前作、 監督、脚本家 3つの視点から予習 『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』

はじめに

『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』(以下『MoM』)。本作は色々な要素が絡んでくる作品ですが、今回はシンプルにあくまで『MoM』を一本の映画として、3つの視点から見ていきます。映像ドラッグ『ドクター・ストレンジ』の続編である『MoM』の視点。サム・ライミ9年ぶりの監督映画である『MoM』の視点。マーベル・シネマティック・ユニバース=MCUのドラマ作品の集大成でマイケル・ウォルドロン脚本新作である『MoM』の視点です。

映像ドラッグ『ドクター・ストレンジ』の続編

『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』の前作にあたるシリーズ1作目は、2016年の『ドクター・ストレンジ』となります。この2016年の『ドクター・ストレンジ』以降も他の作品に主人公が登場していましたので、「前作」という感覚が全く無いです。ですが、単独作品としては一応2作目ということで、「『ドクター・ストレンジ』って何?」という方は、『MoM』に向けて2016年の『ドクター・ストレンジ』だけでもご鑑賞下さい。

MCUに属する作品ですが、単独でご覧いただけます。この作品で新しくMCUに提示された世界観は、「魔術の世界」でした。「アベンジャーズ」が宇宙人等による物理的な侵略から地球を守っている一方、本作で登場した魔術師の集団「マスターズ・オブ・ミスティック・アーツ」は、精神的な、魂の領域からの侵略から地球を守る集団です。ストレンジのミスティック・アーツ=魔術の修行が始まり、かつて自己中心的で物質主義的な男が、精神・魂の世界で己と向き合う。「ドクター・ストレンジ」というヒーローのオリジン=誕生譚でした。

『ドクター・ストレンジ』は、MCUシリーズで初めて、ホラー映画の監督が抜擢された作品です。スコット・デリクソン。科学的に最も怖いホラー映画らしい『フッテージ』の監督として有名です。監督したホラー作品には、多く共通点があります。『フッテージ』だったらイーサン・ホーク、『NY心霊捜査官』だったらエリック・バナとか、割とホラー映画から遠い演技派な役者さんを主役に撮っています。かつ物語自体も、『エミリー・ローズ』の弁護士とか、『NY心霊捜査官』の刑事とか、神秘主義、ホラーのオカルト的な世界から遠い、合理的・科学的な判断を要求される職業の主人公が職業的な責務のため仕方なく、神秘の、魔術の世界に足を踏み入れるという…こういう共通点です。ホラー映画の世界から程遠い職業のプロが、その世界に足を踏み入れる、巻き込まれるというこのスコット・デリクソン監督作として、この『ドクター・ストレンジ』も例から漏れておりません。医者である主人公が、医者に復帰するために魔術の世界に足を踏み入れる。どこまで製作陣が意識しているかは分かりませんが、MCUに魔術の世界を導入させるヒーロー「ドクター・ストレンジ」の1作目のとして、見事な監督抜擢でした。

この『ドクター・ストレンジ』は怖くは無いですが、分かりやすいホラー的な演出が多いです。ストレンジの同僚であるレイチェル・マクアダムス演じるクリスティーンが、ホラー映画の「スクリーム・クイーン」のようにキュートに悲鳴を上げる中盤のアクションシーンは、ホラー映画監督らしいささやかな抵抗を感じさせます。

何より『ドクター・ストレンジ』が凄かったのは映像ですね。製作ケヴィン・ファイギいわく「本作はMCU版『ファンタジア』のようだ」ということで、劇中に登場する映像表現「ミラー次元(ディメンション)」。マンデルブロ集合、フラクタル構造とか言うんですかね…万華鏡を覗いたような映像、エッシャーの絵画の映像化版、『インセプション』をもっと狂わせたような映像を背景に、アクション、追っかけっこが繰り広げられます。

「ミラー・ディメンション」映像もそうですが、序盤でストレンジが見るトリップ映像。監督は「マジカル・ミステリー・ツアー」と呼んでいて笑うんですが、原作の60年代サイケデリックなコミック表現を映像にした、はっきり言ってLSDですね。サイケ映像、観るドラッグ映像「マジカル・ミステリー・ツアー」。この狂った映像たちには当時、本当に驚きました。久しくMCUの作品は3D上映されていませんが、当時IMAX 3Dで拝見してナンジャコリャという目が飛び出る感じで、“まさかMCUの作品を観てブッ飛ぶ映像体験ができるとは!?”と驚きました。

そして何と今回『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』はIMAX 3D上映が久々に決まったということで、これはもう観るしかない、飛ぶしかないという感じで、大変嬉しい3D上映の復活ですね。ぜひ一作目の時は劇場で3D観るの逃してしまったという方は、今回お見逃しなきよう。MCUの世界観に「魔術の世界」を導入した、ホラー監督による真面目なヒーローオリジンであり、ぶっ飛んだ映像ドラッグであった『ドクター・ストレンジ』でございました。

