーリーグサッカーのシカゴ・ファイアーへと移籍することになった。

フィリップ・デゲン

ボルシア・ドルトムントで堅実な右サイドバックであったデゲン。大きな怪我のために2008年をほぼ棒に振ったあと、ユルゲン・クロップが就任した直後にクラブを離れることを決断した。

そして奇しくも彼はリヴァプールへと加入したのだが、2011年に契約満了を迎えるまでわずか13試合しか出場することはなく、怪我もあってかなりの期待外れに終わってしまった。

フェリペ・サンタナ

ユルゲン・クロップのことを悪く言った選手はほとんどいないが、数少ない例外が彼であった。ドルトムントでセンターバックを務めていたブラジル人選手である。

ドルトムントで100試合以上に出場した彼は、プレー時間の増加を要求しつつ、それが認められなければ退団すると迫った。結局2013年にライバルのシャルケに移籍する事になったが、それ以降はあまり活躍できなかった。

「監督は愚かだった。ゲッツェはレアル・マドリー戦で怪我をしていたのに、彼は練習をさせられた。重要な試合が直後にあったのだから、そうすべきではなかった」と、チャンピオンズリーグ決勝でバイエルンに負けたクロップを批判している。

香川真司

日本からボルシア・ドルトムントにやってきた香川真司。ブンデスリーガで非常にセンセーショナルなプレーを見せたが、2012年にマンチェスター・ユナイテッドが接近してきたときにプレミア行きを決断した。

オールド・トラッフォードではそれなりに人気を得たものの、レギュラーに定着することはできず。2年後にドルトムントへと復帰したが、以前の輝きを取り戻すことはなかった。

ドイツを離れてからはスペインに渡り、レアル・サラゴサでプレー。それからPAOKサロニカ、シント=トロイデンと移籍している。

ヌリ・シャヒン

シャヒンはドルトムントで非常に素晴らしいプレーを見せた天才若手だった。ヨーロッパの様々なビッグクラブに求められ、2011年にレアル・マドリーへと移籍していったが…これは大きな間違いだった。

怪我もあって白いユニフォームを来てわずか10試合しかプレーすることができず、リヴァプールへのローン移籍でも成功できず。ドルトムントに戻っても以前のパフォーマンスを取り戻すことはなかった。

2018年に移籍したヴェルダー・ブレーメンで復活の兆しを見せたが、その後アンタルヤスポルに移籍し、昨年33歳で現役を引退している。

エムレ・ジャン

リヴァプールで様々なポジションをこなせるユーティリティプレーヤーとして評価されたものの、2018年に契約更新を拒否して退団。ユヴェントスへの移籍を決断した。

イタリアでは好条件で迎え入れられたもののなかなか継続的にプレーできず、マウリツィオ・サッリ監督時代にはチャンピオンズリーグのメンバーからも除外されてしまい、退団を要求することに…。

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現在はユルゲン・クロップの古巣でもあるドルトムントに移籍し、ブンデスリーガでプレー。

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