第25回「1995年1月:LAGWAGONとNO USE FOR A NAMEがドタキャン」

レコード&昭和プロレス愛好家のゴベと申します。 今回から1995年に突入! ・・・その前に、1994年の記録をふり返ってみようと思います。 1994年にロフトでライブを観たのは32回、シェルターは5回。新宿アンチノックや三軒茶屋ヘブンスドア、高円寺20000Vなんかにもよく行きました。 ついでに、プロレスを観に行った回数も確認してみたところ、JWP女子プロレスが8回、パンクラスが2回、UWFインターナショナルが1回、新日本プロレスが1回。思っていたよりも少ないです。 この頃って、プロレス熱が冷めてきた時期なんですよね。闘魂三銃士(新日)や四天王プロレス(全日)に惹かれるものがなかったので。プロレス観戦よりも、ライブハウスに行く方が刺激的でした。 * * * ということで、ライブを観に行くことが生き甲斐だった1995年の1月は、ロフトに4回、シェルターに1回。 1月7日は、ロフトでGARLIC BOYSとHi-STANDARDのツアー初日。この日が1995年の初ロフトです。 19日は、ロフトでDEF. MASTERが出演したDISCORDANCE AXISの来日公演。 22日は、ロフトでCOKE HEAD HIPSTERS & GWASHIとWRESTLING CRIME MASTER & DRUM SONGのスプリット12インチ発売記念ライブでした。 * * * そして26日(ロフト)と30日(シェルター)は、LAGWAGONとNO USE FOR A NAMEのジャパンツアー。26日はHALF LIFEとBLIND JUSTICE、30日はGARLIC BOYSがオープニングアクトを務める予定でした。 しかし、両バンドとも来日中止。いわゆるドタキャンで、スタッフが払い戻し等の対応に右往左往していた記憶があります。 とはいえ、27年も前のことなので自分の記憶に自信が持てず。「2バンドとも来日しなかったって、あり得る?」「もしかして、片方は来てたんじゃない?」と不安に駆られたので、当時の関係者やSNSのフォローさまに助けを求めた結果、両バンドとも来日していなかったことが判明。ご協力くださいました皆さまに心より感謝申し上げます。 まぁ、覚えていなくても当然なんですけどね。26日も30日もオープニングアクトを観に行っただけなので。もし、好きなバンドがドタキャンしたら忘れませんよ。がっかりしただろうから。 なお、当時のメモを確認したところ、両日ともロフトのアーカイブに記載されていないバンドが出演していました。26日はBAREBONES、30日はハイスタが出ています。LAGWAGONとNO USE FOR A NAMEが来なかったから、急遽出演することになったのかもしれませんね。 * * * と、幻に終わったLAGWAGON & NO USE FOR A NAMEのジャパンツアーについて書いてきたので、当時のレコードジャケットなんかを載せられたらよいのですが、残念ながら両バンドの作品を所有しておりません(一度も買ったことがないので)。 ということで、BLIND JUSTICEのメンバーから当時もらったステッカーを掲載。

ご存じの方も多いと思いますがBLIND JUSTICEは、envyの前身バンドです。 ハイスタのレコードも載せておきますね。

1994年にリリースされた『In The Brightly Moonlight』。4曲入りの7インチです。 ジャケットに書き込まれている丸に囲まれた平仮名の「つ」は、恒岡章氏(ds)のサイン。落書きではありませんので。

* * * 最後に、1995年1月に一度だけ観に行ったプロレス興行についても触れておきます。 観戦したのは、1月16日。UWFインターナショナルの日本武道館大会で、メインはスーパー・ベイダー(ビッグバン・ベイダー) vs ゲーリー・オブライトのプロレスリング世界ヘビー級選手権試合でした。 当日購入したTシャツです。

最強外国人レスラー対決の余韻に浸りながら痛飲した翌朝、揺れを感じて目覚めました。 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災でお亡くなりになられた方々に、深く哀悼の意を表します。そして被害にあわれた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

五辺宏明(ごべひろあき)プロフィール

レコード&昭和プロレス愛好家。ロフトグループの加藤梅造社長との出会いは、ライブハウスのモッシュピット。 https://note.com/gobe_vinyl

© 有限会社ルーフトップ