その続編である『MoM』、当初監督はスコット・デリクソンが続投して製作をしていました、1作目に登場できなかった「ナイトメア」というキャラクターがメインの悪役になるなんて話がありましたが、残念ながら途中でスコット・デリクソン監督は降板となります。いろいろと噂がありますが、スコット・デリクソンは『ドクター・ストレンジ2』を、『ウィッチ』とか『へレディタリー』と比較して語れるような、ガチのしかもR指定のホラー映画にしようとしていたため、製作陣との創造上の相違があったなどという噂です。実際、スコット・デリクソンは監督を降板した後、すぐにホラー映画の製作に移りました。新作『ブラック・フォン』が今年公開ですので、監督がどう降板のストレスをホラー映画で発散したのかチェックしてみてください。“監督降板の『ドクター・ストレンジ2』はどうなるの?”という不安をよそに、監督として抜擢されたのが、やはりホラー映画出身のサム・ライミ監督でした。

サム・ライミの新作としての『MoM』

サム・ライミの2013年『オズ はじまりの戦い』以来9年ぶりの監督映画が、まさかのMCUというこの監督起用。サム・ライミはドラマの監督とかはやっていましたが、映画は9年ぶりです。

しかもMCUは、初期の作品以外は、巨匠を監督に抜擢するというより、インディーズ低予算で活躍されている若手-中堅の力のある監督を抜擢し続けてきたシリーズですので、「サム・ライミ」クラスの監督の起用はシリーズでも初めてですね。どう製作ケヴィン・ファイギが作品の手綱を握れるか、期待半分不安半分です。

もちろんサム・ライミといえば、『ノー・ウェイ・ホーム』の記憶が新しい「スパイダーマン」シリーズの監督です。『スパイダーマン2』は言うまでもなくヒーロー映画の大傑作でしょう。ただ今回のサム・ライミは、「スパイダーマン」の監督というより、ホラー監督のサム・ライミを期待してしまいます。

ケヴィン・ファイギいわく「『MoM』は最もホラーなMCU作品だ」と。エリザベス・オルセンは「狂ったホラーショーだった」と。サム・ライミといえば、言わずと知れたスプラッタホラーの金字塔『死霊のはらわた』シリーズの監督。大学時代から映画会社を作って、短編のホラー映画を作ってきた監督ですから、ホラー映画としてのサム・ライミ監督作『MoM』を期待してしまいます。『死霊のはらわた2』で悪霊に取り憑かれて邪悪化する様子は予告でも見えた「邪悪なストレンジ」を想起しますし、『死霊のはらわた3』は主人公が時空を飛ばされ中世の世界に行く、マルチバース=多元宇宙を行き来する『MoM』につながります。『死霊のはらわた3』の主人公が分裂した小さな自分と戦うシーンも想起します。

サム・ライミ監督のホラー作品を一本もご覧になったことがない方で、『MoM』までにご覧になりたいという方は、最初に2009年の『スペル』という作品をオススメします。銀行で働く主人公が理不尽にもある老婆から呪いをかけられてしまうというホラー作品『スペル』ですが、この作品にはサム・ライミ流ホラーのすべてが詰まっています。

とにかくサム・ライミ監督のホラー作品は、「ハイテンション」です。脂っこい、味が濃い、最高という。『死霊のはらわた』で監督が発明した廉価版ドリー撮影の「シェイキーカム」という撮影法。木材にカメラを取り付け、その木材を持って猛ダッシュすることでカメラを走らせる「シェイキーカム」による撮影・映像で始まり、とにかくサム・ライミ監督のホラー作品は「爆走」という感じです。映画が走っている。

何かにつけて叫び声を上げる人の口のアップ、顔のアップ、顔のドアップ。これは「スパイダーマン」シリーズにも現れています。『スパイダーマン2』での、悪役ドクター・オクトパスのアームが暴走する手術室のシーン。約2分間、5人の悲鳴のアップが連なる最高のシーンに顕著です。悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴の味付け。とにかくサム・ライミ監督は、DVDのコメンタリーを聞くと分かりますが、観客が退屈することに凄く怯えている監督だなと思っています。故にサービス精神が溢れて、味付けが濃い、描写が過剰、テンションが高い、カメラワークも派手。

そして監督自身は「三ばか大将」がお好きということで、実際に「三ばか大将」の効果音を引用して、ホラー映画にも関わらず、常に体を使ったドタバタコメディ、スラップスティックコメディの要素があります。ハイテンションホラーとコメディの境界線上を進むサム・ライミ流ホラーを『スペル』でご堪能頂けると思います。もちろん『死霊のはらわた』も必見ですが。

