【読書亡羊】実は「投票用紙が一番安全」!? 不正選挙を防止せよ! 土屋大洋・川口貴久編著『ハックされる民主主義』(千倉書房)、山田敏弘『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

目的は「民主主義の価値の失墜」

「サイバーセキュリティ」において、気を付けなければならないのは「情報の窃取」「インフラ攻撃によるシステムダウン」といった明確な犯罪行為のほか、「ネットを通じた世論工作」が挙げられる。

対象国の国民に成りすました偽アカウントによる偽情報の拡散、ネットメディアを装った偽サイトによる情報撹乱などによって、外国機関やその意を受けた組織や個人が、対象国の世論に揺さぶりをかける。中国・ロシアによる影響力工作は平時から行われているというが、こうした工作が激化するのはやはり選挙前のようだ。しかも、必ずしも中露にとって都合のいい選挙結果へ誘導することのみが目的ではないという。

土屋大洋・川口貴久編著『ハックされる民主主義』(千倉書房)は、2016年、そして2020年の米大統領選はもちろんのこと、中国の選挙干渉が行われたとされる台湾での総統選挙も踏まえながら、他国が選挙に干渉するリスクについて警鐘を鳴らす。

干渉の結果、中露にとって望ましい選挙結果になれば言うことはない。だが、そうでなくても、もともと攻撃対象国に存在する「分断」が深まればそれだけでも成果になる。さらには選挙というシステムそのものの信頼を低下させることで、結果的に民主主義そのものの価値を下げることができる。

残念ながらトランプ前大統領は、こうした外国勢力の思惑に、知ってか知らずか乗ってしまった。「勝利は奪われた」と、選挙不正があったかにほのめかすツイートを繰り返し、結果的にではあるが2021年1月6日の米議会襲撃事件を煽る結果となった。死者まで出したこの件に大統領自身が「干渉」したことは、対中外交などで残した功績を叩き潰すに十分だった。

アメリカ国民の半数近く(実に共和党支持者の8割)が、自国の選挙システムを信用しなくなり、こうした事態を見ていた周辺国の、アメリカに対する信頼も大いに失われたのだ。

「ドミニオン」を導入したのは誰か

「外国勢力が選挙に干渉したという以上、やはり選挙不正の可能性もあったのではないか」

そう思う向きもあるかもしれない。だが、2016年選挙では「投票前までの世論工作」という意味での干渉は明らかだった一方、2020年選挙において「選挙システムそのものに外国勢力が干渉し、選挙結果を覆した」という証拠はない。『ハックされる民主主義』では、アメリカが選挙不正を防ぐために行ってきた取組みに一章を割く(第五章、湯淺墾道氏執筆)。

投票方法は各州が定めること、2000年の「ゴアVSブッシュ」の大統領選での混乱、そして「紙と電子、どちらが安全か」などを巡って紆余曲折してきた経緯を丁寧にたどり、アメリカがいかなる苦労の末、選挙インフラの拡充を行ってきたかを記す。

2020年の大統領選では、電子投票に関しては「サーバが海外にある」「中国にハッキングされた」などの不確かな情報が流布された。特に、ドミニオン社の電子投票機がやり玉に挙げられたが、本書ではこう説明している。

ドミニオン・ヴォーティング社製の電子投票はマークシート印字機とマークシート読み取りシステムによりマークシートによる投票を電子化するものなので、仮に不正の疑いがある場合には、マークシート自体を用いて再集計することが可能である。このため、不正が行われたと認められる可能性は極めて低いであろう。また、そもそもドミニオン・ヴォーティング社の電子投票機は共和党の州政府によって導入が決定されたものであり……。

一部界隈で選挙不正の代名詞になっていたドミニオンは、実は共和党が採用したメーカーだったのだ。

「選挙不正はなかった」でクビに

山田敏弘『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書)も、大統領選に関するサイバーセキュリティを取り上げる。

「トランプ大統領」が誕生した2016年の米大統領選は、民主党陣営がロシアのサイバー攻撃に遭い、メールなどが民主党やヒラリー候補に不利な形で流出させられた。

アメリカとしては、同じ轍を踏むわけにはいかないと2020年の大統領選では相当、神経を使って徹底的なサイバー対策を行った。しかもそれは、トランプ大統領の指示に基づいてなされたものだという。

山田氏は米サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁のトップだったクリス・クレブス局長の言を引く。それによると、選挙前の情報工作はもちろん、投開票に使われるシステムのチェック、サイバー方面の監視、投開票に携わるスタッフの管理を徹底し、さらには「投票の記録を紙で残す」よう指示を出したのだという。結果、どうなったか。

史上最も波乱に満ちた米大統領選挙は、サイバーセキュリティを任された組織によって最も安全が守られた選挙でもあったのだ。

だが、クレブス局長は選挙後、「今回の選挙は史上最も安全な選挙だった」と発言し、トランプの逆鱗に触れ、事実上の更迭の憂き目に遭った。

こうしたトランプの振る舞いが〈「史上最も安全な選挙だった」という本来なら誇るべき事実を覆い隠し〉てしまった、と山田氏は厳しく指摘する。

山田氏はトランプ政権が行った「対中外交における強硬姿勢への転換」を評価している。むしろ、だからこそトランプが選挙不正を煽り、議会襲撃を誘発したことで〈トランプの正当性を完全に貶め〉たと嘆くのだ。

「選挙不正」騒ぎで誰が喜ぶか

日本でも以前から、「選挙不正」を指摘するネット記事やSNSの書き込みが散見されてきた。集計機に対する批判や、「開票時の映像を見ると、同じ筆跡の投票用紙が続いている」とか「消しゴムで消したような跡がある」などとする怪しげな画像も飛び交う。

もちろん日本でもアメリカでも、言論の自由のある国では「選挙不正」を指摘する自由もなくはない。だが、そうした行為が「選挙というシステムや民主主義を敵視する勢力」を喜ばせることは知っておかなければならない。

そのうえで、さらにサイバーセキュリティに力を入れるべきだろう。米当局者は日本のサイバーセキュリティレベルは「マイナーリーグ」だと、指摘しているという(「『日本はマイナーリーグレベル』遅れに遅れているサイバーインテリジェンス体制」https://sakisiru.jp/26731)。

日本でも海外在住者を中心に電子投票を求める声は根強い。だが「実は紙で残しておくことが最も選挙干渉を受けない」というのが実態だ。少なくともサイバー攻撃を防ぐだけの体制が整わなければ移行は難しいだろう。選挙システムに対する信頼が低下すれば、日本でも「選挙不正デマ」がアメリカ並みの社会不安を引き起こしかねないのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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