このサム・ライミのハイテンション、過剰さ、カメラワークが、どう『MoM』に現れるのか、期待したいです。サム・ライミ監督 9年ぶりの新作映画としての『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』。ただ本作、重要な作り手がもう一人います。

MCUのドラマの集大成。マイケル・ウォルドロン脚本作としての『MoM』

重要な作り手とはマイケル・ウォルドロン。マイケル・ウォルドロンという脚本家の新作としての『MoM』です。前作のスコット・デリクソン監督が降板して、まず脚本家に抜擢されたのがマイケル・ウォルドロンです。MCUをお好きな方は名前ご覧になったことがあると思います。MCUのドラマ『ロキ』シーズン1のショーランナー&脚本家です。

まさかの『ロキ』からのマルチ・バース繋がりでの起用。MCUフェーズ4で最重要人物となったマイケル・ウォルドロン。このマイケル・ウォルドロンはダン・ハーモンのもとで働いていて、特にアニメ『リック・アンド・モーティ』のライターです。もし余裕がある方は『MoM』を観る前に、アニメ『リック・アンド・モーティ』をチェックしても良いかもしれません。

『リック・アンド・モーティ』は、アルコール依存症のマッドサイエンティスト=リックとその孫モーティを主役とするSFコメディです。雑に言うと時事性とアメリカカルチャーネタを薄くしたSF版『シンプソンズ』『サウスパーク』みたいな感じのテイストです。とても日本の観客として見やすい、言うならば“アル中で倫理観のないドラえもんとのび太のコメディ”です。この『リック・アンド・モーティ』から、マイケル・ウォルドロンが今回『MoM』へ。続いてジェフ・ラブネスという『リック・アンド・モーティ』の脚本家が、「アントマン3」『クアントゥマニア』に抜擢されています。今すぐMCUファンはこの『リック・アンド・モーティ』を見るべきなんです。

個人的に『MoM』と重なる回をピックアップすると、まずシーズン1の10話「リックとの遭遇」です。『MoM』で主人公ストレンジが別の次元の自分と対峙するように、この回でもリック・とモーティは別世界のリックとモーティに遭遇します。同様にシーズン2の1話「パラレルワールド」は、タイトルの通り並行世界がモチーフです。脚本家マイケル・ウォルドロンがプロデューサーを務めたシーズン4の個人的オススメは8話「困った時は酸のタンク」。これは大好きです。自分の人生にセーブポイントを作ることができるようになった孫モーティが、悪事の限りを尽くす。セーブして悪いことをしてリセット、セーブして悪いことをしてリセット。『ドクター・ストレンジ』のあの展開も想起する神回です。マイケル・ウォルドロン単独でクレジットされている2話「老人と便器」は、自分のトイレ=便器を無断で使った犯人を、リックが仕返ししにいきます。なんちゅう話だという感じですが、並行してマッチングアプリを使った現代の恋愛様式を皮肉るようなストーリーも展開されます。この狂った回の話を作った男が脚本を務める映画が、『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』ですから、“どうなっちゃうの?”という感じです。

『MoM』に関わる他作品

もちろん同じ脚本家が作ったドラマということで、多元宇宙におけるもう一人の自分との対話・対峙をモチーフにした、ドラマ『ロキ』シーズン1もぜひ合わせてご覧いただきたいです。こんな事を言い出すと、新規の方が逃げ出す予習の量になってしまうのですが、今回の『MoM』は今までのMCUの映画作品と、いくつかの作品と合わせてご覧いただくとより作品が楽しくなるだろうという事が、予告映像から予想されます。

何よりはドラマ『ワンダヴィジョン』。「MCUのフェーズ4と呼ばれる作品群のテーマは『セラピー』だと、これまでも申し上げてきました。最新の『ムーンナイト』も例から漏れておりません。その潮流の最初にあった『ワンダヴィジョン』。ワンダというキャラクターの心の傷、メンタルヘルスを深く描くドラマでした。その他、『ホワット・イフ…?』という多元宇宙と、キャラクターの選択による世界観の分岐をモチーフにしたドラマの、1話と4話、5話あたりが絡んできそうです。

何より我々世代はドンピシャという2000年からの『X-メン』シリーズも、小ネタかもですが絡みそうという事で、ちょっと予習の量が大変ですね。言い出すとキリがないので、せめてMCU初見の方は1作目『ドクター・ストレンジ』をご覧頂いて、サム・ライミ監督のテンションの高さを肌に馴染ませてから、『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』に挑んでいただければと思います。

本記事は、圧倒的な情報量と豊富な知識に裏打ちされた考察、流麗な語り口で人気のYouTube映画レビュアーの茶一郎さんによる動画の、公式書き起こしです。読みやすさなどを考慮し、編集部で一部変更・加筆しています。

【作品情報】
ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス
公開中
© 2022 MARVEL


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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